自分をそのまま見ることで、思い込みから解放される

自分自身を観察し、そのまま見ることで、自分の中の思い込みや決めつけに気づきます。 気づくことで思い込みや決めつけは自然に外れていくようです。

思い込みや決めつけから解放されることで、「実際はどうか?」と知性も正常に働き始め、物事を素直に見たり聞いたりできるようになります。
物事に対する自分の見方・聞き方を正常なものにしていく探究・集中の四日間です。

11月13日~の「自分を見るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
IMG_20211123_103319.jpgいくらでも聞ける、もっと知りたくなる
自分に目を向けて 具体的に細かく 分けて分けて 一つずつ見ていく
状況 反応 動作 言葉 そこだけをピックアップして ただ見てみる

どこから調べても辿り着く先に、浮かび上がるのは自分が捉えたこと 
ここからは出られない 

私が見た 聞いた 感じた そこから 全部 自分の中で起きている
自分が捉えたことに反応してる
自分が捉えている その一点 

頭からふわふわと吹き出しが出てるよう、相手の世界 私の世界
いくらでも聴ける もっと知りたくなる
ただ知るだけで世界は一変する(女性・30代)
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一喜一憂は、自分の捉えたものへの反応
〜と思って〜した 意識と実際の行動
今までは、相手や状況、外のものと自分の中のものが、反応していると思っていたかな
見たり、聞いたりして
自分の捉えたものと、自分の中にあるものが反応して、行動として現れている

何に反応しているのかと見ていくと 自分の捉えたことに反応して 一喜一憂している、そんな自分の姿が可笑しかった
人は、その人なりの捉え方で、その人なりに反応している
一人一人違う 知りたくなる
だからこそ面白いのかな(女性40代)
img4425_DSCF8095.jpg主体性の自覚は、自由の自覚
最後の3日目の夜、また眠れなくなって、目を閉じたまま頭の中でぐるぐるパターンが始まった。
「見て、聞いて、捉えて、〜反応する」ということを思い出した。
何を見て、反応しているのか。 目を瞑っていて何も見てない。 
いやいや頭の中の状態を見ている。

そっか、自分はいつも頭の状態の中をずっと見ていて、いつも「悟り状態」という記憶と比較している。
それが反応だ。
そして、比較するという反応の次に、いまの頭の中の状態を「問題視」するという反応が起きている。
それから頭の中のなんとかしようとする反応が起きる。
これがいつもの慢性反応パターンだとふと気づいた。

問題視している。 問題と捉えている。 それを解決しなければ、だめだと捉えている。
だめだと捉えていたことがはっきり、くっきりと見えて来た。
自分の状態をだめだ、と捉えた瞬間、そこで決めつけ、自分の状態を見なくなっている。
その状態を見ることから離れて、頭の中で、考えで、この状態を変えたいと、なんやかんやともがいて、自分で苦しんでる。
この自分の心の状態をだめだとする捉え方を無自覚に延々とやってきて、ずっと気づかずにいた。

自分が捉えて、自分で反応しているという自覚は、主体性の自覚であり、主体性の自覚は自由の自覚につながる。
このことを自覚すればするほど、捉え方も、反応も、理に適ったものになっていく感じがする。
その自覚が深まるほどに、見て、聞いている自分も理にかなった自分になっていく感じがする。(男性60代)
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自分がそう見て、そう思って、〜をした・・・主体的な生き方へ
自分がそう見ている、そう聞いている そこがどこまで身になっていけるか
言い聞かせるのではなく、その都度その都度

状況などの外のものとしている、しているものに、動かされるような状態と 
自分がそう見て、そう思って、〜をした と動くのとの違い。
主体的なようにも思えた。(男性30代)
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固定した考えからの解放へ


ほとんどの人が、今の社会の中で「~しなければならない・~してはならない」という固定した考えを身につけています。
そのような固定した考えで自分を縛り人を縛り、お互いの気持ちが見えなくなっているのではないでしょうか?
自らを縛る固定した考え・不自由な考えからの解放が、幸福な人生への一歩になると思います。
現状の自分を知ることで、新しい自分が見えてくる・・・そういう探求機会です。

10月3日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
20211006_113041.jpg感覚で捉えている・・・私の中にあるものを、ただ見ていく・・・。
6日間 言葉や角度は違えども何度も、同じことを繰り返し問い続けてきたように思う
人間の考えを知るから  人間の考えであることを知る 自分の考えであることを知る
具体的に日常を振り返る
自分の中にあるもの 繰り返し、ただ見ていく

自分の感覚で捉えてる その言葉になるまで、自分の中に何でこんな言葉や感覚があるのだろう
不思議なことばかり
知らない わからない ゼロから始まる

おぎゃーと生まれて周りの環境や人から、知らず知らず形成されてきた感覚 
捉えかた 考え 
それを知っていくところから 
知らない状態から本当の人生は始まるのかな
人は何をしようとしてるのかな(女性30代)
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「しなくちゃ」・・・って、どんな感覚?
「どうも自分の感覚で動いているようだ」ということは感じられた。
この自分の感覚というものを、もっとみていきたい。
自分の動きの中に「しなくちゃ」として動いている面があり、それに、追われる感じ。(男性70代)20181127_110853-500.jpg
五感・感覚・思った・フィクション~解放される ⇒ 本来の姿は?
五感なしには生きていけないだろう。
感覚しかないかな。 
事実あるものを捉えるには、人みなそうしているのだろう。
相手も感じたこと、思ったことを言っている。
自分も感じたこと、思ったことを言っている。

感覚を使って捉えようとするが、こうだと結論付けたら、それは人間の考え。
これはこうだ、あの人はこうだとしたら、人間の考え。
捉えられないものを、捉えたとなったら既に違うのだろう。
これがキメつけ。
「自分がそう聞いた、見た」しかなくそこから始まっている、始めるしかないことを知ること。

自分がそう聞いた、見たことしかない。
捉えたものしかない。
捉えたもの全て、言葉になったもの全てが「フィクション」。
事例を通してより鮮明になってきた。
こんな状況だからこうした、ああなったというが状況も捉えたもの、フィクション。

そうなっているからそうしてる、となると、まるで機械の様。
自分や人の気持ちや心に関心が無くなる。
自分が捉えて構築した世界の中で勝手に反応、対応しているのはまるで一人相撲。

今回参加して自分の立っている位置がハッキリしてきた。と同時に
人(人間)の本来の姿が見えてきたように思う。

イメージでは風船が宙に漂っている感じか。
みんなふわふわ。
明るく楽しく面白おかしくどんな風にも漂っていける。
誰のどんな発言や行動もそのまま受け止められる。
悪感情、対抗的感情がなく柔軟で穏やか。
本来の姿とも言えるしここが最低ライン。

そうなってないとしたらそうなることを阻害するものがあるということ。
それは、人間の考えであるという一線を越えることによって起こる。
人間を知り、人間らしく生きる。
人間の考えであることをハッキリ知る、わきまえることから始めていきたい。(男性60代)
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