本当はどうしたかったんだろう?  何が言いたかったんだろう?

ゆっくりと自分をそのまま思い出し、振り返る時間が内観です。
自分自身の過去を振り返り、周囲の人から受けたものを見つめ直すことで、自分の心が膨らんでいくのを覚えます。人は、多くのものを受けて成長しているのですが、そのことの実際に気づかずにいるのでしょう。12月2日から内観コースに参加した人たちの感想を紹介します。

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◆至福の時間
「内観は知るものでなくするものです」である言葉がありましたが、まさにその通りです。
母に対する私について調べていたとき、寒い冬に早起きして部屋をあたためていてくれ、さらに私の下着をストーブにかざしてあたためてくれていた母が思いうかび、涙が流れたのですが、その時内観とは至福の時間と感じました。(60代男性)

◆無条件の愛情
今回の内観で鮮明に蘇ってきたことは、まず父母の無条件の愛情でした。
そのことをいかに当たり前とし、父母の心を軽んじ、不足を思い、恩を感じず、我をとうして来た自分だったなと、
より良い自分を見せることや、得た知識を話すこと、また収入を得て自立したり、社会的立場が上がることが、父母が安心してもらえる事だと感じて行動したり、その行動の日々の中では、父母の心情を思うことなく、全く独りよがりの、自分でした。(60代女性)

◆おばあちゃんから受けていたもの
例えば、東村山に住んでいた時、おばあちゃんが毎日ご飯を用意してくれた。
“あらわれ”からすれば、「毎日ご飯を作ってもらう」という行為が見える。
ただ、その時受けているものは何なのか、ということを考えた時、“あらわれ”として目の前に出されるご飯の奥に限りない奥行きを持った背景があるように思われた。

おばあちゃんはもう高齢で体を動かすのも一苦労で、いつも「腰が痛い」「しんどい」「疲れた」とこぼしていた。
そんな中で、僕が食事を必要とする時はいつも自転車にフラフラと乗ったりして買い物に行き、温かいご飯とおかずを用意してくれた。
時には連絡の行き違いでご飯を作っても僕が帰って来なかったり、家にいなくて、せっかく作ったご飯が無駄になることもあった。
でもそんなことがあっても、僕に不満を言ったりもせず、次の日も「辛い辛い」と言いながらご飯を作ってくれたりしてた。

僕がおばあちゃんから受けていたものはその奥にあるとてつもないエネルギーのようなものだったようにも思えてくる。
おばあちゃんの中の何かがおばあちゃんを動かしていて、それが物理的な作用としておばあちゃんの様々な動きとして現れ、最後の結果として僕の目の前に料理として出される。
そこまでの人の行為を成り立たせるもの、原動力となるものとは何だろうか。
僕が人から行為を受ける、と言った時の本質的な部分は、そういう行為に現れる前の心の働きにあるように思われた。(20代男性)
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じっくり、ゆっくり、顧みる時間をもってみませんか・・・。

知らぬうちに自分を縛って、人も縛っていませんか?
あり方で心に蓋をして、本心が見えなくなっていませんか?
自分をジックリ観てみる機会を、自分にプレゼント・・・。
解放から、自由な心の状態、本心で生きる世界・・・自由への道。
10月のサイエンズスクールの内観コースに参加した人の感想を紹介します

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♡ あるがままを観る、気付きから本心へ「知る」とは!

母から受けて来たものは大きいと思っていたけど、改めて内観すると母の置かれていた状況とかに思いがいき、頭がさがる。僕は身勝手な奴だと。
今年母が死んだとき早く行って少しでも安心させてあげれなかったと自責の念。
母だけじゃなく父や兄、周りの人から受ける温かいものを感じる。

普段頭やる事一杯で中味、実際の方には意識言ってない。
責めたり恨んだり嫉んだり、そういった気持ちを打ち消すような努力してごまかし、認めていない自分に気付く。
そうゆう自分だと言うことを知っていまからか、その解消は。

仕事と自分の関係を内観した。
パット出てきたのは、生きがい。
その場を通して合う人とのつながり。
話したり、田畑や道具を貸してもらたり、喜びあったり、怒られたり、慰められたり。
タダでモノを貸してもらえる人が何人もいる僕は幸せものだ、改めて気付く。(56才男性)
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自分の今までを思い出していくと、豊かなものが見えてくる!

