私の社会観をはずしてみて見ると・・・

7月後半、「社会を知るためのコース」を開催しました。
「社会」という言葉を聞くと、自分の外にある、よそよそしいものというイメージが出てくる人が多いのではないでしょうか。
本来の人間はどんなものか、人間性に適した社会はどんなものかと一つひとつ検討していくと、かつてなかった社会が現状の中に現れてくる・・・

「社会を知るためのコース」に参加して
このコースで、人間を知ろうとすることを通して、人間らしく生きること、人間らしく生きられる社会が見えてきたことがうれしい。
自分と社会が直結したように感じました。
 (略)
自分としては、あまり権利・義務意識で日常を暮らしているとは思っていなかったが、日常の何気なくやっている行為行動は、このような人間観・社会観でやっていることが、テーマで具体的に検べてみと、はっきり見えました。

コミュニティハウスをやっていて、家の中の掃除をやりたくてやっていると思っているが、来訪者があると、その時までに掃除をしなければならないと思っていたわけでもないが、結果的にはそれを自分に課していたこと、私たちが留守の時に、家を使ってもらうときに、こうして欲しいと伝えるが、その中には、その人がせねばならないように強いる気持ちがあったこと。
家の家具や食器などを、別の所で使うために貸し出したときも、いつまでに必ず戻してといいながら、その人に強いる気持ちがあったこと。
言ったとおりにしないと、次は貸さないと責める気持ちがでてきたこと。
責めるということでは、自分の孫が災害で亡くなったということであれば、やむをえないとなるが、理不尽な死に方をすると、自分の中に許せない気持ちが出てくるのか、死ということには変わりはないが、自分の中はどうなのかを見ておきたい。
ビジターズハウスの洗濯物を、持ってきたからやる、それをやるのも一役やることになるからとか、自分の中のものでなく、外のものでやっていたなと思う。

そうなっているからやる。
きまり、ルールだから、約束だからと意識もしないであたりまえのようにやっているが、これは現行社会の観念で、外のものでやっていることであって、ということは、やっていることが、他をやらせたりやめさせたり、強いることにもつながり、自分の意にそわないことがあれば責めたりするのも当然のようにしていることにつながると見えて来きました。
社会に対しても、それをするのが仕事だから、それをしないのはおかしい、やってもらえないのは困る、など、強く出たりする場合は、その自由を認めようとしないことで、やることを強制しているようなものです。
相手の意志に働きかけて、自分の思うようにやってもらうことも、外のものをもってきて、強いているようなものです。
規則やルール、約束を守らない人を責めるのは、相手の内面を無視して、その人より自分が上で、それで当然だというところでやっていることです。
ものの貸し借りや、頼み事の中にも、その結果如何で責める気持ちが出てくるのも、いまの社会観から生じていると思いました。
社会の中での行動・活動が、権利・義務の関係で行われている場合が多く、一方が他方を強制したり、束縛することを当然とし、それから逃れるために、脱法行為をしたり、嘘、偽り、瞞着が増し、争い事が絶えることがなく、そのための法律や規則が増え、ますます心の面の解決が遠ざかっていくと思っていました。

そうなっているからやる、こうすべきだ、こうやらなければならない、というのは現行の社会の中の観念から出ており、私の中からのものではない、外のもので、元々は私の中になかったということは、しなければならないものは何もない、自分も、社会も何もしなくてよい、と見えてきました。
何もしなくてよいというところから、自分も人も社会もスッキリ見えてきました。
自分の中にこうして欲しいというもの、こうあったらいいなというものがある時は(出てきた時は)、それをそのまま出せばよいでしょう。
権利・義務、こうするもの、こうあるべきもの、こうしなければならないもの、してはいけないものが、自分の中からなくなると、強制や束縛がなく無理なところがなく、すべてが自由で、そういう社会はだれもが自由に生きられ、幸せになれると見えてきました。
自分の中から出てくる、こうして欲しい、こうなったらいいなという欲求は、社会にそのまま(外のものがまじると、強いるものになりやすい)、出したらよいだけ。
何もしてもしなくてもよい自由な社会は、出された要求を受けとめ、実現できるかどうかはわからないが、その実現にむけて応援し、一緒に考えても行ける。
強制や反発も生じようがなく、要求が満たされ、心が満たされる。
ひとりひとりの要求が社会で満たされ、そうなると要求が次々と出され、人も社会も活性化して行くでしょう。
要求が満たされるから不平不満もなく、人と人の心が通い合い、他を思いやる気風が醸成され、親愛の情に満ちる人情社会となっていく。
だれもがしたいことができ、やれることが増え、活気に溢れ、遠慮、気がね、強制、束縛がなく、自由でそのままの自分を思う存分発揮し、自分らしく、幸せに生きられる社会が見えてきました。

現状そのままで、幸福社会への「知的革命」です。
これからも、外のものでなく、中のものだけでやっていきたい。
観方や考え方にとらわれずに、実際はどうかとなと検べながら。
共に生きる人たちとその人の表われたものの背景、その内面を大事にして、やっていきます。
(70代 男性)
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