なぜ?自分の感覚、考えを主張し合うのだろう。

リンゴを食べて甘いと感じたら、「リンゴが甘い」と言えるでしょうか?
脳科学が進歩し、「物事の認識は個々の脳の中の作用」と、認識のメカニズムは、解明されてきました。が、日常では、自分が捉えたものを事実であるかのようにして、平然と、人に押し付けたり、人を裁いていることが多いのは、なぜ?でしょう。
9月「自分を知るためのコース」参加者の感想をどうぞ。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


言葉として「おいしい」「同じ感覚」でも、よくよく調べてみると違うのは、自分の中で発見だった。足りない、出来ない、行けないで悩む事が多かったからこの辺は今後考えてみたい。
「実際と自分の考えを区別して実際と自分の感覚を比較して考える」
「事実化」はおもしろそうなのでどうゆう事か考えてみたい。(30代男性)

自分が見たり聞いたりした事、自分の感覚で捉えた事が、「事実そう」になっていて、自分の頭の中で創り上げた人や事柄に反応していたんだなぁ。
「私は今、どうしたいのかなぁ、それは私の感覚であって、相手は別」と思っていても、自分の正しいとした上で、人の事を見ているので、事実・実際など「どうなんだろう?」と考える余地もない。(20代女性)

それぞれ一人一人の中の「分かった、知っている」が「決めつけ」となって事実として捉えられているから、正しい・正しくないとかなってしまうのだけど、それはどうしてそうなってしまうのか?
「自覚がないから」と言ってしまえば簡単だけれども、生まれてこのかた、そのような人間に囲まれ、環境に育ったのだから根は深いような気もする。
その都度その都度、丁寧な観察をして、自覚していくしかないだろう。(40代男性)

自分の感覚や思考を意識化,自覚化していきながら自分を知ることは,同時に他者を知ることにもつながる。こういうことができる者同士が話し合いをすれば,それは,感情や固有の価値観に縛られずに,相手を尊重しながら,冷静かつ有意なものになるのだろうと思う。そして,このようなことが広がっていけば,平和な社会,世界につながっていくとも思える。
人間の本質とは何か,理にかなった暮らしとはどういうものなのか,という思考にも少し進んだ。それは既に答えのある世界ではなく,答えを探求し続けるものであるということも目からうろこであった。(40代男性)

「人間の考え」と「事実、実際」
「人間の考え」はどこまでいっても「人間の考え」なのだなと。
「事実、実際」は原点?といったところか。
「事実、実際」と言っているのも人間。
張り合って、決め合って仲たがいしていきたいのか。
言い合って、聴き合って調べ合いたいのか。
言葉の前にある中身か、言葉巧みになりたいのか。
何のため?何故?それをするのか、何かそこを問われているような‥
人間の考え、自分の考えを自覚する。と、その先に何が現れてくるのか・・・。(20代男性)
- | - | -

「自覚」、自分を見つめ知ること

「意見が違うから仲良くできない」「意見が対立する」と言うことがあります。
この場合、相手に対して悪感情を抱いていることが多いでしょう。
意見が違うことはいくらでもあります。悪感情の原因は、意見が違うことではないですね。
悪感情の激しいのが、怒りや憎しみなどですが、ほとんどは、無意識に湧いてくる感情や感覚ですから、そうしている自覚もないことが多いでしょう。まず、それを「自覚」することです。
「自覚」は、反省ではありません。もちろん、自分を悔いたり、責めたりするものでもありません。良し悪しをつけずに、ありのままの自分を見つめ、知ることです。気付かないうちに、「こんな感情が出ている」「こんな風に人に接している」と、自覚し合うことです。
「自覚」は、意識上のことですが、この「自覚」が「心の状態」に大きな影響を及ぼすのです。

8月の「自分を知るためのコース」に参加した方の感想の一部をどうぞ!

こういう人は許せない、嫌だ。がある。
しかし、そう思う相手も、自分の中(脳)で捉えていること!
実際の相手は、自分が捉えている相手そのものなのかは分からない。 
そこで、実際の相手に興味が出てきた感じです。
相手は、どう考え、思っているのか? 
実際の相手を知りたいと思えてきた感じがします(50代女性)

なぜ自分の考えを事実と思うか。
それは、未だよく知らないからだ。
自分や相手が何をしているか、どうなっているのかを知らない。
知った分だけ、そのものを活かすことができる。
意識的な考えではなく、無意識に出てくる反応に自分の状態、回路が現れる。
どのようになっているかを観て、知っていく。(20代男性)