思い出してみる、ただ、じっと見る、ありのままをそのまま思い出してみると、奥の奥に見えなくなっていたものが、見えはじめる。
豊かな世界への入り口が開き始める。 
豊かなこころの世界に生きていることに気付き始める。
10月3日~開催した「内観コース」参加者の感想の一部を紹介します。
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あたり前になっているものを、ゆっくり観ていくと、元にある心に気付いていく
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最初にお母さんに対しての自分のことを内観した時、してもらったことを探してみてもあまり出てこなかった。
お母さんが私にしてくれていた事は、当たり前、お母さんだからして当然だ、と捉えていた事に気付いた。お母さんの行為が生活の中に溶け込んで、見えない感じ。
お母さんがしてくれてた事と同じ事を他の人がしてくれた時のことは、してもらったことで調べるとポンって出てくるけど、お母さんの時は出てこなかったな。

二周目の内観
お母さんが私にしてくれていた事が、
私が生きていくことを支えてくれていて、私が快適に生活できるようにもしてくれていて、安心して生活ができる空間をつくってくれていたんだなと、とてもありがたい気持ちになった。
もう一つ、気付いて良かったと思う事がある。
誰かがしてくれてる事をその人がするのが当たり前の事だと捉えると、その人がその行為をしてないと、してくれてないという風に思う事、見える事。
この内容は周りから何回か聞いていて、そうだよなと思っていたのに、自分がそういう風になっているのに気が付いてなかった。全く。
それで、満たされない感覚も出てきたりしてた。

今回のコースは、料理たちが揃った状態のお膳が宝箱のように見えた。
食材にも、育ててくれた自然にも、食品を育てる事から最後お膳を持って来てくれる事まで、どれだけの人とものが関わってくれたのかと思ったら、とてもキラキラして見えた。ありがたいなぁ。(20代女性)


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思い出しながら観ていくと、だれの中にもある、やさしい心に出会える
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生まれた時から、大学生の途中で家を出るまで、食事を何度食べさせてもらってきただろう。
内観を通して、母は、私のために最善と思われることをやり続けてくれたな、と思う。
(母とはそういうもの?なのかもしれないが)、そこまでやらなくてもいいのに、おいしいものを作ってくれたり、デパートで服を買ってくれたり、成人式には高価な着物を用意してくれた。

父は私が幼いころから怖いお父さんだった。
大きくて、声が大きくて、よくこづいてくる。
しかし父もまた、娘に最善を尽くしてくれた。

祖母は私をめちゃくちゃにかわいがってくれた。
どこにでも私を連れていき、中学の制服はわざわざ遠くから仕立て屋さんを呼び、仕立ててもらった。
神戸や、大阪のおいしいお店に連れて行ってくれたり、自分が出かけた時はスーパーなどでは売っていないブルーベリーのキャンディなどを買ってきてくれた。
おばあさんと一緒に寝るのが好きだった。
いつもおばあさんの暖かい布団に潜り込んで、ぐっすり眠った。
長男が生まれた時も、おむつを何枚も縫ってくれて、毛糸のズボンや、チョッキを編んでくれた。

息子の内観は楽しかった。
かわいい姿を思い出せるから。
親にはしてもらったことばかりだなあ、と思うが、息子にもしてもらったことばかりだなあと思う。
生まれてきて生きてくれることが、もう、してもらったことで、それ以上にやってもらったら、やってもらったことがありすぎる。余剰だ。(40代女性)


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じっくり記憶を探ると、ネガティブな記憶の奥に、深い愛情が浮上する
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母とのことを振り返る中、一度目は、寂しかった気持ちが最初出てきたのですが、つぶさに思い出してみると思っていたよりも母と過ごしていた時間が長かったことに気が付いて、嬉しい気持ちになりました。母はずっと大切な存在だったんだな、と感じ涙が出ました。

育ての親である祖母への感謝の気持ち、そして自分がいかに自己中心的でわがままだったか、を感じ、祖母の深い深い愛情を再確認しました。

自分がやった、と思っていることであっても、自分自身は本当にたくさんの人の「してもらった行為」の上で、ちょっとやってるだけのことであって、
お世話になっていることだらけ。

