2023年、今年も よろしく お願いします

明けましておめでとうございます。
昨年も多くの方が、サイエンズスクールの色々なコースに参加しました。
各コースへの参加や、参加者の感想紹介などを通して、みんなの中で自分自身をそのままオープンにできる安心と、そのまま聴いてくれて受け止めてもらえる満足を味わいながら、今年も共に進んでいきたいと思います。
みんなで「一つ」を深めながら、「気づきや学びの世界」を拡げていきましょう。
どうぞ、よろしくお願いします。
12月4日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
img3321_IMG_0274.jpg信じ込んでいるものがあるって? フィクションって?
僕の中では、約束は破らない方がよいってなってる。
もし破るのならば、それを埋め合わせる何かをする必要がある。
約束ってものが三次元的にあるわけではない。
頭の中にあるだけ。
だけど、縛られてるな~。
フィクションの世界だわー。
今まで意識してこなかった気がする。

自信のある人は「信じ込んでいるものがあるひと」。
この認識、目から鱗。
自信のあるひとが世の中的に良いと信じてきた。
信じ込んでいるものがあると、考えが臨機応変にいかなかったり。
どっちが良い悪い、でないとおもうけど。
新たな発見(男性20代)



かたくなに守り固執していたことが「人間の考えである」事を知るだけで、頑固や固執は解消されていく
自分を知るためのコースは自分にとって、基本だと思っていて、暮らす上で欠かせない、「考え」と「実際」をわけて見れる状態を土台にしたいと常日頃思っていて参加しました。
やってみると、自分の中に、不満の素や頭の中の固着部分があって、日々、検べるのが楽しみでした。

やれない、できない、言えない自分を検べてみると、やれないような動作ではないのに、どうしてもその先に進めない。
一歩手前で立ち止まってしまう。
想像さえできないとは、どういう事か。

この時の自分の状態を体験して、自分が、考えて理解したと思った事も、実際生身の方でそうはならない、考え付いた事(解かったー)と、実際の身体(脳含めて)とは別の事なのかと思った。
考え付いたものは、理解したと思ったことでも、ある種フィクションのひとつのような成り立ちなのか。

実際はどうか、自分の実際はどうなっているか、そして人の実際は、この世界の実際は、とあるのだろう。
目標の中で、実際に存在するかのように思いこんでいる諸々を「人間の考え」で作りだしたものと知ると、誰のどんな発言や行動もそのまま受け止めることができるようになりますとある。 
自分の考えであること、そして実際はどうか、が明確になっていくと、自分のああだこうだが抜けて、人が言っているのが、そのまま受け入れられるようになるという事だろうか。

信じる信じ込んでいるを調べてみて、悪いとしていたものが、観念的に悪者としたまま、目を閉じて見ようともしない、自分の頭で作った産物のような物だと思いました。
それで隔てを作っている。
目標のおわりに、かたくなに守り固執していたことが「人間の考えである」事を知る(本当に知る)だけで頑固や固執は解消されて、人はみな誰もが柔軟で穏やかになります。 とある。
争いのない への地道な道。

個性と頑固を一緒にしていたかな。
自分の中にある固まりを見つける、外にあると思っていた「おかしい」を自分の顕れという観点から観てみる。
自分の考えであるという自覚。
これを深めるには。 つづく。(男性60代)
水仙6.jpg
自分を知るためのコース | - |

自分を縛っている思い込みや、決め付けからの解放!

自分が普段何気なく考えていることや、していることなどを観察し、それをミーティングで出し合いながら、人としての自覚のある健康な状態を皆で探って行きます。
思い込みや決め付けから解放され、自分らしさ人間らしさを発揮できる、健康で心豊かな自分に成り合って行きます。
知性と心の育ちに焦点が当たります。
7月3日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
0953956878d84d16da0df57e913a45c4.jpg自分自身を縛っている、自分の考え と 事実実際は?
「これは何ですか?」その問いに自分の思考や体が一時停止する感覚になる。
2日くらいそんなことを繰り返した。
当り前に思っていたことの「事実」「実際」はどうなっているのか探究するうち、だんだん区別して「知る」楽しさに少し慣れてきたかと思ったら、時間をおくと私の思考はまた「事実」「実際」がどうなっているのかを忘れている。
繰り返し失敗する。
長い時間で培ったクセなのだから、そう簡単には手放せない。
でも実際、「知ってるつもり」になっていること「わかっているつもり」になっていることを、「知る」という探究の道にのせることは楽しいし、楽しいからまた思い出せるかもしれない。
余白がないなと気づければ「思い込み」に気づけるかもしれない。

