心に風を入れる~内観コース

「内観コース」を、毎月開催している。
内観法により、自分の人生にじっくり向き合い、自分自身を調べ、自分を知るための機会。

3月の参加者から、内観の感想を聞くことができました。
「今、50年閉ざしてきた固まった心に、ようやく風を入れて、あげたような感じがしています。」と・・
そして「今回、内観という”心の掃除のすべ”を知ることができたことは、心の安心と安定をまた一つ手に入れた思いです。」と・・

心が開かれ、柔らかにほぐれて、明るくなった。
今自分の心が、自分にもすっきりと見える。
そこには安心がある。
そして、周囲の人と世界も明るく見える。
オープンな心の状態とはこんな感じだろうか・・
内観(心の掃除)は、人にオープンな心の状態を齎すもの・・

<内観コース感想文  抜粋>
50代  女性
マイライフセミナー、自分を知るためのコースに参加したあと、“内観”無くして自分を知ることはできないなと直感して急遽今回参加させていただきました。
“自分らしさを発見したい”と出発した私の心の探究でしたが、サイエンズのコースに導かれながら納得したことは、“安心した、安定した自分の心のなしには、自分らしさは発見できない。”ましてや、“自分らしい生き方のアクションアイテム”を決めるなんて。(中略)
内観では、母との関係を重点的にしらべました。
日常私を困らせていた記憶の中には、幼少のころの家の中が母のヒステリックなムードに包まれ、意味もわからないことでしばしが怒られたり八つ当たりされたりしたこと。
などなどが悔しさ、恨みにも似たどうしようもない感情と共にリアルによみがえってきます。
現在の母は、年をとり体も弱り生活の中でもしばしば人の介助が必要になり始めています。
これからの生活には、老人ホームに入ると決めているようですが、先が決まらないなど不安を抱えています。
そうした母を見ても、私は心から親身になれない自分に苛立ちと後ろめたい気持ちを感じながら、一方であの記憶とともに蘇る感情が交差してどう向き合ってよいか途方に暮れていました。
内観では、“あの記憶”ではなくて、私の人生を通して年齢を区切って、“母にお世話になったこと”、“して返したこと”、“迷惑をかけた事”を調べてください、といわれ実は少しがっかりしたのを覚えています。
気を取り直して“観察”してみるってことかな?とやってみると、慣れてきた2回目あたりから、若いころの母がありありと思い出され、楽しそうに、機嫌良く、服を縫ってきせてくれたり、おやつをつくってくれたりする姿や、朝5時起きで毎日つくってくれた手抜きのないお弁当を思い出したり、数えきれないほどお世話になったことがどんどん、どんどん出てきました。
思い出しながら内観中ひとりで嗚咽を堪えて涙したこともしばしばでした。
母を調べるうち、今まで意識していなかった父との関係にも向き合う必要を感じました。
父は勤め人でしたので、家に帰って寝るだけ。
初めのころは“なにも出てきませんし、会話をした記憶もなくて、忙しくて子育てには参加していなかったと思いますが、経済的にお世話になっていたことは確かで、大変感謝しています。”なんて、面接の時にも表面的に述べていました。
しかし、どうも気になって仕方がなく、後半、もう一度立ち戻って父の背景を思いながらそのころの父の実際を推察してみて、“つれない”父に少し共感するような気持ちを持った後、驚いたことに、ずるずると父との記憶がでてくるようになりました。
こんなことも、あんなこともあった。こんなこともしてくれた。不器用だけどちゃんと私と妹二人を可愛がって愛してくれていたことを実感して
涙があふれました。
何時間もじーっと座って考えても出てこなかった記憶が、何かをきっかけに鮮明によみがえってくる不思議も合わせて体験しました。

内観を終えて、母とのあの記憶と共に止めようもなかった、悔しさや恨みの感情、家の中の重苦しく息苦しい感覚が、不思議ですが、今は感じられません。
幼い自分をかわいそうに思う気持ちは今も変わらず涙が出てきます。
でも、母に対しては少し客観的に見られるようになったようです。
母の心の状態やそのころ何かあったのだろうか?とむしろそちらが気になります。
父や母にも人生があって、楽しいことも、嬉しいことも、不愉快なことも、我慢してきた辛いことも、不安だったことも、たくさんたくさんあったと
思います。
私の知る限りの両親の背景を思ってみても、私と妹を、だれの助けも借りずに、何不自由なく育ててくれたことそれだけで、感謝する気持ちでいっぱいです。