妻からもしてもらったことだらけ。
それなのに恨み言が出てくる。
本当にもうこんなネガティブな感情に自分のエネルギーを消費してしまうのは嫌だ。
本当に幸せで穏やかな日々を送りたい。
いつも本心、実際のもの、そのものに焦点のあたる生活を送りたい。(30代男性)


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思い出していくと温もりに出会い、記憶からエネルギーを貰う
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実際に内観を始めてみて、ただただ「①してもらったこと、世話になったこと ②してあげたこと ③心配をかけたこと、いやな思いをさせたこと」この三点を思い出せる限り記憶をたどってみて確認していくと、まずはじめに気付いたのは、してもらったことの多さとその内容の温かさ、ぬくもりです。
母が手作りのお菓子を作ってくれた、という記憶の中にも、その時母が泡立て器でカチャカチャかき混ぜている姿や、オーブンの中からよい香りが部屋中に広がってきたこと、ケーキの切れ端を集めて味見していいよ、と言ってくれた時の母の顔、そしてもちろん出来上がった時とそれを食べるときのなんとも満たされた私の姿とその間にあった母との空気。
記憶ってこんなに豊かに残っているのだ、と胸が一杯になりました。

集中内観の環境は、最初こそ戸惑いましたが、外部からの刺激をできるだけ断ち、そして体を動かすことさえも必要最低限にすることが、こんなにも記憶へのアクセスを容易にし、またその整理ができ、新たな視点をもって自分の人生と向き合えるのだと、驚くばかりです。

過去の記憶による勝手な思い込みや縛りを超えて、私は大切な人たちと、またこれから出会う人たちとどうやって生きていこうか。
記憶は信じられないと思っていたけれど、過去の記憶によって力を与えてもらい、元気に歩んでいけそうな気がします。(40代女性)
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自分の中を、そのまま観ていくと、自分を成り立たしているものが観えてくる

自分を顧みる、ゆっくりと、落ち着いて、認識のもっと奥、自分自身を見ていくと、もともとあるものが観え始める・・・自分の成り立ちにゆっくり気づき始めていく。
サイエンズスクール、8月2日~内観コース参加の人の感想文、一部を紹介します。
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終わった今、とても貴重な時で、始まる前に感じていた長さは全く感じていず終わることが残念にさえ思っている。
こんなに丁寧に自分に関わったのは、生まれて初めてもかもしれないくらい、自分に丁寧に関われた。
座っている間に自分の身体の部位を何度も丁寧に触ったのも初めての感触な気がした。
自分と丁寧に関わる以上に大事なことがあるのか、日々一体どんな事を大切にして、大事なことをおろそかにしているのか、とても大きな気づきだった。

母親との最初の調査は、やはり“怒り”の源、母のおかげでどんな目にあったのか、それが亡くなって8年たった今もどんなに自分を縛っているのかそんな気持ちだった。
でも、思ったよりは感情的にならずに進められたことに驚きだった。
そして、自分が認知できていなかったお世話になったことが、たくさん出てきた。
私は10月生まれなので、ちょうど今のような季節を大きなお腹でそれも一人で過ごしていて、それを乗り切ってくれたおかげで私はこの世に生まれでることが出来た。
そしてお乳を飲ませ、おしめを替え、服を着させ、お風呂にいれ、泣いたらなだめてくれて寝かせてもらって、そして長女だったのでそれらを全て揃えてもらって私は育つことができた。

そして、自分の人生を「嘘とごまかし」をテーマに内観。
3日目に入ったせいか、集中力が高まっているのか次々幼稚園時代からの人を思い出す。
出来事と人が走馬灯のように浮かび上がる。
そして出るは出るは、自分をごまかしてきたこと。
言えなかったこと。 やらなかったこと。
寂しいくせに、その場に100%関わっていないと自分から距離を置いてしまい寂しく居続けてきた。
自分からは入れてと言えない、本当に困っていても困っていると言えない、いいカッコをしてしまうがその結果に喜びはなく不満を収めてしまってきた。
本当は私どうしたかったのか、その自分の選択は自分の幸せから遠のいていたのではないか、そしてそのことは今も続けているのではないか。
でもすべての時代を振り返り、おもい出せたのはとても幸せなことだった。(50代女性)