また「絶対イヤ!」という発言に対して、「そうなんだ」と受け止める一方、実際はどうなるかな、こう言ってみたらどうなるかなと提案をしてみるという、「人と共に考え合っていける」という事例をいくつも知れたことがよかった。
知らない世界を知って、自分はどうなるだろう。
自分の現場で、このことを思い出して実践できたらと思う。(女性40代)
.
.
.
自分自身を縛る事実化からの解放は、自覚のない状態から自覚状態に進んでいく事から!
初日は、自分を知るためのコースで、初めに「人間の考えを知る」から始めると。
その人間の「感覚とは?」で戸惑ったことを思い出した。

????が頭の中で沢山出てもやっとしたが、2日目は少しだけ感覚的に分かったような、そうでないような。
そして、自分の感覚・認識という状態には「自覚のある状態」と「自覚のない状態」に分かれるらしいと。
私は、前者を、レッテルを張っていない状態。
後者を、レッテルを張っている状態と書いた。
自分には、自覚のない状態の感覚や認識だらけだなと思った。
無自覚のまま自分が感じたことが正しい、自分なりの捉え方が正しいとしていた。
誰かが“事実とは理解が及ばない、分析もできないものと認識している”と言ったのを聞いて、ようやく少しだけ理解が進んだような気がした。

「事実・実際と記憶の関係は?」「(頭の中)意識上の事実化とは?」なども今思い出しても????がつく私がいた。
やはり言葉の意味の捉え方ができないので混乱した。
事実化とはどうやらレッテルを張った状態のようだ。
他の人に指摘されて、私は“この事実化という言葉に対して、即座に善悪の判断をして悪いもの”としていることを知った。

子供の頃の“怒られるのが恐いという経験”を通して、怒られないようにする方法として善悪の判断を使っているようだ。
これが私の事実化の例。
この発見は大きいと感じた。
普段自分がどのように見て、聞いて反応しているのか? 
自分なりに観察する目は持っているつもりだったが、それでは全く実際が見えていないことだろう。
徒労に終わる見方をしていたのかもしれない。

朝、窓の外に電線があり、そこに小さな黒い影が動いた。
何だろう? 実際は何? その実際を見ることができたらどんなに楽しいものだろうか。そう思えた。 初めての感覚。
「実際はどうだろうか?」を見ていくと、それに興味・関心が向く自分を発見した。
ある人が初日に「その人がどんな人なのかに興味・関心がいく」と言っていた。
それがどんなことを指しているのか分らなかったが、その朝少しだけその感覚に触れた気がした。
静かだが喜びの感覚だった。

見て → 感じて → 記憶になって → ここからどんなことが起こっているのか?
見て感じて、その受け取り方、捉え方はどうだろう?

ここがとても大事なポイントのような気がした。(女性60代)
TOP-750x562.jpg
自分を知るためのコース | - |

「一つ」の社会へ立ち還る道をさぐる

地球から月を眺めても、月から地球を眺めても、隔てや囲いはどこにもないことが理解できると思います。
地球上に隔てや囲いを作り出しているのは、人間の意識上の世界です。
理に適った「一つ」の世界の実現は、元々の本来の世界を知っていくことから始まっていきます。
4月17日~の「一つを実現するためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
IMG_20220609_055104.jpg私の中にある一つの世界
心の状態に重点を。
一つかどうか。
そうでなかったら何が原因か、それを取り除いて健康に。

もともとのことだからなろうとしてなるもんでもなく。
立ち還るという表現。
逆行している人間の考え。 知る。 当然としているものがたくさんあるんじゃないか。
こうして知っていくとさ、何も難しいことじゃない。
出来るって確信はなんだろう。

実現するって。
私の中の一つの世界を表すだけ。体現する。
人とともに歩んでいく私。(男性20代)
.
.
.
固定・隔てのない一つの世界、愛の世界
常にどこに立っているか、立ち還る、そういう観点を知らない
ひとつに立って  原因をみて取り除いていく
もともと ない  有るとしたら頭の中  そうみている自分を  知っていく
なんでもオープンに  オープンでない自分  隔てている自分を知っていく 丁寧に

