素直な自分に出会う~内観コース

静かな場所で、誕生から現在までの自分の歴史を振り返り、自己を発見する機会です。過去を振り返ることで、今まで思っていた過去の見え方が変わり、現在の自分の捉え方も変わります。
素直で正直な自分の心に出会うことでしょう。
8月内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。


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幼い時、お腹が痛い時にお母さんが手で撫でてくれるのが好きだった。でもある日叔母が、この子は構って欲しくてお腹が痛いと言ってるみたいとお母さんが言ってた、というのを聞いて、そうしてはいけないんだと思うようになったことが浮上してきた。
関心を受けたいということは甘えであって、そういうのは良くないという風に考えてしまったんだなあ。
お母さんに本当に愛されたかったけどそれを表現すれば、より愛されることが難しくなるようになってしまっていたようだ。
そんな風に話すと良くないと考えて、嘘をつくようになる瞬間等が見えた。
その時その時気持ちを素直に見ようとしたら、気持ちに、「良い」「悪い」というのがたくさんくっついていたんだなあ、と思った。(30代女性)


調べていくと自分でも不思議な自分の行動が出て来た。
よくよく見ると自分のその時の気持ちは全く分からないまま外に自分がどうすればいいかを求めていた。
私としては外に合わせているつもりだけど、それで合っているのか分からない、不安で怖くて余計に外に注意を向けて自分がどうするかを決めようとする・・その悪循環を繰り返して余計に訳が分からなくなっていた。さらにその時の事が《怖い事・良くなかった事》として記憶に残り、ついに《もう見たくない事》になっていた。
ここでも、怖いから見ない→見ないから更に怖くなる→更に怖いから見ない・・の悪循環を作り出していた。
自分に対して本当に無関心だったな・・と思う。
これでは本心は分からないし、自分でも分からない本心は他の人にも分かりようがない。
自分に本心があることが分からないから、人の本心にも関心が向かない。
まさに話し合えない自分だったな。(40代女性)


いつもどこかで、感情的に自分を見ていたり、何か解釈をした上でそれにそった自分を見ていたように思います。
それが今回、順を追ってゆっくりと自分を見ていくことで、今まで気づかなかった自分や周りの人のことについて見えるようになりました。
両親や祖父母が自分をどう扱ってくれていたか、どれだけの思いやりがそこにあったか。友人や先生、周りの人々にどれだけ恵まれていたか。
自分が気づかなかっただけで、自分はとても多くのものを周囲の人から受けており、自分の存在そのものもとても貴重なものなのだ、と深く感じました。
中略
内観をしてみて、いかに自分が狭い視野の中で自分を見ていたのか、自分が実際はとても大切に扱われていて、かけがえのない存在なのだということを強く感じました。
そして、僕の周囲の一人一人の人もそういうかけがえのない存在なのだとも。(20代男性)
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私は、どんな社会に住みたいだろう? 「社会を知るためのコース」

人が本当に幸福に生きていくことを突き詰めていくと、自分一人だけで幸福に生きることは出来ないわけで、幸福な社会が必要不可欠なものとして浮かび上がってきます。
どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会が実現されていくには・・・?
人とは、人生とは、社会とは、社会をつくるとは、と探り、かつてない新しい社会を創造していくためのコースです。
7月「社会を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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「社会」が自分の外に大きくあるのでなくて、
自分が社会。
人と人のつながりが社会。
人の気持ち・意志で営まれる社会。
外のもの(やらなければならない・してはいけないことがあるベース)でなく「自分も人も社会も何をしなくてもよい」がベースから、~してほしいと要求し、それが認められ、受け入れられて、心が満たされていく社会。
どこまでも「人と人の気持ち意志の社会」とシンプル!
子どもが~してほしい(気持ち)、それを自分の気持ちが、それをやりたい気持ちが湧いているのか、見ないで、「やるのが良い」でやることが、やってもらうのが当然(いばる人)をつくる・・・これもビックリ!
これは自分の中で小さい時から強く入っている。
実際は何もしなくてもいい(本当だなと思う) → やりたい気持ちが湧いているかを見る。
やりたいかやりたくないかと今まで見ていた。
「人のための社会」がより鮮明に具体的になって見える。(70代女性)

人の気持ちと気持ちが出会って社会が創られる。
人の気持ちと気持ちが出会う瞬間、お互いがお互いに、そして、その周りにも新しい社会の空気が創られてくる。
人の気持ちと気持ちが出会うということは、
「人は何で動くのか」「人は何で生きるのか」「どこを見てその人だとするのか」を知っていき、自分の中にある気持ちがそのまま現れるところからスタートなんだろう。
やることが当然となっている状態では「やりたくない気持ち」が目立って見えるし、しなくても良い状態では「やりたい気持ち」しかないんだなあ。(30代女性)