今回の内観で一番に得たものは,自分が我欲の強い人間であることをはっきりと自覚できたことである。
我欲は,自らの普段の自己中心的な言動ともつながっている。
また,虚栄心や,自己顕示欲ともつながっているように感じる。
自分のそのような立ち振る舞いは,時として周りの人々の気持ちを悪くさせたり,傷つけたりする。
場合によっては,その人との関係を決定的に悪くすることもある。
それはまた,自分の幸せ感や喜びを阻害するものでもある。
これまでも,自分は我欲が強いと自覚できるチャンスは多々あったと思うが,それを覆い隠し,自己弁護でごまかしてきた。
またこれも我欲のなせる業であるかと思う。
内観を通じて,これまでの人生は,我欲が少なく,穏やかで,自分に無償の愛を傾けてくれる人たちに囲まれてきていたということも自覚できた。
母,父,弟,祖母,親しい友人たち,いずれも,である。
今頃の気づきでは遅いのではとも思うが,これまで無自覚で過ごしてきた日々を挽回すべく,まずは身近な人々に対して,自分がいただいた愛のお返しをして,さらには,その周りにいる人々や自然環境に対しても,我欲に溺れることなく,愛が傾けられるような人になりたいと思う。(50代男性)

高校時代でしてもらったことを内観、して、高校の恩師を思い出していた。
してもらったことを思うことは、不幸を幸福に変える魔法だった! 
私は、十分に配慮された教育を受けた少女であり、国語の先生の示してくれた思いやりで、私の定時制高校の生活は、苦から愛情いっぱいの高校生活だったことを、内観で思い出した!
決して不幸な少女ではなかった! “してもらったことの回想”は生きる力でさえある!

最後に・・コミュニケーションスタイルの変化!?
今回の内観を通じて、コミュニケーションは心と心の双方向と今更ながら気付く!
この内観の当初、“言いたいことを言っていた私自身”を見て、 一方通行だ! これでは心と心が通い合わない!と気づいた。(70代女性)

今回の内観コースに参加した目的は、自分を深く観察して自分が何を考えてきて何をしたいのかを知ることでした。中でも一番知りたかったのは、父母に対して自分が本当はどう思っているのかでした。
内観を進めるうち4日目あたりに「自分に対する嘘、ごまかし」を調べている最中に、自分があまりにも多くの方々にお世話になっていることに今更ながらに気付きました。
そのあと、感謝の渦に巻かれてしまい、自分が思っていた不満や葛藤はそのお世話になったことに比べると宇宙の中の紙屑くらいに思えて気にならなくなりました。
この内観コースに参加させて頂く目的の一つに父母に対する自分の感情を観るということがありましたが、何よりもこの肉体を産んで頂いたことへの感謝、そして育てて頂いたことに比べると、色々な負の感情は考えることですら無かったことだと思いました。

最終日は、本当に安らかで穏やかな気持ちで迎えることが出来ました。
今後は自宅に戻っても時々日常内観を心掛け、今回の気づきを忘れないようにしてきたいと思います。
また今まで多くの「して返せなかった分」を今後の森づくりやコミュニティづくりに投入して、未来に役立てたいと思います。(50代男性)
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自分を知るための内観コース

自分の人生に向き合う。

幼少時から現在に至るまでの自分とじっくり向き合ってみませんか?

その中で自分を客観的に観察する力も養われていきます。

客観的に自分を観る能力が出来てこそ、本当の自分を知ることも出来るようになっていくでしょう。

昨年12月の内観コースに参加した人の感想を紹介します。



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内観コースを終えて、今思うのは、自分の身の周りにある、豊かさに気づくことが、幸せにつながるように感じたことです。

内観では、自分の中の記憶をたどりながら、その時あったことをみつめるのですが、記憶を星で例えたら、私の場合大きくよく光る星ばかりで、それらはたいてい被害者としての自分の記憶で、「もっとこうして欲しかった」「もっとこうしたかった」という、子供の頃の私の声が聞こえてきました。