もともと誰もがひとつ  最初からひとつ  ひとつを知らない自分を知っていく
暮らしを通して 立ち還る
全人類の幸福。 一本道。 ブレようがない。

今、目の前の人と家族のような間柄に成り合っていく。
家族のような親しい社会、親の愛によって家族になっていく。
固定隔てのない愛を受け続けている。 溢れ出ないはずがない。
世界のみえ方が変わる(女性50代)
動物.jpeg一点の曇りなく澄み切った心の状態を探る
心の成長、心の健康、心の豊かさ、心の純真さ、一点の曇りなく澄み切った心の状態への憧れがある。
一つに立ったところからはどんな景色が広がっているんだろう。
どんな言葉が、どんな表情が、どんな社会が、どんな音楽が生まれ出るのだろう。

本来、本質、一つ、に関心があるなしに関わらず、そもそも一つの世界に属している。
一つの現れとして生きている、生かされている。
一つを実現する、そこしかない。
僕がこれから歩んでいきたい一本道。
本来を知り、還ってゆく。

心の状態に最も重点を置き、本当に通用するものを育んでゆく。
理に根を張ってゆく。
立ち還ってゆく。
心も知性も身体も理に適った、本来の姿を体現してゆく。

精神面だけでなく、社会の仕組みにも本来の姿を反映させることによってはじめて、健康へ向かってゆく環境ができるのかな
両輪で進めてゆくという観点、いままでなかった

そんな環境の中で育ててもらいたい。
いたるところに潜んでいるであろう、固定・隔てからくる不健康なものをあぶり出してもらいたい。
心に潜む不安の種を、本当の安心の中で溶かしてゆきたい。
なぜそんな気持ちが出てくるのか。

僕の中にみんなと親しくなりたい、みんな大好きだと心の底から言い放ちたい、一つになりたい、大きな大きな願いが生きている。
僕だけじゃない、僕を越えた、僕を包む大きな願い。
みんな気持ちのままに生きてゆきたい。
憎しみ合ったり、傷つけ合ったり、本当はしたくないはず。
持っているものを余すとこなく発揮して、分かち合って、この素晴らしい世界を手を取り合って、楽しく、喜び合って暮らしたい。
みんなのなかにそんな本心が宿っているんじゃないかな。

僕のなかにも受け継がれ溶け込む本心、悲願、強烈に咲かせたい。(男性20代)
.
.
.
次の世代へ引き継ぐ理に適った晴れ晴れの世界
一点の曇もなく朗らか 晴れ晴れ、どこまでもご陽気、ごきげん
なにがあっても、なにがなくても
愉快 痛快 明快 爽快 私もあなたも世界中みんな、そんな世界があることを知る

それはがんばって作るものではなく在る
全てのものが本来の、理にかなった姿であれば自ずとそうなる、調和と保ち合いの世界
本来を知って、そうなっていないのは何故か、ズレているのはどこかな

全てのものは固定がない、ものも、ひとも、自分も
人間なら誰でも、どこでも、だれとでもできるようになっている
人間として生まれ、人間本来の性質を活かすことを知っていれば、今までは知らなかった。
誰もそこに気が付かなかった。

現状の社会では「ありえない」とされていることが「あたりまえ」の社会。
「ひとつ」の社会を次の世代に渡したい。
遠い昔からの先祖からの悲願でもあり、私の奥の方に確かにある願い。(女性40代)
IMG_20220609_055547.jpg
「一つ」を実現するためのコース | - |

誰もが望む幸福人生・人と共に生きる人生・満たし合う人生・遊びほうける人生・・

自分(人)の一生を観察しながら、「人生とは何か?」「人生の目的や生きがいは何か?」と探っていきます。
そういう中で自分の今までの生き方や自分の中にある人生観や幸福観なども見直され、人の中で人と共に生きている自分に気付いたり、人の中にいて満たされている自分が出てきたり、誰もが心から望む「本当の幸福」についても、何かハッキリと見えてくるものがあるようです。
自分のこともよく知らなかった・・・
未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探る機会です。
3月20日~の「人生を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
芝さくら・ピンク300.jpg影響しあって、変わりながら生きている
人生を知るためのコースをやってみて一番染みたのは“単独で存在しているものは一つもない”ってことかな。
自分一人では生きていくのは不可能だな(いい意味で)。

今までは自分の考え(一人だけの考えだと思ってる)をコントロールしようとしたり、未来先まで自分が達成したいことを決めてそれが出来なかったら自分一人の責任?として自分をかなり責めていた。
かなり窮屈な生き方をしていたと思う。

人は皆ひとつ。
お互い影響し合って、次々変わりながら生きている。
自分や相手の背景を知って共に生きていきたいな。
悪い人とかいい人を無くして、本当の意味で安心して、満足して、あらわれたものをそのものとしないで心を見ようとする優しい世界がいいな~。
これからぐんぐん人に頼って、頼ってもらったりして生きていきたいな。(女性20代)