コ-スの最初の時、どの人も自由にしたらめちゃくちゃになった社会を想像する自分がいた。
一週間のコースはそこからどうしてそういう風に考える状態になっているかを調べてみる過程だった。
一週間、調べながら残ったのは、結局 人と人の心、本心から湧いて来る意志と意志が出会って、お互いに 生きていく社会へ一緒に進んでいくだけだなと思った。
実際に起きていること、実際にあることを見ながら生きることだな。
義務、責任、権利、所有などがすべてない、何もしなくてもよい原点に立つと何が残るか。
一人一人の自発的自由意志、本心からの意志。
そこから始める社会はどんな姿だろうか。
でも、とても簡単という気がした。
ひとの心から湧いてくる要求と要求の出会い。 それが現れて作られる社会。
人、一人一人はそういう状態がなくても何もしなくてよい社会の気風、その中でそういう人達の関係の中で互いに内面を重視しながら進んでいく社会。
どんどん、もっと、明らかな方向へ。
自分の中が何もしなくて良い状態になっていく方向へ。
そういうお互いになっていく 方向。
その道が全人類も、自分も幸せになる方向ではないかな。
本当の社会は、どんな姿が現れるかな。(30代女性)
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「私の人生」を生きているだろうか? 人生を知るためのコース

結果に一喜一憂する、周囲の評価を気にする、他の人の言動が気に障る等々は、自分の生き方をしていないことから来るのではないでしょうか。
趣味・興味・関心・得手不得手・感情・欲求・願望・知識・経験・発想・思考等々、自分のものだと思っていても、自分の生き方をしていない自分から出ているものかもしれない。
人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
7月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部です。

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更に4日目に「一つの世界」「地球は一つ」というテーマで検討していくうちに、すごく、私の家は家、Aちゃんは関係ない別の人みたいに、バラバラに捉えてる自分の観え方が見えた。
バラバラ・別々関係ないものを、一生懸命受け入れようとしている自分、受け入れないのはひどい人、ダメな人としている自分、間違った捉え方から出てくる気持ちにマル、バツを自分自身でつけて、ダメだ出来ていないとして落ち込むという、とても複雑な迷路の意識に迷い込んでいたようだ。
実際の成り立ちを観てみると、水も雨になったり川になったり、海に行ったり蒸発したりして繋がっているし、自分もそれを飲んだり食べ物を食べたり、自分が生まれて今、ここにいる事だって繋がりの中で存在している、人だけ別という事はないと思う。
何か、人だけは別みたいに捉える意識があったな。
別々に観ていて、それは良くない事としていたんだな、「実際の世界」の成り立ちはどうかな、全てが一つで繋がっている、そしたら、私は「イヤなんだ。」とかいう気持ちも安心して言えるような気がする。
何だかこのからくりが観えた時、心の入り口のもつれた部分を発見したみたいで嬉しかった。(50代女性)

自分が自分の意志で生きていると思っていたけど、実際の世界を少し垣間見ると生かされているとしか言いようがない。
地球が超高速でまわりながら太陽の周りをまわっているのに私たちは何も感じないし、太陽からの距離といい、大きさといい傾きも生き物が生きれる環境が、偶然にもというか必然的にというかできてしまった。
何かの作用というかバランスというのか。
自分が生きるためにやってることもほんの少し。
ほとんどやってもらってる。
そして自分じぶんと言ってるこの自分も、生きようとするエネルギーからなにか欲求が出て来るけど、あとは受けたものでできている。
人、食べ物、自然などなど、それぞれの背景もあり、成り立ちは計り知れない。
今までは自分も人も、すべての繋がりの中で必然的に現れている現象を見てその人、そのものとしていた。
自分もその人にも心がある。確かに自分にもある。
そして人には本心がある。
私にも本心がある。
トマトみたいにどんな環境でもトマトらしく生きようとするエネルギーのような力というか欲求が人間にも元々ある。
自分の中から湧き出てくるもの。
安心したい。満たされたい。幸せになりたい。みんな幸せ。豊な人になりたい。
本心で生きる。本心が目的でそれを実現するための手段が仕事や暮らし。
いつの間にか手段が目的になってしまう。
自分ひとりで本心で生きようとしても無理がある。
みんなが本心で生きれるような社会がいいな。

本心はわからない~と自分をごまかさないで自分の内面に目を向けてみよう。
やることはそのぐらいかな。自分の中を観察・探究する。
欲求はみんな本心から出てるけど心の状態で反応が色々なのかな。
自分の要求が何かもっとハッキリしてもっとシンプルになる感じがする。
何で自分が満たされるのか?
本心から出てくる欲求や要求が満たされて、実際の世界を知れば知るほど豊になり知性や心が育ち成長していくのかな。
年をとればとるほど心が豊になっていく。そんな人生を送りたい。(40代女性)
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自分を観察してみよう。~ 自分を見るためのコース

自分自身に対してや、日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観・人間観・社会観などを物差しとして判断しているのだと思います。
その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。
その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから放たれ、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになるでしょう。
7月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想レポートの一部を紹介します。