もう少し目をこらし、ようやく見えてくるのは、小さな星の集まりで、この中にようやく「してもらったこと」を見ることができました。その数は、実は大きな星よりも圧倒的に多く、すき間もないほどにあることにも気づきました。

人は満たされなかった欲求には、関心がいかなくなり、いつしか忘れてしまう。

けれども、満たされなかった欲求は、いつまでも手放すことなくその欲求もさらに大きくなり、記憶に残り続けるのかもしれません。

母からは、母を反面教師として「女性は自立すべきだ」という考えを。

決して私をほめることがない厳しかった父からは「自分は無価値な人間である」という考えを。

これらはいずれも私がこのように捉えたのですが、大きな力をもち、人生の中で何かを決断する時、選択する時、行動する時、人と接する時、すべてに影響を与え、私を苦しめてきました。

でも、人生とは不思議なもので、この影響を与えた本人である母の病気、父の病気を通じてと、わたし自身が会社という肩書きを捨てて、なんでもないひとりの人間になって、人生の底辺にいたということも重なり、家族と時にはケンカしたり、話し合い、助け合いとしている中で、その考えが全く私の勘違いだと気づかされるに至りました。

この経験は私には本当に意味が深く、この内観で振り返りながら、複雑にからまった糸が、きれいにまた一本の糸にもどったような、スッキリとした気分と透明な気持ちがしています。(これも家族の力により、解くことができました)(40代女性)



お母さんがいるから私がいるんだな。

お父さんがいるから私がいるんだな。

おばあさんがいて、私がいるんだな。

彼らがいるから、今の私がいるんだな。

お母さんに、父に、おばあさんに、彼らに

受けてきたすべてのことが今の私にある事なんだ。

私が持った考えも、

私が自分だとしてきたことが全部では分からないが、受けてきた考えだね。

実際に繋がっている存在。(30代女性)
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素直な自分に出会う~内観コース

静かな場所で、誕生から現在までの自分の歴史を振り返り、自己を発見する機会です。過去を振り返ることで、今まで思っていた過去の見え方が変わり、現在の自分の捉え方も変わります。

素直で正直な自分の心に出会うことでしょう。

8月内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。





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幼い時、お腹が痛い時にお母さんが手で撫でてくれるのが好きだった。でもある日叔母が、この子は構って欲しくてお腹が痛いと言ってるみたいとお母さんが言ってた、というのを聞いて、そうしてはいけないんだと思うようになったことが浮上してきた。

関心を受けたいということは甘えであって、そういうのは良くないという風に考えてしまったんだなあ。

お母さんに本当に愛されたかったけどそれを表現すれば、より愛されることが難しくなるようになってしまっていたようだ。

そんな風に話すと良くないと考えて、嘘をつくようになる瞬間等が見えた。

その時その時気持ちを素直に見ようとしたら、気持ちに、「良い」「悪い」というのがたくさんくっついていたんだなあ、と思った。(30代女性)





調べていくと自分でも不思議な自分の行動が出て来た。

よくよく見ると自分のその時の気持ちは全く分からないまま外に自分がどうすればいいかを求めていた。

私としては外に合わせているつもりだけど、それで合っているのか分からない、不安で怖くて余計に外に注意を向けて自分がどうするかを決めようとする・・その悪循環を繰り返して余計に訳が分からなくなっていた。さらにその時の事が《怖い事・良くなかった事》として記憶に残り、ついに《もう見たくない事》になっていた。

ここでも、怖いから見ない→見ないから更に怖くなる→更に怖いから見ない・・の悪循環を作り出していた。

自分に対して本当に無関心だったな・・と思う。

これでは本心は分からないし、自分でも分からない本心は他の人にも分かりようがない。

自分に本心があることが分からないから、人の本心にも関心が向かない。

まさに話し合えない自分だったな。(40代女性)