人から受けて、応えて、満たし合い
本来の人間は暖かく、やさしい、慈愛に満ちている。
両親、祖父母、夫、子どもたち、孫たち、書ききれない、、多くの人から受けてきた
互いに満たし満たされ、その実際を、心を感じる。
やさしさ、あたたかさ、愛情、物、受けて受けて。

人に寄り添い、人を聴き、人をもっと知りたくなる。
人にやってもらって、それに応えて、双方が満たされる。
満たされっぱなしの姿が知れてくる。(女性60代)
キリンの親子.jpg
調和した人間社会できないかな・・・!
最後のテーマをやりながら、人間ってみんなで幸福に向かおうとする生き物なんじゃないかと思った。
いつも、幸せになろう、より良い方向へ行こうとしている。
育った環境や付いてきた考えや経験などから、いろんな現われになるのかな。
戦争をしたり、犯罪をするのも一つの現れだし、お金持ちになろうとしたり、我慢して一生懸命に働くのも一つの現れかな。
みんなの本心はどうなんだろう。
本当はどうしたいんだろう?

人間の考えも一つ。
おもしろいな。

自然界のように調和した人間社会できないかな。
人の内面を重視する社会、その人がそのままでいられる社会。
これから生まれる子供たちが、余計な考えを学ばないで、そのまま育って本来の人間性を発揮するような、そんな環境作れたらいいな。

自分のことをどうにかするより、人のために頭使いたいし動きたい。
そっちの方がおもしろそう。(男性20代)
img5041_IMG20220424144659.jpg         第二研修所、咲きました


一つの世界に、遊びほうける楽しみ
人間性のところで、一人の人の人間性について考えていたのが、人間性って、人間同士のお互いの中にあるもの。
そこに育まれていくもので、一人だけで成長するものではないなー。
行為や言動、その下にある思い・考え・意志・感情・欲求・気持ち、さらにその下にある心、本心…そういうものの現れとしての言動・現象。
その一人に現われてくる背景がある。
絶えず変化している。

どこをとっても切り離せるものはなく、単独で存在しているものは何一つない。
宇宙の存在も、自然現象も、そして人間の心も同じかな。
一つのもの、自分と人の間に隔てや境がなく、他人がいない。
人は、現象としてのものではなく、心の存在、実際のその人、実際の自分の存在があること。
そこに目を向けたくなっていくのも、一つの現れなのかな。

人って、どういう生き物か、もっともっと知っていきたい。
これからがますます楽しみになってきた。
ひとつの世界で、のびのび楽しく遊びほうけていきたい。(男性50代)
- | - |

「本来の人生」って、心通い合う「一つ」の現われ

今まで生きてきた自分の人生の「実際」を振り返りながら・・・
探究会の輪の中で、何でも出し合い、「人生って何?」と探ってゆくと
怒りや争いのある「現状の社会」の中で作られきた各自の人生観に変化が起こり、怒りや争いの一切ない「次の社会」用の、やわらかくてふわっとした人と人の営み、人と心通わせながら生きる「本来の人生」が見えてきます。
2月20日~の「人生を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
IMG_20220308_102008.jpgそもそも人生を知るとは? 人生とは? 生きるとは? から始まる。
考えたことがあるようで、ほとんどない。
人とはどういうものか。

いま、自分から見た「人」は、形はそれぞれで個性があるけど、1面だけ硬くて平らな面があるかんじ。
自分を抑えるように、周りと同じように平らに整えた面を表に向けて、無機質にやることをこなしている。
「自分をどう表わしているか/見せようとしているか」とも言えるかな。
そうすることは、今の社会では楽かもしれないけど、本来の人としてはものすごくエネルギーを使うことだと思う。
本来の自分のやわらかくてあたたかい、ふわふわ(心)を大切にしながら生きたいな、人に対してもそうでありたいなと思った。

ふわふわ(心)をありのままさらけ出せるには安心が重要になりそう。
隔てのない間柄・隔てのない社会には、私もあなたも、敵も味方も、自然も人工も、良いも悪いもない、人が人でありながらすくすくのびのび生きて行ける世界が広がっていそう。

「私」とか「私の人生」とか言うけれど、そもそも「私」を作っている要素は計り知れない。
たくさんの人から受けてきたものがあり、自然や人や歴史や宇宙の中で作用しあって形成されてきている。
「私」は私であって、私ひとりではない。
「私の人生」は始まりも終わりもなく、私ひとりのものでもない。

