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安心と満足の日常を実現、新しい社会を探る

人は、家族やコミュニティの中に生まれ暮らします。
暮らしを通して、そこにある考え方を身に付けていきます。
自由な世界を好み、快適に生きたいという性質が、人には元々あると思いますが、理に適っていない考え方があると、窮屈さを感じたり、不快な感情も湧いたりします。
人の中に元々ある「幸せに生きたい」という欲求を実現するには? 
幸せな社会が欠かせません。

どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会、かってない新しい社会を探ります。

11月28日~の「社会を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
background-4896344__340.jpg「ねばならない」・・・とおさらば!
みんなの中で堅い頭が少しずつ解きほぐされてゆく感じがした。
「社会を知る」そのためには先ず現状の自分の中に出来上がっている、社会を知ってゆくところからと思った。
まるまる5日間はそこに時間を集中して行った感じがする。
僕の中ではゆっくりだけれど、みんなの出すのを聴きながら、「ねばならない」とする考え方が、しっかりと出来上がっていることが感じられた。

5日目の後半には、本当にこのまま社会が「ねばならない」で進んで行ったならば一体どうなるのだろうと、思った。
「どこにその出口があるのだろう?」そう強く感じた。

自分の中に「ねばならない」がひとりでに構築されてきたわけではないことはわかるけれど、余りにも当たり前になりすぎていて、感じなくなっている現状かなと思える。
社会で身に付いたものは、社会の中で脱ぎ棄てて、新たな社会を創る中で「ねばならない」「所有」とおさらばしよう。(男性70代)
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のびのびと あるがままにいれる社会へ
人は 生きている間 たえず何かの行為をしている。
それは 心が満たされていたいからでは ないだろうか。
例えば あなたの洗濯をするのは あなたが満たされて、欲しいと思うから、同時に自分の喜びになり 満たされていく。

どの人にも無理をして欲しくない、やらせたり やめさせたりをしたくない。
本心で のびのびと あるがままにいれる社会、人の内面を重視する社会 とは どんなものだろうか。
どうやって 実現していけるのか。

今回 参加するなかで、若い人達に触れることで 純粋さや柔軟さを感じたり、今 コミュニティで行なわれていることやそこに込めて、専心する人達を感じることで 自分の心が揺さぶられ、その世界へと 手を引いてもらっているかのようだった。(女性60代)
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満たされた世界への移行
前半3分の2くらいは~べきがいかに形成されたのか、そして最後の方は人が満たされる社会とは、内面を重視する社会とは、社会を創るとは、と行きたい方向の社会をみんなで探求した。

〇〇ちゃんが、満たされて満たされて満たされて・・・とか、
どうしたいか、とかそれ(想い)しか、ないときいたり、
心の手をつなぐ、とかきいたり、
なんか自分の中にはない豊かで満たされた世界があるんだなぁ、広がってるんだなぁ、

今までの人の考え(~べきの元である責任・権利・義務・所有・悪平等・悪博愛(自分で名づけた))でやってきた、縛りあげの頭から、~べきはない、~しなくてもよい、内面を見る、満たされた世界への移行。(女性30代)
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お互いを聴きあい、満たし合う、喜びの道
燃えている
からだじゅうに喜びみなぎる
嬉しくて、嬉しくて
居ても立っても居られない
知りたいことだらけ、やってみたいことだらけ、
この晴れやかさ、あぁなつかしい、自由の香り

社会を知るためのコース、最高だったぁ~
この日々を思い出すだけで心がじーんとして、愛おしい~
何から書こうかなぁ~、聴いてほしいことたくさんあるよ~
これまでたくさんの人に見てもらって、今回のコースで深いとこが照らされた~

自分の中の「ねばならない」の裏にある恐怖、お母さんを悲しませたくない。
これめっちゃ強かった。

常に何かしなければという意識があった。
何か学ばなければ、立派な人物にならなければ、自分を高めていかなければ、自分の行動・言動、一つ一つを見張り続ける。
ありのままの自分をずっと否定してきた。