いつもどこかで、感情的に自分を見ていたり、何か解釈をした上でそれにそった自分を見ていたように思います。

それが今回、順を追ってゆっくりと自分を見ていくことで、今まで気づかなかった自分や周りの人のことについて見えるようになりました。

両親や祖父母が自分をどう扱ってくれていたか、どれだけの思いやりがそこにあったか。友人や先生、周りの人々にどれだけ恵まれていたか。

自分が気づかなかっただけで、自分はとても多くのものを周囲の人から受けており、自分の存在そのものもとても貴重なものなのだ、と深く感じました。

中略

内観をしてみて、いかに自分が狭い視野の中で自分を見ていたのか、自分が実際はとても大切に扱われていて、かけがえのない存在なのだということを強く感じました。

そして、僕の周囲の一人一人の人もそういうかけがえのない存在なのだとも。(20代男性)
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心の声を聴こう 内観コース

内観法とは、「自分を知る」ための方法として開発された自己観察法です。

昭和28年に奈良県で、内観創始者である故吉本伊信氏が内観道場を開設し、その効果の大きさから全国・世界にも拡がり、各方面でも注目されるようになって現在では、医療界・教育界、又企業の人材育成等多くの分野で利用されています。

サイエンズスクールでは、自分で自分を客観的に調べることができるようになるための有効な方法として内観法を取り入れ、「自分を知るための内観コース」として2006年から、毎月、開催しています。

この7月(7/2~8)に内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。

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身近な一人一人と向き合い自分の捉えた過去から実際を見る。

これを何度も何度も。丁寧に、じっくり。

丸一日をかけて時代を区切り細かくみる。

単純でシンプルなことだけどこれをくりかえすことで見えてくる実際にあったことと人。

実際のことと自分の考えや感情が混同しているということに気がついていく。

内観は過去の記憶から自分を知る作業かな。

自分てなんだろう。

実際の成り立ちを知りどんな人からどんな影響を受けてきたんだろうとみてみる。

愛情をうけて、たくさんの人に見守ってもらえたから存在することができているのだろうと思う。(30代女性)



面白かったのが、高校3年生になり、よく接する友人が変わり、その変わった友人の影響を受けてすごく自分の人間性が回復していったように思う。

その後も父も仕事が変わったと思うが、家族全体の仲が回復していったように思う。

内観中のCDの話でもあってそうだなと思ったのは、人間は環境の影響をとても受ける生き物だなというのを自分の人生を観察して感じた。

言い換えればそれ程人間にとって環境という要素が大きいと言えるのではないかと改めて思った。(20代男性)



自分を冷静に見れば見るほど、相手への愛情が湧いて出てくる。心が温かくなる。冷静な目で温かい心を回復するということ・・・おもしろいと思った。

自分は人間をどのように見ているのか。自分を見つめることで、人間観、世界観まで見えるということも。

不思議なことに、自分自身を見れば見るほど、自分と世界、自分と人間の間のつながりが見えてくる。

多くのものがありのままの姿で見えてくる。他人を見る視線で自分も見ていた。(30代女性)



思い出す印象的なシーンは、人生のうちのほんの数パーセントで、その他の膨大な時間の「いつもの」「何気ない日常風景」の中に、たくさんの人々、たくさんの思いがあるのかもしれないなあと思いました。

それは特に「受けたもの」を調べた時に思いました。

私の中にたくさんの顔が情景とともに浮かんできました。名前が出てこない人も多かったですが、こんなに多くの人が、ひっきりなしに私の人生に現れていたんだなあと感慨深かったです。

一人でやっていると思っている時でさえ、いや、そういうときこそ、たくさんの人に支えられているんだなあと思いました。(40代女性)

 

最後に嘘とごまかしというテーマで、自分をよく見た。

嘘だと思った時、人を欺いていると思ったが、実際は、私を欺きながら暮らしていたようだ。自分を見ないで、外に視線を置いて合わせようとする過程で、気がつかない嘘をつく時が多かったようだ。(良い振りをしながら、大丈夫な振りをしながら、上手くやる振りをしながら・・・など)そしてそれらがほとんど即時の反応として出たみたいだ。本当は何がしたいのか、自分にも分からないまま、何かをずっとやってきた時間が多くなかっただろうか?と、通り過ぎた時間がちょっと惜しく感じられた。(30代女性)



そう言えば、お母さん・お父さんは、私がどこで何をやっていた時でも、ずっとずっとそこにいてくれたなあ。一度もいなかったことのない、当たり前のようなこと。水のような、空気のような。それを飲んで、それを吸って、ここまで来れたことなんだなあ。