私の人生は何をしようとしている人生か。
受けてきたものがあって、中には抑えたり隠したりしてきたものもあって、それらを知りながら、認めながら、自分のふわふわを大切にしてみたくてここにいるんじゃないかな。
人と人との間で、人として、自分のことも人のことも隔てなく大切に愛でながら、満たしあえる社会を創り、残そうとしているんじゃないか。
事柄ではなく。
考えたり予測したりする自分の脳が愛おしく思えたり。
そばに誰かいてほしい気持ちが出てきたり。
それをみんなにシェアすることができたのはこのコースの中で見えた変化の一つかな。

そして、こういう探究、同年代の仲間とやりたいなというのも出てきた。
なんだか人懐っこくなりそう
なるというよりは、もともとの自分に気づく感じかな。(女性20代)

IMG_20220308_101602.jpg
人生を知るためのコース | - |

人から → 話を聞く ⇒ 人を聴く ⇒ 心通じ合う話し合い

「聞く」・「聴く」を科学する
人の話を聞く時に、自分の言葉の中身で聞いているという自覚があって、聞いているだろうか?
言葉や表面的な気持ちや考えを聞くのではなく、その人そのものを理解する、つまり「人を聴く」聞き方をしているだろうか?
話し合いが「人を聴く」中身になると、快適で豊かな心へと進みます。
「人を聴く」話し合いは、知性が働きだして、様々な問題も解決の方向に進んでいくでしょう。
1月9~の「人を聴くためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
kana-garden-narcissus-15.jpg自分の意味合いでの聞き方。 相手への抵抗って、受け取りへの抵抗感!
自分の「聴く」の現状・実態、本来の「人を聴く」とは? そんなへんを調べたくての参加だった。
終了後に思うのはそこに、「実現するには」を加えたい気がする。

色々な問いかけ、エクササイズ、日常の自分の実例、コース中の実例、、、どこから探っていっても、いつも同じところに行きつく感じだった。
一人相撲、自分劇場、そんな言葉で表現されるような現状・実態かな。

相手のことを思っているつもりが、実際のその人ではなく、自分の頭の中のその人。
一生懸命聞いているつもりでも言葉や事柄のみ、そして自分の意味合いで聞いている。抵抗感・違和感も相手に向けているが、実は自分の受け取りへの抵抗感。(女性70代)
.
.
.
話や言葉を聞くから、心・内面を聴くへ
人を聴くはどういうことか
コースの最後のほうに、"その人は何をいいたいだろうか"というフレーズが出て来た。
自分がそれを読んで、"何をいいたいだろうか"というところに目が行く。

日常は、その人は何を言ったのかとか、こう言ったんだとか、これを言ったかったのかとか、それにばかり頭がぐるぐるしている。
話や言葉を何かわかろうとする。
"その人"というほうに関心が行くとはどういう感じだろう。

人に、心、内面、世界があることを知らないと、知りたいと出て来ない。
言動にとらわれて、生活している。
何によって、人を聴くが実現するだろう?
知るかな

知っている。 わかっている。 となっている自分を知ると自然に知りたくなるのだろう。
聴きたくなるのかな。(男性30代)
IMG_20220215_064857.jpg人の話を聞く奥に、無意識に働く人への反応、心に焦点を当てていく
コースでは自分が聞いている、そう捉えているのを知らない、反応の方に囚われている
人間の考えを理屈では理解できても、人間の考えであることを知らずに日々過ごしている、現状の日々を繰り返し見ていく

自分で捉えたもので認識して、外から引いてみている自分
表層の部分でしか捉えられないものからやろうとしている
空しく 寂しく 感じている
意識の方を大事にしていると見えずらくなる実際の方

聴けていなかった事例を出し合いながら
聞いたり、出したりしている中で、その人を知ろうとするひとの姿があって、自分の中にもある本当のものに気づいていく

どんな作用があるのか
知らないうちにその人の心の世界と反応しているのかな?
人と人 人の中で気づいていく知っていく
お互いが自然と欲求や気持ちが生まれてくるような、心が通い合う話合いはどんなだろうな?
人を聴きながら暮らす、日常の普通の風景になっていくのかな、特別なことではないのだろうな
いつも働きづづけているもの、日常をよく観察したい(女性40代)



認識の性質を知り、焦点が心に進むことは、争いの一切ない世界に繋がる
人は、おそらく、人を知りたいという欲求から言葉というものを産み出したのだろう。
人を知りたいというのは心を通わせたいということかな。
そして言葉を使って人と人がコミュニケーションをはかる。
しかし、言葉というものがどういうものかということを正しく知らなかったり、さらに言葉を捉える認識というものがどういうものかということを正しく知らなかったりしていることで、かえって行き違ったり(満たされない)、すれ違ったり(満たされない)、対立したりしている。