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「自分が何を見たのか?」  道
「そこから何を捉えたのか?」  家へ帰る道
「反応は?」  安心
普段、見たものと反応がごちゃごちゃに混ざっていたり、自分が特定の捉え方をしていることを忘れたりしている。そしてそのまま、それが事実だと思い込んだりする。それを繰り返しているとだんだん視野が狭くなっていったり、自分を追い込んでいったりするのかな。
あとは、「見る」ことを妨げる一つの要因として善悪という話もあった。
自分の捉え方や反応に良い悪いを考え始めると見えにくくなる感じがある。
こんな捉え方をするのは良くない、とか、こんな反応をしては良くない、みたいな。
捉え方や反応そのものに良いも悪いもない。
怒るのが悪いとか、そういう話ではない。
反応や捉え方はいろいろしていて、それをどうこうしようという前に、まずはそのものを見てみる。
そこから始めることで、自分の捉え方の癖を自覚できたりするんじゃないかな。(20代男性)

○○さんを見て、イラッとする反応が出た。
その時点では、○○さんの言動に反応したようだった。
けれども、自分の中で起きたことを見てみると、自分の捉え方があるのが見えてきた。
自分が、○○さんをどう捉えているのか、ひいては、人というものをどう捉えているか、にも通じると思った。
「こうしよう」となったら、相手はそうするものとか、そうして当然とする捉え方。
逆に言えば、自分はそうしなくてはならない、そうしないのはよくないとする捉え方。
まずは、こういう捉え方をしている自分だということ、このことをじっくり見ることができた。
こういう自分の捉え方という自覚があるということ、ここから始まると思う。
これから、自分に起きてくる反応を見てみるのが楽しみだ。(60代男性)

赤信号は止まるもの、交通ルールだから、しかし、やはり、自分の中では、赤信号は止まらなければならない。
と思っている自分がいる。
だから、赤信号を見ると、ちょっと、不愉快な気持ちになる。
そう反応している自分に対しても、何か認めたくない自分がいる。
事実を受け止めるんだとか、ささいなことに動揺しないとか、そういう考え方が自分の素直な反応を見ないように、制御している自分がいる感じもある(分析だから、そうとらえるのも自分の考えの方)。
この微かな動揺は、人に対して起こっている。
人の行為を分析してみたくなるのは、自分の反応の仕方を納得・理解したいからか・・納めたいと思うからか。
みんなが自由奔放にしていたら、何か自分の気持ちが収まらない感じがある。
「ただ、見る。」
「ありのままを見る。」
「どう反応しているか見る。」
「どのように捉えているか、見る。」
まずは、素直に自分の中に起こっていることを見てみたいなーという感じ。(50代男性)
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自分の成り立ちを知ろう 自分を知るためのコース

「自分を知るためのコース」は、自分の行動や思考・感情などを、自己観察し、科学的に分析するコースです。
自分の存在、成り立ちや背景、あらゆるものとの関連を知ることで、心豊かな自分になっていきます。思い込みや決め付けから解放され、人間らしさを発揮し、知的に幸福を探究していくための基礎コースです。6泊7日で毎月開催しています。
7月(7/23~29)の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

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私はどうして今の私になったのだろう。
いくつもの???が膨らんだ7日間だった。
自分を知るということは、自分という個から抜け出し、無限に広がる世界に踏み込む一歩なのかもと思った。(40代女性)

やれているか?
間違ってないか?
おかしい事言ってないか?
いいか悪いか、正しいか等で、考えに行くと
不安や焦燥感、(劣等感・上下感・優越感)
何かに反応してイライラする感じ。
やれているか?からでなく
とりあえず、観てみよう
やってみようっていう方に行くと
不思議とストレスが和らいでいった気がする。(20代女性)

記憶や経験で作り上げた根拠もまた、自分の感覚であり、事実ではない。
他の人と、共通のものとして通用しそうな、一般概念、色、ものごとの形容なども自分が捉えた感覚であるが、それを自分の外にあるもの、自分の感覚外のものとすることでその考えに自信をもち、自分が正しいとしてしまう。
自分の捉えた世界があれば、他人が捉えた世界もある。
捉えたものが自分独自のものだと自覚し、他の人に通用するものではないと気づくことで、決め付けや思い込みが減っていき、よりよい関係を続けていけると思っている。(40代男性)

「知った。」「わかった。」という固定的な考えが生じるメカニズムが以前より明らかになった感じがする。
隔てというのもあるだろうが、基は固定の考えから来ているように思う。
このコースで触れてる部分は人間問題の根本の部分だなという感じがした。
人間の頭の中のどの部分で、固定が生じてるかを改めて調べていくと、「人間の考え」の部分のように思う。
もっと言うと、「固定的な考え」が生じてるのは「固定する考え方」からだろう。
「わかった。」ということがどういうことかと言うと、「事実をわかった。」ということだろう。
言い換えると、事実を知らないという意識が無い状態だろう。
事実実際と自分の感覚の区別が無い、事実実際と自分の感覚というのをそれぞれ知らないとも言えるだろうか。
事実実際のことと、事実実際の何かを自分の感覚で見て聞いて捉えていることが関係はあるが全く別のモノということを知ることが大きいように思う。(20代男性)
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