なぜ?自分の感覚、考えを主張し合うのだろう。

リンゴを食べて甘いと感じたら、「リンゴが甘い」と言えるでしょうか?

脳科学が進歩し、「物事の認識は個々の脳の中の作用」と、認識のメカニズムは、解明されてきました。が、日常では、自分が捉えたものを事実であるかのようにして、平然と、人に押し付けたり、人を裁いていることが多いのは、なぜ?でしょう。

9月「自分を知るためのコース」参加者の感想をどうぞ。



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言葉として「おいしい」「同じ感覚」でも、よくよく調べてみると違うのは、自分の中で発見だった。足りない、出来ない、行けないで悩む事が多かったからこの辺は今後考えてみたい。

「実際と自分の考えを区別して実際と自分の感覚を比較して考える」

「事実化」はおもしろそうなのでどうゆう事か考えてみたい。(30代男性)



自分が見たり聞いたりした事、自分の感覚で捉えた事が、「事実そう」になっていて、自分の頭の中で創り上げた人や事柄に反応していたんだなぁ。

「私は今、どうしたいのかなぁ、それは私の感覚であって、相手は別」と思っていても、自分の正しいとした上で、人の事を見ているので、事実・実際など「どうなんだろう?」と考える余地もない。(20代女性)



それぞれ一人一人の中の「分かった、知っている」が「決めつけ」となって事実として捉えられているから、正しい・正しくないとかなってしまうのだけど、それはどうしてそうなってしまうのか?

「自覚がないから」と言ってしまえば簡単だけれども、生まれてこのかた、そのような人間に囲まれ、環境に育ったのだから根は深いような気もする。

その都度その都度、丁寧な観察をして、自覚していくしかないだろう。(40代男性)



自分の感覚や思考を意識化,自覚化していきながら自分を知ることは,同時に他者を知ることにもつながる。こういうことができる者同士が話し合いをすれば,それは,感情や固有の価値観に縛られずに,相手を尊重しながら,冷静かつ有意なものになるのだろうと思う。そして,このようなことが広がっていけば,平和な社会,世界につながっていくとも思える。

人間の本質とは何か,理にかなった暮らしとはどういうものなのか,という思考にも少し進んだ。それは既に答えのある世界ではなく,答えを探求し続けるものであるということも目からうろこであった。(40代男性)



「人間の考え」と「事実、実際」

「人間の考え」はどこまでいっても「人間の考え」なのだなと。

「事実、実際」は原点?といったところか。

「事実、実際」と言っているのも人間。

張り合って、決め合って仲たがいしていきたいのか。

言い合って、聴き合って調べ合いたいのか。

言葉の前にある中身か、言葉巧みになりたいのか。

何のため?何故?それをするのか、何かそこを問われているような‥

人間の考え、自分の考えを自覚する。と、その先に何が現れてくるのか・・・。(20代男性)
自分を知るためのコース | - |

「自覚」、自分を見つめ知ること

「意見が違うから仲良くできない」「意見が対立する」と言うことがあります。

この場合、相手に対して悪感情を抱いていることが多いでしょう。

意見が違うことはいくらでもあります。悪感情の原因は、意見が違うことではないですね。

悪感情の激しいのが、怒りや憎しみなどですが、ほとんどは、無意識に湧いてくる感情や感覚ですから、そうしている自覚もないことが多いでしょう。まず、それを「自覚」することです。

「自覚」は、反省ではありません。もちろん、自分を悔いたり、責めたりするものでもありません。良し悪しをつけずに、ありのままの自分を見つめ、知ることです。気付かないうちに、「こんな感情が出ている」「こんな風に人に接している」と、自覚し合うことです。

「自覚」は、意識上のことですが、この「自覚」が「心の状態」に大きな影響を及ぼすのです。



8月の「自分を知るためのコース」に参加した方の感想の一部をどうぞ!



こういう人は許せない、嫌だ。がある。

しかし、そう思う相手も、自分の中(脳)で捉えていること!

実際の相手は、自分が捉えている相手そのものなのかは分からない。 

そこで、実際の相手に興味が出てきた感じです。

相手は、どう考え、思っているのか? 