また、人の内面に対する関心の薄さというか、日常、言葉がその人、行動がその人という見方をしている。
言葉の前には、人の広く深い心の世界があることを知らない。
例えば「その人は、何を言いたいのだろう」と、言っている言葉やその意味をよく聞こうとする。
それで聞いたつもりになっている。
聞く観点が違う(人がいない)。

人を聴くが実現している職場。
人を聴くが実現しているミーティング。
人を聴くが実現している社会。
人と人が満たされ
争いの一切ない世界。(男性70代)
bgm_animal-1024x538.jpg
人を聴くためのコース | - |

自覚から始まる、柔軟で幸福な生き方

五感で捉える認識は、すべて、自分の頭の中のこと。
思考や感情も、ゆっくり見ていくと、自分の認識の癖が見え始めたりと、思い込みに気づいていきます。
思い込みへの自覚が、自然と決め付けからの解放を起こし、人間らしさを取り戻していく生き方へと進んでいきます。

12月25~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
蝋梅.jfif五感で感じて認識して ⇒ 自分の中の、自分独自の考えの「事実化」!
今、私が聞いたり見たりして五感で拾って認識したものは、すべて、自分の中のことで。
そして、五感で感じて認識したものを私自身が持っているブラックボックス(独自回路)へ入れ込み、自分の考えを作り出している。

全部、外、にあると思っていたことが、すべて自分の頭の中のことで。
こうだと思っていたはずなのに、どれもこれも確かなことではなかった。
よくこんなにいろいろ思って考えて、事実化して生きていたなぁ。

ほんま、労ってあげたいぐらい。
おつかれさまでした!私!!!
怖れや不安、まだまだ事実化していることたくさんあるけれど「あるな~」ってことさえ気付けば、どうにかなるんだろうな~なんて笑いながら思った記憶。(女性40代)
.
.
.
事実や実際のことを、話合っているという誤解からの、解放へ
話をするということは事実や実際について話合っているんだと思っていた。 ということに気がつけたのは大きいと思う。

私は私の中のことを話していて、相手は相手の中のことを話している。
あと1人で頑張ろうと独自回路グルグルしたら空回って自信がある状態になる場合もありそう。

自分の中って言っても色々な人の考えに影響されてるからもはや自分の考えとも言えない状態なのかなとも思った。(女性30代)
.
.
.
自覚ある状態から進んでいく「本心」、争いのない世界を作る
実際は、どうか 本来の人間とは、どういうものか 争いのない世界を作る人間の意識とはどういうものか、行きたい方向がわかった上での自分を知る。

自分ダメ!ってなるときの自分は、自分しか見えてなくて自分だけ辛い経験をしているような、ひとりで戦っているような、その意識からでは、本当に人を知りたいとか、行きたい方向にいきたい、とかにはならない気がする。

不安があるから自信をつけてやってきた。
自信なんかなくてもいい、信じるものなんか必要ない、何も知らなくていい、そんな安心できる人たちから生まれる社会はどんなんかな
自分を知る、自覚がある状態(女性30代)
img4621_DSCF8324.jpg
自分を知るためのコース | - |

安心と満足の日常を実現、新しい社会を探る

人は、家族やコミュニティの中に生まれ暮らします。
暮らしを通して、そこにある考え方を身に付けていきます。
自由な世界を好み、快適に生きたいという性質が、人には元々あると思いますが、理に適っていない考え方があると、窮屈さを感じたり、不快な感情も湧いたりします。
人の中に元々ある「幸せに生きたい」という欲求を実現するには? 
幸せな社会が欠かせません。

どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会、かってない新しい社会を探ります。

11月28日~の「社会を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
background-4896344__340.jpg「ねばならない」・・・とおさらば!
みんなの中で堅い頭が少しずつ解きほぐされてゆく感じがした。
「社会を知る」そのためには先ず現状の自分の中に出来上がっている、社会を知ってゆくところからと思った。
まるまる5日間はそこに時間を集中して行った感じがする。
僕の中ではゆっくりだけれど、みんなの出すのを聴きながら、「ねばならない」とする考え方が、しっかりと出来上がっていることが感じられた。