最初で最後のテーマ“自分を知るとは?”に対して私は自分が捉えたものは、認識であると自覚し、認識と事実のズレに気付いていくこと、という感じの事を書いた。
「自分が捉えたものはすべて自分の中の認識である」。
言葉ではこう言えても、実生活でどこまで自分のものになっていくか、それが重要だなぁと思ったし、今実生活に戻ってもすぐに戻ってしまう様な気がする・・・。
又、このセミナーを受けて一番感じた事でもあるが、私はどちらかというと自覚した後に認識と事実のズレに気付いていく方が重要なのではと今まで思っていたが、他の意見も聞いてみて、ただ“気付いていく”“知っていく”それだけでいいのかなぁと思った。(10代女性)
- | - | -

「知ろうとする」人間の営み「サイエンズ」

今年5月から、始まった「サイエンズを知るためのコース」。
「サイエンズセミナー」「自分を知るためのコース」で、サイエンズに触れて、「サイエンズ」をもっと知りたい、学びたいという人たちに好評です。
「サイエンズ」と、言っても、知らない、聞いたこともない人が、ほとんどだと思います。
「サイエンズ(SCIENZ) 」という言葉は、Scientific Investigation of Essential Nature
(科学的本質の探究)の頭文字、"SCIEN" と、Zero(ゼロ・零・原点・無・空などの意味)によるものです。
「サイエンズ」の目的は、ものの本質を探究し、そのものらしく生かす、そのものらしく生きることにあります。探究、つまり「知ろうとする」脳の働きで、人が生まれた時から始まる人間の本分とも言えるでしょう。
人間について知ろう 社会について知ろうとする、そして人間らしく生きようとする、
それが「サイエンズ」です。

8月「サイエンズを知るためのコース」に参加した人の感想レポートをどうぞ。

 シンプルで簡単なやさしい理をベースとして生きている。そして理をベースとしているので「不健康」だったら「健康」になっていく変化が起こっている。
 「人間本来の姿」「一つ」「本心」・・・理をベースとした表現に自分の深いところが動いている感じがした。
 シンプル&ニュートラル・・・これからも「人間本来の姿」を知り、「現状の姿」を知る。平静さを感じさせられたコースだった。そして、また「人生を知るためのコース」に参加したくなる、そんなコースでした。(40代男性)

 現状の「人間の考え」は固定や囲いや隔てといった理から外れた観念に囚われ、不健康な精神状態に陥っている面が大きいので、そういう現状をいくら改変しようとしても一向に解決の道筋は見えてこない。まずは人間本来の姿、健康な心の状態に立って、それを損なう原因を取り除いていくという道筋かと思う。
 サイエンズスクールを開設して一人一人が自分の中にある「人間の考え」がどうなっているか調べ、自覚して、本来の自分の姿に気づくと同時に、本来の自分の心の状態で暮らせる場として、as one鈴鹿コミュニティでの暮らしが用意されている・・・。
 ・・・そうだったのかぁ。と、つながった感じ。(60代男性)

言葉にできないほどいっぱいいっぱいのことが自分の中で響いていたけど、その中でも一つ、本の最後のところに  「人も社会も自ら育つものです」と書いていたことがずっと頭の中に残っている。そして、「慌てないで、焦らないで、「一つ」の道のりを一歩ずつ踏みしめて、しっかりした根と幹を育て、社会気風を醸成し、愉快に面白く、人間本来の姿に適った社会機構や運営法を確立していきたいのです。確立しつつあります」。
待ってもらったのだろうな。自ら育つものなんだろうな。それが理に適ったことなんだろうな。自分の内なるもので動く、本来の姿なんだろうな。それしかできないのだろうな。と、うれしくて、幸せで、満ち足りて、コースの最後の瞬間、涙が出そうになった。(30代女性)

生まれてこのかた、出発は現状からだったように思う。本来に思いを馳せるということは、なかったわけではないだろうが、そこから入り、検討しようとしたことはあったかな?あったかも知れないが、あくまでそこを見ていこうとしたことは、なかったんじゃないかな?
「人間本来の姿」を知るためには、サイエンズによって、となるのだろう。安易に「分かった」「できた」など、結論づけない営み。
科学的に本質を探究しながら、実現をはかる考え方。
ちょと興奮してくる。 探究の旅は、ずっと続くだろう。 孫、子の代を経ても。自分らの代は出来るところまで。 一万回検討しても、一万一回目はどうなのか? と以前に聞いて「うーん、そうだけど」となったが、そうかも知れないと思う。
数千年以上の歴史の上にある「現状の人」と「現状の社会」から、「人間本来の姿」、「一つの社会」を実現するには、理に適った道筋と方法が必要だとしています。
この「人間本来の姿」を知り、ということと、「固定や隔てのない一つ」が、今回、自分の中に入ってきたことかな。(60代男性)
- | - | -