私のすべての出発点にしてベース。心強いバックグラウンド。

怪我しないように、病気にならないように、病気になったら早く治るように、よく食べてぐっすり寝てすくすく育つように、人として正しく成長するように…お母さん・お父さんは常に気をかけたり、体を動いたりしていた。

それは、あなたのことと私のこととして、区分した状態で出来ることではなかった。

お母さんの人生に、お父さんの人生の中に、いつも私のことまでが含まれていて出来ることだった。

お母さんからも、お父さんからも、「ああしろこうしろ」と言われたことがあまりないことに気が付いた。

両親はただ、毎日ご飯を作ったり、服と寝床を用意したり、住むところをちょっとずつ暮らしやすく整えてきた。

欲しいというものを買ってくれたり、お金をくれた。

私が家から遠いところに離れていった時にも、また戻ってきた時にも、二人はずっとここに居た。

一回もちゃんと意識したことはなかったけれど、その点においては本当に安心した状態で、私は思い切り離れて、好きに戻ってきて、また離れることを繰り返した。

その中で自分は、後ずさりしないで、ひたすら前に向かって進んできたような気がする。思う存分自分の人生を生きてきた。

ベースがあっての今なんだなあ。(30代女性)
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素直な自分に出会う~内観コース

今日から、6泊7日で、内観コース始まりました。

「内観コース」は、自分の人生にじっくり向き合い、「自分で自分を観る」機会です。

その中で自分を客観的に観察する力が養われていきます。

客観的に自分を観ることができてこそ、本当の自分を知ることも出来るようになっていくのでしょう。

3月「内観コース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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終盤になって、より具体的な場面を思い出し、その時の自分を見る。が、どうしても「あんなことしてしまった」「もう取り返せない」「悪いことをしてしまった」とドンドン反省する気持ちが出くる。面接でそのことを言ったら、「『悪いことをした』っていう気持ちをそのまま見るっていうか、認めるというか・・・」それを聞いた直後、僕の心がようやく長年の重圧というのか、突き刺さっていた棘がスッと抜けた。どういう作用か判然としないが、今まで自分の心を「悪いことをした」という思いで、固くしていた。閉ざしていた。それが一気に溶けて、開いた。

言葉にするとなんか物足りないけど、自分でもびっくりするような作用が心の中で起きた感じがする。

頭を使って唯々思い出すことだけをやってきたが、気が付くと心が穏やかになっている。

そんな一週間でした。(50代男性)



最初、内観は親などにトラウマを持っている人にとっては、いいかもしれないが、私のようにどちらかというと何不自由なく普通に暮らしてきた自分にはあまり必要ないかな、とも思っていた。

でも、内観をしてみて、「当たり前」の呪縛から外れてみえた、「何不自由なく」という言葉がまるで魔法のような、奇蹟に感じられ、どれだけ今の自分が両親や夫、友達などの多くのサポートによって、生かせれているのか、実感されて、有難く有難く、涙が溢れてくる。

母がどれだけ、自分に対してしてきてくれたことを改めて実感でき、まだ、母が生きているうちに内観が出来て本当に良かったと思う。(50代女性)



私という存在は、本当にたくさんの助けの中で育てられてきたんだなあ、と見えてきました。

子供の頃、両親と祖母の世話の中で、愛をたっぷりと受けて成長してきたんだな、と感じます。

生まれたときからおむつを何千回取り替えてくれたのか、ご飯も 数万回作って食べさせてもらい、洗濯も数千回して干し、私が着られるように準備してくれたのに、あまりにも当たり前に受け取っていたなと見えてきました。

このような部分に対しては、知っていると思っていたけどよく知らないでいたなと、知ることになりました。

母に対してを内観してみると、小学校の時で、雨が降る日の下校時、他の家の子供たちは、お母さんが傘を持って迎えに来るけど、私の母は来ないなと、雨に濡れて歩いて帰る、自分の姿を思い出しました。

その当時、母は教師の仕事をしていました。そのようなことがしばしばあり、私は、母はこのような事に関心があまり無いように思っていました。こんなに準備を色々としてくれたのに、関心の無い母親だと考えていました。