5日目の後半には、本当にこのまま社会が「ねばならない」で進んで行ったならば一体どうなるのだろうと、思った。
「どこにその出口があるのだろう?」そう強く感じた。

自分の中に「ねばならない」がひとりでに構築されてきたわけではないことはわかるけれど、余りにも当たり前になりすぎていて、感じなくなっている現状かなと思える。
社会で身に付いたものは、社会の中で脱ぎ棄てて、新たな社会を創る中で「ねばならない」「所有」とおさらばしよう。(男性70代)
.
.
.
のびのびと あるがままにいれる社会へ
人は 生きている間 たえず何かの行為をしている。
それは 心が満たされていたいからでは ないだろうか。
例えば あなたの洗濯をするのは あなたが満たされて、欲しいと思うから、同時に自分の喜びになり 満たされていく。

どの人にも無理をして欲しくない、やらせたり やめさせたりをしたくない。
本心で のびのびと あるがままにいれる社会、人の内面を重視する社会 とは どんなものだろうか。
どうやって 実現していけるのか。

今回 参加するなかで、若い人達に触れることで 純粋さや柔軟さを感じたり、今 コミュニティで行なわれていることやそこに込めて、専心する人達を感じることで 自分の心が揺さぶられ、その世界へと 手を引いてもらっているかのようだった。(女性60代)
.
.
.
満たされた世界への移行
前半3分の2くらいは~べきがいかに形成されたのか、そして最後の方は人が満たされる社会とは、内面を重視する社会とは、社会を創るとは、と行きたい方向の社会をみんなで探求した。

〇〇ちゃんが、満たされて満たされて満たされて・・・とか、
どうしたいか、とかそれ(想い)しか、ないときいたり、
心の手をつなぐ、とかきいたり、
なんか自分の中にはない豊かで満たされた世界があるんだなぁ、広がってるんだなぁ、

今までの人の考え(~べきの元である責任・権利・義務・所有・悪平等・悪博愛(自分で名づけた))でやってきた、縛りあげの頭から、~べきはない、~しなくてもよい、内面を見る、満たされた世界への移行。(女性30代)
iStock-1005877814-1024x683.jpg
社会を知るためのコース | - |

自分をそのまま見ることで、思い込みから解放される

自分自身を観察し、そのまま見ることで、自分の中の思い込みや決めつけに気づきます。 気づくことで思い込みや決めつけは自然に外れていくようです。

思い込みや決めつけから解放されることで、「実際はどうか?」と知性も正常に働き始め、物事を素直に見たり聞いたりできるようになります。
物事に対する自分の見方・聞き方を正常なものにしていく探究・集中の四日間です。

11月13日~の「自分を見るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
IMG_20211123_103319.jpgいくらでも聞ける、もっと知りたくなる
自分に目を向けて 具体的に細かく 分けて分けて 一つずつ見ていく
状況 反応 動作 言葉 そこだけをピックアップして ただ見てみる

どこから調べても辿り着く先に、浮かび上がるのは自分が捉えたこと 
ここからは出られない 

私が見た 聞いた 感じた そこから 全部 自分の中で起きている
自分が捉えたことに反応してる
自分が捉えている その一点 

頭からふわふわと吹き出しが出てるよう、相手の世界 私の世界
いくらでも聴ける もっと知りたくなる
ただ知るだけで世界は一変する(女性・30代)
.
.
.
一喜一憂は、自分の捉えたものへの反応
〜と思って〜した 意識と実際の行動
今までは、相手や状況、外のものと自分の中のものが、反応していると思っていたかな
見たり、聞いたりして
自分の捉えたものと、自分の中にあるものが反応して、行動として現れている

何に反応しているのかと見ていくと 自分の捉えたことに反応して 一喜一憂している、そんな自分の姿が可笑しかった
人は、その人なりの捉え方で、その人なりに反応している
一人一人違う 知りたくなる
だからこそ面白いのかな(女性40代)
img4425_DSCF8095.jpg主体性の自覚は、自由の自覚
最後の3日目の夜、また眠れなくなって、目を閉じたまま頭の中でぐるぐるパターンが始まった。
「見て、聞いて、捉えて、〜反応する」ということを思い出した。
何を見て、反応しているのか。 目を瞑っていて何も見てない。 
いやいや頭の中の状態を見ている。

そっか、自分はいつも頭の状態の中をずっと見ていて、いつも「悟り状態」という記憶と比較している。
それが反応だ。
そして、比較するという反応の次に、いまの頭の中の状態を「問題視」するという反応が起きている。
それから頭の中のなんとかしようとする反応が起きる。
これがいつもの慢性反応パターンだとふと気づいた。