人間らしく生きる

人の行為を問題視し、悪や間違いばかりが、目につく社会風潮の中、「人間には、悪事や争いはつきものだ。」と、いつの間にか、諦めてしまっていませんか?
「人間とはどういうものか」と調べ、人間を知るにつれて、知性、心などの人間性や、人生についても明らかになってきて、「こんなものだ」としていたものが、「いや、こんなものではない」と、人や社会を明るく展望できるようになります。
7月「人生を知るためのコース」の感想です。

じっくりと、ゆっくりと、真面目に、本気で、
自分の内面、本心に向き合ってみる。
人に、人間に、人生に向き合う。
これをしていってみよう。(60代男性)   

心とか自分というものについて考えたり、観察する機会になったかな、と思う。
これまで、考えや感情を自分と捉えて大事にしてきたので、凝り固まってしまっていたかもしれない。
こころを大事にする人達がいるというのが、ちょっと信じられないような、不思議な感じがする。
遊ぶような人生が、実現してしまうんだろうか。(40代男性)

考え、感情、気持ちはどういう所から出てくるのだろう。
人の成長から、辿っていくと、子供の頃は、善悪とかなく、成長するままに伸びている様に思うが、大人になるにつれ、いろんな知識が身について、いつのまにか人に対して恐怖感や警戒心、善、悪が先に出てしまう。
元はどうなっているのか。
何のために生きているのか。
心とは 心が満たされるとは
そのもっと元にあるものは、本来のと云ってもどんなものだろう。
わかるとかわからないとか関係なく、もともと具わっている、 人の生命力、みたいな・・・
(60代女性)

豊かな存在である、わたしにも、もちろん、あなたにも心がある。
わたしの心は、いったいどうなっているのだろう。
あなたの心はいったいどうなっているのだろう。
あらわれた言動のもとには、わたしやあなた、そのものがいる。
人に興味が湧いてくる、知りたくなってくる。
人の存在が近くなり、知ろうとした分だけ愛しいような気持にもなる。

わたしは何がしたいのだろう、きっと、わたしの心の底にも、幸せとか、健康とか、正常とか、快適とか、豊かさ、安心、満足、、、、、そんな願ってやまない確かなものがあると思う。
その実現を強く願っているに違いない。(50代女性)
- | - | -

自分のことであるという自覚

「自分が聞いたこと」は、「相手が言ったこと」でしょうか?
「自分は、○○と聞いた。」ということでしょうが、「あなたは、○○と、言ったじゃないか」と、相手を指摘するような経験がありませんか?
「自分が聞いたこと」を、事実だと思い込み、違う意見は、否定したくなります。今の争いごとの多くは、ここから来ていると思います。自分の感覚で聞いたこと、自分の感覚で見たことであるから、個々の捉え方の違いであるとの自覚があれば、それぞれに違いがあって当然だと思いませんか?
7月「自分を見るためのコース」参加者の感想をどうぞ!

「自分を見るとは」というテーマで、ずっと調べながら、私は随分自分に関心がなかったことに気づきました。
「自分が聞いた、見た」としていることの中身は、自分に「見えた」「聞こえた」だったのか!
知っているつもりになっていましたが、見えた、聞こえたことを、見た、聞いたどころか、ゆるぎない事実のようにとらえている自分がいました。
「聞いた」と「聞こえた」の探究で、「自分が聞きたいように聞いてる」といったことが、心に響いてきました。そうだなあ、聞きたいように聞いてるんだ、じゃあ、わたしはどのように聞きたいのか?そこに、関心を向けると、本当の自分の心がもっと見えてくるのではって、今はそう思っています。(50代女性)

見て、聞いて、反応するまでの一瞬の間に、頭の中では、今までの経験や常識、記憶、情報、価値観などにものすごいスピードで照らし合わせて反応している事が分かり驚いた。
これは帰って来てからの事だが、知るためのコースを受けた後は、「実際はどうか」と言う観点で日常の出来事を見て来たが、見るためのコースを受けた後は、私は何に照らし合わせて(捉えて)反応したのか?と言う観点から自分を見ている事に気付いた。
昨日、いつもだったら混乱したり怒ったりする出来事を、相手がどういう気持ちで言ったのかを理解した(聞いた)ら、ただ「あなたはそう捉えたのね」と思っただけで、感情が乱れる事がなく驚いた。
私の中で何が起こったのだろうか?
相手が話している内容が、私の事を言っているのではなく、相手が捉えた事を話していると認識したからだろうか?
なぜか楽チンな自分がいた。
自分を見て行くと、今まで無自覚だった自分の気持ちに気付いたり、私って~だと思ってこうしているんだ、と気付くとちょっと楽しいと思っている自分もいる。
何を捉えて反応したのか分からない事の方が多いけど、実際自分の反応が違ってきている事を感じているので、「何かが」変わったのだろう。
まだまだ探究を続けて行きたい。(40代女性)
- | - | -