そんな、雨にちょっと濡れるくらい大きなことでもないと忘れていたようなことであったけど、今回よくよく考えてみると、私の母もこの時私を迎えに来たくなかったのか?雨が降る日、学校に居ながら、傘をさして帰っていく学生達を見ながら、自分の子供はどのように家に帰っているのだろうかと考えていなかったのか?と考えると涙が出ました。母はいつも私のことを思っていたのに、私は私のことに無関心な母だと思っていたんだな、と見えてきました。(30代男性)
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心の声を聴こう ~内観コース~

自分を見つめる時間を持ちたいと思っていませんか?

自分の<気持ち><心>を忘れていませんか?

静かな、ゆったりとした空間に身を置いてみると・・・

自分のこれまでの人生、どのように見えるでしょう。

自分の成り立ちが見えてくると、視点が広がり、心が軽くなるようです。

今回は、10月「内観コース」に参加した人の感想の一部を、紹介します。



前回に比べて過去をより詳細に思い出せていた。

幼い自分がそこに立って、歩き、視点を様々な人や場所に移していくことで、「ああ、そういえばこの人がいた、この場所はこうなっていた。」と思い出していき、それにまつわるエピソードが繋がっていく。それだけでも楽しかった。

さらにその頃の自分の感覚、無邪気に何か面白いものを探して、赴くままに思いっきり遊ぶ。ただただ人と笑いあって楽しく過ごしたいという感覚が思い出され、懐かしくて嬉しくて、涙が出てきた。今の自分には忘れ去られ、無くなってしまったのかと思っていたものが、こうして思い出せる。忘れていただけでまだ失ってはいないと思えた。

過去の記憶は現在の認識、言葉の成り立ちに大きく関係していると思う。過去に思い出される情景は、そのまま現在の周囲の環境の認識に繋がっている。なので過去の記憶を詳細に思い出していくということは、現在自分が捉えている世界を知っていくということと同じような感じがする。

ただ観るだけでいい。

これはこうだから良い、悪い。あの時はもっとこうしておけば良かった。あの人は嫌いだ。

人や事柄に対して、自分の中で既に意味づけされているものがある。また、思い出した記憶にすぐに意味をつけたがる自分がいる。「ああ、そういえばあの人はこんな事をした。だからあの人はこういう人なんだ。」思考を巡らして色んな解釈をしたがる自分がいる。

でもそれは、あんまりしなくてもよいのではないだろうか。

それは自分の中の自然な部分というか、自動的に出てくる部分がやってくれる。

(20代男性)



父と母がけっして楽ではない、仕事を続けながら(幾つか転職もくり返し)私と妹に、食事をさせ、おそろいの洋服を着せ、欲しいものを与えて、新しい家に住まわせ、大学までいかせてくれたこと。

それは、今まで親として“あたりまえ”と思っていた私でしたが、内観を続けていくうちに、そらがどれだけ大変なことだったかに、気づかされ、涙がとまりませんでした。

父の人生、母の人生にこれほど思いをはせたことは、今までまったくなかったと思います。

自分の人生をふり返ったとき、幼少期や小中高時代のトラウマとなるような場面(自分の記憶)が、いくつかありました。

人生につまづいた時には、その記憶を思い出し、「あの時、私は父や母から傷つけられた!」と人生がうまくいかないことを、親のせいのように思っていたこともあります。

今回の内観で、ずっとひきずっていた幼少期のトラウマが、ことごとく反転していきました。

自分劇場でトラウマだと捉えていたことが、対等に観ていく中で、その時の母の状況、父の気持ち。記憶に表れた細やかな場面など、違う視点で、観えるようになり、「あ~、わたしの勝手な思いこみにすぎなかったんだ」

「あの言葉は、本心ではなかったかもしれない」

「父も大変な状況だったよな・・・。今私がその立場だったら同じこと言っただろうなぁ」とか。

こんな風にそのときの場面を思い返して観ていくことで、トラウマだと思っていたものは、トラウマでは無くなり、逆に両親に聴いてみたいこと、そのころの両親と話してみたいことに変わっていきました。

とても貴重な体験でした。(50代女性)
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