どの人も自由にしたら社会はどうなる?

「社会」と聞いたら、どんなイメージが湧きますか?
「私と社会の関係は?」と、問うと、どうでしょう?
「社会」というと、自分の外に目が向いて、「そこはどうなっているのだろう?」と、自分とは、別の対象をイメージすることが多いかもしれませんが、先ず「自分というものをどんなふうに捉えているんだろう?」と、自分の内で起きていることを観察することから始めてみると、私の社会観が、見えてきます。そして・・・
そのプロセスから、「社会」を調べ、創造すると、今まで、知らなかった社会の姿が現れてくるかもしれません。
今回は、9/27~開催した「社会を知るためのコース」に参加した人の感想レポートを紹介します。


「どの人も自由にしたら社会はどうなるだろう?」の問いかけに、どの人も自由になったら活動的に、活き活きする、楽しそう、など、イメージが出てくる。
もしこの問いが、10年くらい前だったら、自由?それは良いけど、そんなことしたら、仕事をやりたくない人が出てきたらどうなるの?
社会は機能していかないんじゃないかという不安で、理想だけど、無理とあきらめの考えしか浮かんでこなかったと思う。
今は、メチャクチャにはならないだろうというイメージは湧いてくるけれど、本当に私の中はどうなっているのかから、コースは始まった。
具体的に一つ一つ検らべていく中で、自分の日常生活では、しっかりとしなければいけないこと、やって当然と<やることがある>となっている心の状態が見えてきた。
そこから、私が自分自身へ、他の人へ、強いている姿がいっぱい出てきた。
<責める>
責めて当然、責められる側が悪いとなっている。どうして、悪い?やることをやっていない=義務を怠っている=義務(やらねばならないこと)をしなければ責められて当然。責める権利がある。こういう論理で、当然として人を責める。
<約束等>
まわりの人を責めて、気分が良い人がいるだろうか?でも、やめられない。道徳観を持って来て、自分を諫めようとするけど、スッキリしない。
自分の中に<やること><やらなければいけないこと>がある、という観念から解放されなければ、責めることから解放されない。
<やること>は、どこにあるのか?それは頭の中で、実際ではないと口では言うけど、この<やること>がある、という頑固な観念が自他を支配している。
<権利、義務>
<やらなければならないこと>が、自分の中で、少しでもあれば、権利、義務が生じる。権利、義務が生じれば、上下、主従の関係が出てくる。
権利があるとなると、その物を自由にできる。人も自由にできる。強制することができる。自分の中で、まわりの人を所有して、強制して、力でやらせようとしている実態に全く気付いていない。権利を主張すれば、必ず義務も生まれ、自分にも役割を強いる。お互いに強いる関係でどこまでいっても自由にはなり得ない。

今回いろいろ検討してきて、自分も人も何もしなくてよい。社会も何もしなくてよい。というベースが、自分のなかにないと、何をやっても、縛り、強制し、力関係でやろうとする。いくら人の内面(心)が大切だと頭でわかっていても、重視できないのは、この辺に鍵があるのかな?会話をしていても、「~やりたい。」「~やりたくない。」と聞くと、やりたい、やりたくないことが、その人の心としている。行動=心として、心を尊重することは、行動をやってもらうことと、どこまでいっても、そこから離れない。
内面とは、その人の言葉、行動に表れる欲求が出てくる前の、内、底にあるもの。そこを尊重しているのか?聞いた内容をやったら尊重しているという錯覚から、人と会話をしていても、やるべきか、やらないのが良いかと、生身の人と接していても、自分の頭の中と会話している。やるがどこまでいっても離れないので、自分の許容範囲の中ではホッとして、それを越えたら困ったり、拒否しようとしている。
まず、その人の心に、応えていこうとする。そういう心と心のやりとりでこそ、初めて、検討できるのではないか。
自他の心を受けとめないから、外の考え、あり方などを持ってきて、自他を裁き、動かそうとしている。


今の仕事は、私の、自分の内なる欲求で動いているように思う。
それぞれの人が、自分に向き合い自分の中にあるもので、生きていってほしい。特に若い人達をみていてそう思う。
でも、いくら、私の内面から出てくる純粋な願いであったとしても、実際の運営を外のもの(権利、義務などの考え方、他)でやろうとしたら、心のない形だけの行為、不純なものになってしまう。このあたりのことを、職場で、もっと検討していきたい。

社会を知るためのコースを通して、内面を重視しようとしてもできないあたりがどの辺か、少し解明できた。
個人のテーマとして、何とかしようとしても、それだけではできない、社会のテーマでもある。
個人のテーマ=社会のテーマで、個と社会が協力し合って、人として、幸福な暮らしが営まれると思う。
コミュニティが、人が増えても、個人の小さな意見を尊重し、検討し、多いに要求し合い、心豊かな社会が造れる道筋が、まだ、私の理解では浅いと思うが、見えてきたように思う。
(50代女性)
- | - | trackbacks (0)

Trackbacks