内観では、50年私とともに生きてきた“私の心の歴史”に向き合って、観察することで、今まで思ってもみなかった発見、気づきを得ました。
終わった今、50年閉ざしてきた固まった心に、ようやく風を入れてあげたような感じがしています。
掃除はまだしきれていないと思います。
ですから、これからも期間をはさみながら続けていきたいと思っています。
今回、内観という”心の掃除のすべ”を知ることができたことは、
心の安心と安定をまた一つ手に入れた思いです。


40代 女性
<私の中の青い鳥に気づくこと>
1。記憶をたどる。
 強固に「こんなこと!」と剥製にしておいた「観念」 をほじくり返して、実際にそれに何があったのかをじっくり調べてみる。
この作業のためにまず必要だった鍵は、私が「もう知っている」と考えていたことが「事実•実際」ではないということを明確に知ることだった。(中略)私は本当に何も知らなかった。
いや、何も知らないということさえ気づいてなかった。

2。内観を通して記憶が始まる地点から現在まで、出来事は再構成された。
長い間埋もれていて探してもみなかった宝物が、ほこりを払ったらそこに煌めいていた。
一方の角度でのみ見てきて平面にしか見えなかったものが、照明を照らしたら立体の側面を表わした。
その間、外に現れないように、ぐっと抑えていた、それで余計に、膨らんでいた感情が、締め付けていた観念の結び目が解いたらおとなしく本来の姿を現わした。
しかし、再構成された内容も実際そのものではない。
ただそれだけ覚えていれば、これか​​らは私がどういう風に反応して暮らしているかを、逃さずじっくり観ながらやって行けるだろう。

3。軽く生きたいと、ずっと思ってきた。
羽のようにふわりと、飛んでいきたいと思っていた。
でも、何をしても、どこにいても、すぐ重たくなってしまう自分だからこそ、それでそんなにも軽くなりたかったんだ、と観えてくる。
しかし、重いのか軽いのかは私がそのように感じているだけで、世界はすでに 重かろうが軽かろうがもなく、ただ「実際」のことで動いているんだなあ。

4。おそらく七歳前後の記憶。
私はお母さんのことが大好きだった。
そして、幼い自分の目にお母さんは本当にかわいそうな人だった。
今の私より若かっただろうママの前に置かれた生は、無愛想な夫と三人の子供、そして父の工場で働いてた独身おじさんたちが出す、毎日の山のような洗濯物、ちょうどそれくらいのことであったのではないだろうか。
洗濯機もない家で、お母さんは毎日、冷たい水で手洗いをした。
キッチンであり、玄関であり、倉庫であり、練炭かまどであり、洗濯スペースであったところのセメントの床にしゃがんで座って、洗濯物を揉む動作に合わせて踊っているように動いていた母親の背中を、私はじっと見つめていた。
私は自分にできることなら何でも助けてあげたかった。
お母さんを笑顔にしたい、悲しませたくないと思った。
それで汁の味付けがうすいので「だしの素持ってこい」ということをママが聞いてないと食卓をひっくり返す父が憎かったし、それで「私の娘は大きくなったら裁判官になれ」と言ったママの優しい言葉に、裁判官が何かも知らないのにも「うん」とサッと答えたし、それでお母さんが学校の休みの時毎回一か月間お寺に行って家にいない時でも、会いたい気持ちをぐっと抑えて我慢していた。
お母さんを喜ばせたいと思った。
お母さんを喜ばせる良い子になりたかった。

5。自分の中で実際にずっとあったのに、一回も見てくれなかった、その心。ママのための心。ママからもらった心。多くの人々から受けた心。
そして、あなたへの心。遠いどこかにあるんじゃない。
ただ観てくれさえすればいい。
これにより、今までとは全く異なる可能性の日々がきっと開かれるだろう。
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