お母さんを悲しませたくない、これが自分の中の「ねばならない」の裏にある恐怖の大部分な感じがする。
お母さんを悲しませたくない、この考えを調べてみると、自分がお母さんを悲しませることができると思っている。
そんなことは不可能だった。
仮にお母さんが悲しんだとしても、それはどこまでいっても、お母さんが僕を見て聞いて、お母さんの中で捉えたことでそうなっている。
人を悲しませることはできない。
自分の中にある恐怖の正体が明らかになった。
自分が作り出した恐怖に、恐怖していた。
ここが腑に落ちて、めっちゃ軽くなった。

そして、僕は実際のお母さんの気持ちを聴こうとしたことがほとんど無いんだなぁと思った。
お母さんはどんな気持ちで僕を地球一周に送り出してくれたんだろうか、どんな気持ちで育ててくれたんだろうか、いま、お母さんがとっても近い。

お母さんが悲しまないように良い子になろうとし続けてきたけど、実際のお母さんの気持ち全然聴こうとしてない。
いままで頭の中のお母さんと話してた。
年末、実家に帰ってお母さんと話すのが楽しみ。
久しぶりにお母さんと年越しだ。

自分の内から湧き出ているものだと思っても、それは何か外からのものが入っている場合がほとんだと思った。
心の純度が高くなった分だけ、見えてくるものがある。

よかれと思いしたことが裏目に出る。
よかれとは、ねばならないから産まれた考えかな。

自分の中にどんな気持ちがあるのか、本当にそうなのか?
ゆっくり、静かに、じっくりと、丁寧に、冷静に、知性と心を働かせて自分を見る能力を育ててゆきたい。
自分の無意識に入り込んだ不健康なものを、取り払う賢者のまなざしを自分の中に育ててゆきたい。

そしてそれは自分一人では難しい。
どこまでも本質を探究してゆく人々の中で、相手の内面をなによりも大切に聴こうとしてゆく人々の中で、本心のままに生きてゆこうとする人々のなかで、愛情行き交う人々のなかで、そんな人々の輪の中で心の手をむすんでゆく。
そうして自分の深い願いに、ありのままの自分に触れることができるのかな。
まだ見ぬ自分に出会いたい。
その道は苦しい修行の道なんかではなく、お互いを聴きあい、満たし合う、喜びの道。地上天国。

僕はそんな人たちと生きていきたい。(男性20代)
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人のための社会、そこに向かっていく
じっくり観察して、じんわり広がっていくような、ぶわぁーっと何もかもが繋がっていくような、そんな感覚を体験させてもらった6日間だったかな。
「見え方が変わっていく」 そんなかんじがする。

争いや貧困をくり返しながら苦しんできた社会も、実際の世界も、ずっと人の中に流れ受け継がれてきて私の中にある。
現状の社会を調べていくと、考えを考えで抑えていっても何も変わらないどころかどんどん荒んでいく社会が目に浮かぶ。
知らず知らずにみんなで身につけてきた不安ベースの社会、どうして人を責めるのか、どうして強制したり束縛したりし合うのか、誰も知らないまま誰も望まないことをくり返してる。

自分に問いかけてみる。
何もしなくても良い。
実際はしなければならないということは無い。
そういう心の状態。
真っさらな状態から出てくるものを望んでいるなぁ、と見えてくる。

本当はどうかな? と自分の中をよ~く観ていくと、相手がどうであっても、あるのは私の気持ちだけだなぁ、と軽くなる。
相手には相手の意思がある。
ただそれだけ。
自分をすごく不自由にして自分の気持ちを見えなくするもの。
相手を人として見えなくするもの。

自分も人も、その人の気持ちや意志が行為になって行き交っているかな。
こうだと決めて、考えで窮屈にしているものを解いていくと、自然と実際の世界が広がっていくような、人の心も行為も物も全部が繋がっていくような、いろんなことのつじつまが合っていくような感じがした。

ひとりひとりが尊重され、要求が満たされる
強制や束縛がなく 対立の起こりようのない社会

本当を願う人がいて、そういう人と人で創っていく。
「人のための社会」そこに向かっていくための、毎日。
いつも願いに沿って。

ここで受けてきたものをしみじみと感じながら、、、
今はこんなかんじかな。
書くの難しいな~(女性30代)
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