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私は何を望んでいるのだろう?

2月22日から一週間「人生を知るためのコース」が開催されました。

韓国からの参加もありました。

「人とはなにか?」 「人の一生とはどういうものか?」

今までの自分の人生を振り返りながら、じっくりと根本から、「人生」を問う機会です。

参加した人の感想の一部を紹介します。



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数多くの経験を通じて、私の気持ちを総合して'私はこれがしたいのか?'と見るより、「私は何を望んでいるのか?」「私が持っている心はどうなのか?」と直接見て理解すれば、現象に現れた感情はその元から現れたことなんだというのを知ることが出来そうだ。

私の本心はどうかを見つめながら、感情、気持ちの根源をたどって行くと暖かくて平穏な、ある原初的な感じがある。

何か認識や感情がねじれて苦しみが起こる。

親しく過ごしたい本心が歪曲されて人と距離を置いたり、何か不足感を感じて満たそうとしたり、本来の心に焦点を合わせないと、満されたとしても、虚しい満足感や安心感が繰り返されるのではないか? 安心する満足するためには、本質的に私は何を望んでいるか、を知っていくことだ。 (30代男性)



これまで、心を大切にするということは、良い感情を持つことだ、と理解していたため、考えで感情を良いように変えようとする努力を長くやってきた。

しかし、人間として持って生まれた安心や満足に対する本能のような欲求は考えで変えられるものではないんだ。

その声に耳を傾けて過ごしたら敢えて考えで感情を変える必要もないんだ。

心に焦点を合わせて生きていけば、人の言葉や行動や現在の気持ちの状態よりもその人の心がどうか、不安ならどうすれば安心と満足の状態に進むことができるかについて調べるようになるんだ。

私たちはみんな同じことを追求する存在なんだ。

心が何か?よく解ってないが、安心と満足を追求する深いところの私がいるということに気づくだけでも人生が転換されるような大きな変化が感じられた。(30代男性)



心が汚れているとか、暗いとかあるが、本当に心が汚れているのか?

汚れが付いているだけで、心自体は汚れたり暗くなったりするものではない。

本来の心、色々な考えで見えにくくなっているが、それはいつでも変わらなく、人なら持っているものだと思う。どんなに現れたものがひどいものでも犯罪をした人でも、本来の心の方に目を向けてくれる人と話ができたら、救われる思いがするのではないだろうか。本当の自分を見てくれると感じるのではないか。(20代男性)



今私の中で願っている「何か」を深く探ってみた。

驚いたことに、「私を見て、私とあそぼうよ。」という幼い子供のような気持ちが見えた。

一緒にいた人たちに素直に表現してみて、何か変化が感じられた。

清々しさ、軽さ、満足感。

長い間、考えで、見ないように生きてきたんだなあ。

心をさらけ出してみるとより満足できるんだなあ。

こんな風に心をありのままにさらけ出して生きていきたいものだ。

私も私の周りの人たちと心ゆくまで共に生きていきたいという気持ちが強く湧き上がってきた。(30代女性)



「成り立ちを知る。」今までも頭では、そう思っていたが、自分の育ちをふりかえったり、今ここにいる自分を見たりして、「成り立ちを知る、その育景を知る」ことが大事。

人が生きるというのは、生れて、まわり(人・社会・自然などなど)をすべて受けて、形成されてるぐらい大きいと思った。

人が、人らしく(本心で)生きられるのは、どういう社会かというのが、もっと知りたくなった。(60代女性)
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