実際の相手を知りたいと思えてきた感じがします(50代女性)


なぜ自分の考えを事実と思うか。

それは、未だよく知らないからだ。

自分や相手が何をしているか、どうなっているのかを知らない。

知った分だけ、そのものを活かすことができる。

意識的な考えではなく、無意識に出てくる反応に自分の状態、回路が現れる。

どのようになっているかを観て、知っていく。(20代男性)


最初で最後のテーマ“自分を知るとは?”に対して私は自分が捉えたものは、認識であると自覚し、認識と事実のズレに気付いていくこと、という感じの事を書いた。

「自分が捉えたものはすべて自分の中の認識である」。

言葉ではこう言えても、実生活でどこまで自分のものになっていくか、それが重要だなぁと思ったし、今実生活に戻ってもすぐに戻ってしまう様な気がする・・・。

又、このセミナーを受けて一番感じた事でもあるが、私はどちらかというと自覚した後に認識と事実のズレに気付いていく方が重要なのではと今まで思っていたが、他の意見も聞いてみて、ただ“気付いていく”“知っていく”それだけでいいのかなぁと思った。(10代女性)
自分を知るためのコース | - |

「知ろうとする」人間の営み「サイエンズ」

今年5月から、始まった「サイエンズを知るためのコース」。

「サイエンズセミナー」「自分を知るためのコース」で、サイエンズに触れて、「サイエンズ」をもっと知りたい、学びたいという人たちに好評です。

「サイエンズ」と、言っても、知らない、聞いたこともない人が、ほとんどだと思います。

「サイエンズ(SCIENZ) 」という言葉は、Scientific Investigation of Essential Nature

(科学的本質の探究)の頭文字、"SCIEN" と、Zero(ゼロ・零・原点・無・空などの意味)によるものです。

「サイエンズ」の目的は、ものの本質を探究し、そのものらしく生かす、そのものらしく生きることにあります。探究、つまり「知ろうとする」脳の働きで、人が生まれた時から始まる人間の本分とも言えるでしょう。

人間について知ろう 社会について知ろうとする、そして人間らしく生きようとする、

それが「サイエンズ」です。



8月「サイエンズを知るためのコース」に参加した人の感想レポートをどうぞ。



 シンプルで簡単なやさしい理をベースとして生きている。そして理をベースとしているので「不健康」だったら「健康」になっていく変化が起こっている。

 「人間本来の姿」「一つ」「本心」・・・理をベースとした表現に自分の深いところが動いている感じがした。

 シンプル&ニュートラル・・・これからも「人間本来の姿」を知り、「現状の姿」を知る。平静さを感じさせられたコースだった。そして、また「人生を知るためのコース」に参加したくなる、そんなコースでした。(40代男性)



 現状の「人間の考え」は固定や囲いや隔てといった理から外れた観念に囚われ、不健康な精神状態に陥っている面が大きいので、そういう現状をいくら改変しようとしても一向に解決の道筋は見えてこない。まずは人間本来の姿、健康な心の状態に立って、それを損なう原因を取り除いていくという道筋かと思う。

 サイエンズスクールを開設して一人一人が自分の中にある「人間の考え」がどうなっているか調べ、自覚して、本来の自分の姿に気づくと同時に、本来の自分の心の状態で暮らせる場として、as one鈴鹿コミュニティでの暮らしが用意されている・・・。

 ・・・そうだったのかぁ。と、つながった感じ。(60代男性)



言葉にできないほどいっぱいいっぱいのことが自分の中で響いていたけど、その中でも一つ、本の最後のところに  「人も社会も自ら育つものです」と書いていたことがずっと頭の中に残っている。そして、「慌てないで、焦らないで、「一つ」の道のりを一歩ずつ踏みしめて、しっかりした根と幹を育て、社会気風を醸成し、愉快に面白く、人間本来の姿に適った社会機構や運営法を確立していきたいのです。確立しつつあります」。

待ってもらったのだろうな。自ら育つものなんだろうな。それが理に適ったことなんだろうな。自分の内なるもので動く、本来の姿なんだろうな。それしかできないのだろうな。と、うれしくて、幸せで、満ち足りて、コースの最後の瞬間、涙が出そうになった。(30代女性)



生まれてこのかた、出発は現状からだったように思う。本来に思いを馳せるということは、なかったわけではないだろうが、そこから入り、検討しようとしたことはあったかな?あったかも知れないが、あくまでそこを見ていこうとしたことは、なかったんじゃないかな?

「人間本来の姿」を知るためには、サイエンズによって、となるのだろう。安易に「分かった」「できた」など、結論づけない営み。

科学的に本質を探究しながら、実現をはかる考え方。

ちょと興奮してくる。 探究の旅は、ずっと続くだろう。 孫、子の代を経ても。自分らの代は出来るところまで。 一万回検討しても、一万一回目はどうなのか? と以前に聞いて「うーん、そうだけど」となったが、そうかも知れないと思う。

数千年以上の歴史の上にある「現状の人」と「現状の社会」から、「人間本来の姿」、「一つの社会」を実現するには、理に適った道筋と方法が必要だとしています。

この「人間本来の姿」を知り、ということと、「固定や隔てのない一つ」が、今回、自分の中に入ってきたことかな。(60代男性)

「一つ」を実現するためのコース | - |

人間らしく生きる

人の行為を問題視し、悪や間違いばかりが、目につく社会風潮の中、「人間には、悪事や争いはつきものだ。」と、いつの間にか、諦めてしまっていませんか?

「人間とはどういうものか」と調べ、人間を知るにつれて、知性、心などの人間性や、人生についても明らかになってきて、「こんなものだ」としていたものが、「いや、こんなものではない」と、人や社会を明るく展望できるようになります。

7月「人生を知るためのコース」の感想です。



じっくりと、ゆっくりと、真面目に、本気で、

自分の内面、本心に向き合ってみる。

人に、人間に、人生に向き合う。

これをしていってみよう。(60代男性)   



心とか自分というものについて考えたり、観察する機会になったかな、と思う。

これまで、考えや感情を自分と捉えて大事にしてきたので、凝り固まってしまっていたかもしれない。

こころを大事にする人達がいるというのが、ちょっと信じられないような、不思議な感じがする。

遊ぶような人生が、実現してしまうんだろうか。(40代男性)



考え、感情、気持ちはどういう所から出てくるのだろう。

人の成長から、辿っていくと、子供の頃は、善悪とかなく、成長するままに伸びている様に思うが、大人になるにつれ、いろんな知識が身について、いつのまにか人に対して恐怖感や警戒心、善、悪が先に出てしまう。

元はどうなっているのか。

何のために生きているのか。

心とは 心が満たされるとは

そのもっと元にあるものは、本来のと云ってもどんなものだろう。

わかるとかわからないとか関係なく、もともと具わっている、 人の生命力、みたいな・・・

(60代女性)



豊かな存在である、わたしにも、もちろん、あなたにも心がある。

わたしの心は、いったいどうなっているのだろう。

あなたの心はいったいどうなっているのだろう。

あらわれた言動のもとには、わたしやあなた、そのものがいる。

人に興味が湧いてくる、知りたくなってくる。

人の存在が近くなり、知ろうとした分だけ愛しいような気持にもなる。



わたしは何がしたいのだろう、きっと、わたしの心の底にも、幸せとか、健康とか、正常とか、快適とか、豊かさ、安心、満足、、、、、そんな願ってやまない確かなものがあると思う。

その実現を強く願っているに違いない。(50代女性)
人生を知るためのコース | - |

自分のことであるという自覚

「自分が聞いたこと」は、「相手が言ったこと」でしょうか?

「自分は、○○と聞いた。」ということでしょうが、「あなたは、○○と、言ったじゃないか」と、相手を指摘するような経験がありませんか?

「自分が聞いたこと」を、事実だと思い込み、違う意見は、否定したくなります。今の争いごとの多くは、ここから来ていると思います。自分の感覚で聞いたこと、自分の感覚で見たことであるから、個々の捉え方の違いであるとの自覚があれば、それぞれに違いがあって当然だと思いませんか?

7月「自分を見るためのコース」参加者の感想をどうぞ!



「自分を見るとは」というテーマで、ずっと調べながら、私は随分自分に関心がなかったことに気づきました。

「自分が聞いた、見た」としていることの中身は、自分に「見えた」「聞こえた」だったのか!

知っているつもりになっていましたが、見えた、聞こえたことを、見た、聞いたどころか、ゆるぎない事実のようにとらえている自分がいました。

「聞いた」と「聞こえた」の探究で、「自分が聞きたいように聞いてる」といったことが、心に響いてきました。そうだなあ、聞きたいように聞いてるんだ、じゃあ、わたしはどのように聞きたいのか?そこに、関心を向けると、本当の自分の心がもっと見えてくるのではって、今はそう思っています。(50代女性)



見て、聞いて、反応するまでの一瞬の間に、頭の中では、今までの経験や常識、記憶、情報、価値観などにものすごいスピードで照らし合わせて反応している事が分かり驚いた。

これは帰って来てからの事だが、知るためのコースを受けた後は、「実際はどうか」と言う観点で日常の出来事を見て来たが、見るためのコースを受けた後は、私は何に照らし合わせて(捉えて)反応したのか?と言う観点から自分を見ている事に気付いた。

昨日、いつもだったら混乱したり怒ったりする出来事を、相手がどういう気持ちで言ったのかを理解した(聞いた)ら、ただ「あなたはそう捉えたのね」と思っただけで、感情が乱れる事がなく驚いた。

私の中で何が起こったのだろうか?

相手が話している内容が、私の事を言っているのではなく、相手が捉えた事を話していると認識したからだろうか?

なぜか楽チンな自分がいた。

自分を見て行くと、今まで無自覚だった自分の気持ちに気付いたり、私って~だと思ってこうしているんだ、と気付くとちょっと楽しいと思っている自分もいる。

何を捉えて反応したのか分からない事の方が多いけど、実際自分の反応が違ってきている事を感じているので、「何かが」変わったのだろう。

まだまだ探究を続けて行きたい。(40代女性)
自分を見るためのコース | - |

「知る」とは…、「その成り立ちを知る」

「自分を知る」とは、「自分の成り立ちを知る」ことです。

これまでの、周りから受けたもの、今も受けているものを知ることだと思います。物や人の行為、心や情など、どれほど多く受けてきたか、受けているか・・・

現状は、権利、義務、責任やお金などの交換条件や、「当たりまえ」とする観念などによって、受けてきたもの、受けているものを見えなくしていることが多いようです。

人は、年を重ねるほどに、受けたもの、受けているものは、膨大になり、とても知りつくせるものではありませんが、それを知り、見えるようになっていくことが、人間性の成長でもあると思います。

「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。



何を「自分」としているのだろう?

音や光など、それ自体は意味を持たない。

人間が、捉えて、意味づけをする。

先ほども述べたように、各々の感覚によるもの。

事実・実際そのものは捉えられないのだから、

ハッキリと言えるのは、結果「そういう感覚が起きた」という自分側のことのみ。

事実の一側面だけを捉え、自分なりの解釈をし、感情が生まれ(ここまでほぼ自動で無自覚)、

その感情を正当化するための理屈を考え、付け加えていく。…という感じがする。

「考え」も「感情」も、「正しい、当然のこと!」となる。

否定されれば腹が立つ。

「考え」、「感情」を、自分自身だと思い込みがちのように思う。(20代男性)



自分の感覚で捉えたという、自覚の欠如と、心の不健康というのが密接に関係している気がする。頭の中の事実化による「妄想」が怒りや憎しみ、人間問題のところまでいってしまう。事実化が事実化をさらに進めることでそれを当然とすることで、本来の心の健康とは離れてしまう印象がある。(40代男性)
自分を知るためのコース | - |

今までにないセミナー サイエンズセミナー

人のなかで、力むことなく等身大の自分になって、私の中身を、本来に照らして見ていく。

それは、難しいことでなく、素直に、ただ、ただ、「自分に問う」。

答えが出ない、表現できない。でも、何か、もっと、と尋ねて・・・

人と人、こんな感じがいいなあ。

人と人でつくる社会、どんな社会がいい?

さあ、ゼロから、創造してみましょうか~

「サイエンズセミナー」

今月も、参加の希望があり、急きょ開催しました。

来月(8/11~16)も開催。申し込み、まだ、受け付けています! 

7/5~サイエンズセミナーに参加された方の感想です。



ものの見方、考え方が無数にあって、それを否定しない

ああ あるよね、と言うゆるい受け入れかたが、ひとの幸せにつながる事を学びました。

こんなひと達がどんどん増えるてゆくと、地球の幸せがあると感じました。

こう言う、スタイルのセミナーは初めてだったんで、最初すごくとまどったけどだんだん居心地良くなって、疲れない、これは何でしょう。

一方的に開かれるセミナーは頭に入れないといけないと思って必死に聞いているけど、結局右から左と抜けていって、あれ? 何だっけと思ってドッと疲れるのですが。

頭には入れないけど、どこかに残っている(頭ではないですね)それが疲れない原因でしょうか。(60代女性)



自分のことを噛み砕だけると、人のことも噛み砕いていけると思いました。

人のことを聴けないとは、実は自分のこともないがしろにして、聴けてないと。

そこまでして優先してきたものは何だったのか・・・(40代女性)



ゆっくり考えてみること、実際は? どこからきてる?

ゆっくり感じてみること、この胸に手をあてて。

ゆっくり耳と心を傾むける。この人の中に今、何がある?

セミナーを通して体験させてもらったこの感覚を、ゆっくり・じんわり味わって、日々の暮らしの中で長持ちさせたい。

しゃべりたくなったり、黙ってようと思ったり、ムッとしたり、責めたり、その時その時、自分の中で何が起こってるのか「見たい」、「知りたい」という、今のこの素直な欲求を大事に育てていきたいような気持です。

好きになりたい。

自分の事も、身近な人のことも、出会ったり、すれ違ったりする人のことも。

というか、きっと自分の中に“大好き!”は、いてくれるから、その上にいっぱい積み重なっているものたちに、ひとつひとつ気づいて、心を向けられるようになっていければいいかもという気もします。(30代女性)



自分の話をする時も、身構えず、気楽に、等身大のまま話せたような気がしています。

そうやって自然に自分の話をしていると、不思議と過去の見え方が変わったり、自分の見え方が変わったり、自分の心持ちが変わったりしました。

何か特別なことであったり、大きなことをしたわけでもなく、むしろ気楽に肩の力を抜いていった結果、普段動かない何かが動いたような感じがあり、面白いです。(20代男性)



今回参加して、自分で想像していた以上に自分の中には決めつけや思い込みがたくさんあることに気付かされました。

特にコップのことを考えた時に、その背景にあるものの大きさに本当で衝撃を受けました。

「自分一人で生きている訳ではない」という言葉の深さが少し分かった気がしました。(40代女性)



「実際の人・自分・社会」

人がいくら頭で、「生きるためには、お金が必要だ」とか「報酬が、罰則が無いと人は動かない」と思っても、実際の「人が生きている」というのはあるんじゃないか、やっぱり良い野菜が出来ると、人にあげたいし、人から「こう料理してみたよ、おいしかったー」と言ってもらえると、うれしい。

そこにいちいちお金とか見返りとかはさむのが不思議。(20代男性)



1‐4日目まで探究してきた内容がベースにあって、社会について考えられることで、今まで捉えてきた社会、そしてみんなが幸せと思える社会について、どうしたらいいのか、についてのヒントをいただいた気がした。

6日目、初めての鈴鹿コミュニティーを見回って、実際働いて、住んでいる人の話を聞いて、人の心地よさを中心としている社会がいかに気持ちのいいものか…垣間見れて、これから帰ってから、少しできること、集まって話し合いの場所を設けてみようと思う。(40代女性)
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互いの理解が深まるには

「サイエンズセミナー」って、どんなセミナー?

具体的に何をするのかというと、そこでは、何でも出し合い、何でも聴きあい、なぜだろう、どうなっているだろう、本当はどうなんだろう?と、話し合い、調べ合う(探究する)のです。

そして、お互いの意見や考えを聴き合えば聴き合うほど、お互いの理解は深まり、ひとりひとりの違いがくっきりとして・・・。さあ、お互いの間柄は、どうなるのでしょう?

6月「サイエンズセミナー」に参加した方の感想の一部を紹介します。





思い込みやキメつけが、こんなに人生を縛り上げていたとは・・・

そして、安心して話を聞き・話すことが、こんなに快適だとは。   

傷つくのも傷つけるのも嫌なのに、人との関わりを求めて様々な場所に出かけて行って、浅い付き合いに留めていたことが、親しさのある間柄を作れなくしていたのかもしれない・・・

一人で考えていては堂々めぐりだったことが、一緒に考え一人一人の異なる考えを聞き、心ゆくまで探究する事で、新しい道を見つけていく。

この考え方が広がっていけば、もっと楽に生きられる。

これからの世の中が楽しみになってきました。(40代女性)



今回参加した仲間も、考えてみると、ここまで深く話したことがなかったので、お互いを知れてよかったです。

普段、自分は迷った時・悩んだ時・なるべく根本に戻ってよりシンプルに考えるようにしていました。

でも6日間のワークに参加して、まだまだ前提やキメツケ、思い込みがあることがよくわかりました。

もっと深く見ていくことが出来ると知り、今後の生活に使っていくのが楽しみになりました。(40代男性)



ゼロから「実際はどうか?」探究する・・・とても面白かった。

実際、自分一人でゼロになるのは難しい。

経験や知識を元に導き出し「本当にそうかな?」といつも考えるようにしていたが、一人の世界だと、前提ができてしまっている場合がよくある、くつがえせない。

でも、他の人と一緒に考えていると「え!!!」と思うような、予想外の答えや考えも出てくる。

それが本当に楽しかった。(30代女性)



すぐにつっかかりを感じ、ヘソ曲がりなところのある自分という人間がおもしろく感じるようになってきた。

そして身近に居る人、出会った人の中身をもっとしりたくなってきた。

それは実に愉快でおもしろいことである。(30代女性)



本の読み合わせをしたり「社会」についてのセッションを通して、それまでに比べて心持ちが緩んだ感じがした。

それまでのセッションでは、各々個別の考えや思考価値観を見させてもらっている感じだったのだろうか?

「社会とは?」と自問しそれを出し合い、響き合い、又考えて・・・・

その時間こそが共に社会を創っていこうというのに似た感覚だったのかもしれないなぁと振り返って今、そう思う。



何度も出てくる「分け隔てのない親しい間柄」という表現。

言葉にするのはとても簡単。

昨年も「そうだよね。確かに」そう思った。

今回の6日間で言葉には、しずらい深い感じを受けた気がする。



6日間を終えるのに当たり「自分のことをもっと深めていきたいなあ」ということと「周辺はどんなになっていくかなあ」とワクワクとした気持ちでいる。

「親しい間柄」へのこころみ。

これからが楽しみだ。(40代男性)
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「見る」とは、

今回は、「自分を見るためのコース」に参加した方の感想を紹介します。

「自分を見るためのコース」は、「自分を知るためのコース」を受講した人が対象の、3泊4日の集中コースです。

そのものを知るためには、<見る><そのまま見る>ということが、ポイントになります。

自分についても、物事や人に対する自分の観方・捉え方を客観的に見られるようになることで、知らないうちに、自分の中でキメているものに気づき、そのものへの関心、知性が働き始めることでしょう。



   *  *  *



「自分を見る」と「自分のことを思う、考える」

これが全く別の行為?であることに、とても新鮮な感覚を感じつつ始まった、久しぶりのベーシックコース「自分を見るためのコース」だった。

それぞれの人が出すたびに、その都度「それは考えて言ってんの?それとも、見て、言ってんの?」というスタッフからの問いかけもあって、自分の中で「自分を見る」が成されているかを押さえつつ、それを言葉にして、出したりしながらシンプルにやっていけたように思った。

反応を後から見てみると、捉え方にすでに事実化が潜んでいて、結果、反応もそれに伴った反応になっている。これはこれで調べる材料にはなっていくとは思うけど、後手後手感?が否めない。

日々、常に「見る時、聞く時」自分は何をしてるのか、自分の中に何が起こっているのかをしかと見た時、〝自覚”が自然と生まれてくるのではないかなと思った。(40代女性)



今の私はどのように物事を捉えて、世界を見ているのだろうか。毎日、見て、聞いて、起こる反応に糸口がある。実際の世界と私の中での認識の世界との区別、そして自分の中の世界で起こっていることについて客観的に見ていくこと。

まずはここから始まる。その次に、このすべてのことを通して、「結局、何をしようとしているのか」という人生の目的、すなわち、人間らしく生きるための方向性について、より明らかに見出したい。今の私って、この2つの作業、「どこが出発点なのかを見つけて、その前に立つこと」と、そこから一歩一歩前へ進むため、「足を踏み出す明確な方向を知ること」をやろうとしているところだと思う。

霞んでいた視界が一層、鮮明になってきた感じがする。希望的だ。(30代女性)



今までの普段の自分は何かに反応したあとの頭でいろいろ考えていることに振り回されてることが多いんじゃなかったのかなと思う。そこで自分で自分を納得させたり、押さえ込んだりして終わらせようとしたり、嫌なことはまた起きないように気をつけるようにしたり対処的に処理してた気がする。

そういういろんな考えが出てきた一番元の反応を見つめていくことで、今までとは違うことになっていくんじゃないかと思った。(20代男性)
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「知っている」という状態は、

情報を得たり、自分の体験などから、「こういう人」「こういう物」「こういう出来事」「だからそうなんだ」など、人や物事について「知った」つもりになっていることがあります。

それをよく調べてみると、ほとんどが、一時的・部分的・表面的な情報や体験によるもので、自分の中では、「知らない」という意識がなくなり、「知っている」という状態になってしまっています。それは、その人やその物事について、「こうだ」とキメている状態とも言えます。

長年共に暮らしている家族であっても、知らないこと、分からないことがありますね。ましてや、他の人や出来事を「知っている」「分かった」と、言えるでしょうか?

6月の「自分を知るためのコース」参加者のレポートです。





「事実・実際」と自分の認識との違いについて理解するまで、かなりの抵抗と時間がかかった。

今までは、目の前にあるものに、形容詞がついていると本当に思っていた。

でも良く良く見てみると、形容詞(そう感じている)のは、自分の頭の中にあり、どこまでいっても、私の認識でしかないことに愕然とした。

「認識」は、今までの経験や知識など、ぼう大な情報の中から、取捨選択していて、その人その人のオリジナルなものであり、対象物を自分の五感を通して瞬時に判断しているのだが、その「判断」も反射みたいなもので、どのような回路を経て、何に反応して認識しているのか、全く意識していない。

今まで、自分の頭の中にある実際を事実と思い込んでいたので、目の前の実際を見ることができず様々な混乱をきたしていたことが分かった。

私の苦しみの構図が見えたことは大きな収穫だった。

今の段階では、「構図が分かった」だけで、どう、行動が変わるのか分らないが「構図を知った」ことで、物事の捉え方が変わり、反応も変わることに期待したい。(40代女性)



これからの人生の新たなスタートを切った気分です。

今まで、無自覚のまま感覚で認識してきたことを(五感を通しての感覚)自分の考えや思いと判断して行動してきた。

そのことに知識も理解も自覚もないでいた。

脳が捉えている認識を事実と思い込み・・・・ほんとうの意味での事実とは・・・が分っていなかった。

いつも、脳が自分独自の回路で表現しているけど、事実そのものではない(言えてない)

すべてのことは、自覚し続ける認識・意識の捉え方は、脳の仕組みから来る、このメカニズムを解ったことにより、人との関係性、これからの生き方が変わる、よりよく自分と向き合える。(50代女性)



あったはず・そうだったはず、過去は私の認識の中にしかない。

今、これからは、今、そこにあるものからしか始まらない。

ましてや将来を今の自分が決めることなどできないはず。

意識上の自分は日々更新、「実際の自分は自由だ」・・・なんだかすごく気持ちがワクワクしてきた!!誰も決めつける事はできない、やりたくない事をする必要もないが、できないと自分を縛る必要もない。(60代女性)
自分を知るためのコース | - |
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