問題視している。 問題と捉えている。 それを解決しなければ、だめだと捉えている。
だめだと捉えていたことがはっきり、くっきりと見えて来た。
自分の状態をだめだ、と捉えた瞬間、そこで決めつけ、自分の状態を見なくなっている。
その状態を見ることから離れて、頭の中で、考えで、この状態を変えたいと、なんやかんやともがいて、自分で苦しんでる。
この自分の心の状態をだめだとする捉え方を無自覚に延々とやってきて、ずっと気づかずにいた。

自分が捉えて、自分で反応しているという自覚は、主体性の自覚であり、主体性の自覚は自由の自覚につながる。
このことを自覚すればするほど、捉え方も、反応も、理に適ったものになっていく感じがする。
その自覚が深まるほどに、見て、聞いている自分も理にかなった自分になっていく感じがする。(男性60代)
.
.
.
自分がそう見て、そう思って、〜をした・・・主体的な生き方へ
自分がそう見ている、そう聞いている そこがどこまで身になっていけるか
言い聞かせるのではなく、その都度その都度

状況などの外のものとしている、しているものに、動かされるような状態と 
自分がそう見て、そう思って、〜をした と動くのとの違い。
主体的なようにも思えた。(男性30代)
自分を見るためのコース | - |

固定した考えからの解放へ


ほとんどの人が、今の社会の中で「~しなければならない・~してはならない」という固定した考えを身につけています。
そのような固定した考えで自分を縛り人を縛り、お互いの気持ちが見えなくなっているのではないでしょうか?
自らを縛る固定した考え・不自由な考えからの解放が、幸福な人生への一歩になると思います。
現状の自分を知ることで、新しい自分が見えてくる・・・そういう探求機会です。

10月3日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
20211006_113041.jpg感覚で捉えている・・・私の中にあるものを、ただ見ていく・・・。
6日間 言葉や角度は違えども何度も、同じことを繰り返し問い続けてきたように思う
人間の考えを知るから  人間の考えであることを知る 自分の考えであることを知る
具体的に日常を振り返る
自分の中にあるもの 繰り返し、ただ見ていく

自分の感覚で捉えてる その言葉になるまで、自分の中に何でこんな言葉や感覚があるのだろう
不思議なことばかり
知らない わからない ゼロから始まる

おぎゃーと生まれて周りの環境や人から、知らず知らず形成されてきた感覚 
捉えかた 考え 
それを知っていくところから 
知らない状態から本当の人生は始まるのかな
人は何をしようとしてるのかな(女性30代)
.
.
.
「しなくちゃ」・・・って、どんな感覚?
「どうも自分の感覚で動いているようだ」ということは感じられた。
この自分の感覚というものを、もっとみていきたい。
自分の動きの中に「しなくちゃ」として動いている面があり、それに、追われる感じ。(男性70代)20181127_110853-500.jpg
五感・感覚・思った・フィクション~解放される ⇒ 本来の姿は?
五感なしには生きていけないだろう。
感覚しかないかな。 
事実あるものを捉えるには、人みなそうしているのだろう。
相手も感じたこと、思ったことを言っている。
自分も感じたこと、思ったことを言っている。

感覚を使って捉えようとするが、こうだと結論付けたら、それは人間の考え。
これはこうだ、あの人はこうだとしたら、人間の考え。
捉えられないものを、捉えたとなったら既に違うのだろう。
これがキメつけ。
「自分がそう聞いた、見た」しかなくそこから始まっている、始めるしかないことを知ること。

自分がそう聞いた、見たことしかない。
捉えたものしかない。
捉えたもの全て、言葉になったもの全てが「フィクション」。
事例を通してより鮮明になってきた。
こんな状況だからこうした、ああなったというが状況も捉えたもの、フィクション。

そうなっているからそうしてる、となると、まるで機械の様。
自分や人の気持ちや心に関心が無くなる。
自分が捉えて構築した世界の中で勝手に反応、対応しているのはまるで一人相撲。

今回参加して自分の立っている位置がハッキリしてきた。と同時に
人(人間)の本来の姿が見えてきたように思う。

イメージでは風船が宙に漂っている感じか。
みんなふわふわ。
明るく楽しく面白おかしくどんな風にも漂っていける。
誰のどんな発言や行動もそのまま受け止められる。
悪感情、対抗的感情がなく柔軟で穏やか。
本来の姿とも言えるしここが最低ライン。

そうなってないとしたらそうなることを阻害するものがあるということ。
それは、人間の考えであるという一線を越えることによって起こる。
人間を知り、人間らしく生きる。
人間の考えであることをハッキリ知る、わきまえることから始めていきたい。(男性60代)
自分を知るためのコース | - |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >>