「自覚」、自分を見つめ知ること

「意見が違うから仲良くできない」「意見が対立する」と言うことがあります。
この場合、相手に対して悪感情を抱いていることが多いでしょう。
意見が違うことはいくらでもあります。悪感情の原因は、意見が違うことではないですね。
悪感情の激しいのが、怒りや憎しみなどですが、ほとんどは、無意識に湧いてくる感情や感覚ですから、そうしている自覚もないことが多いでしょう。まず、それを「自覚」することです。
「自覚」は、反省ではありません。もちろん、自分を悔いたり、責めたりするものでもありません。良し悪しをつけずに、ありのままの自分を見つめ、知ることです。気付かないうちに、「こんな感情が出ている」「こんな風に人に接している」と、自覚し合うことです。
「自覚」は、意識上のことですが、この「自覚」が「心の状態」に大きな影響を及ぼすのです。

8月の「自分を知るためのコース」に参加した方の感想の一部をどうぞ!

こういう人は許せない、嫌だ。がある。
しかし、そう思う相手も、自分の中(脳)で捉えていること!
実際の相手は、自分が捉えている相手そのものなのかは分からない。 
そこで、実際の相手に興味が出てきた感じです。
相手は、どう考え、思っているのか? 
実際の相手を知りたいと思えてきた感じがします(50代女性)

なぜ自分の考えを事実と思うか。
それは、未だよく知らないからだ。
自分や相手が何をしているか、どうなっているのかを知らない。
知った分だけ、そのものを活かすことができる。
意識的な考えではなく、無意識に出てくる反応に自分の状態、回路が現れる。
どのようになっているかを観て、知っていく。(20代男性)

最初で最後のテーマ“自分を知るとは?”に対して私は自分が捉えたものは、認識であると自覚し、認識と事実のズレに気付いていくこと、という感じの事を書いた。
「自分が捉えたものはすべて自分の中の認識である」。
言葉ではこう言えても、実生活でどこまで自分のものになっていくか、それが重要だなぁと思ったし、今実生活に戻ってもすぐに戻ってしまう様な気がする・・・。
又、このセミナーを受けて一番感じた事でもあるが、私はどちらかというと自覚した後に認識と事実のズレに気付いていく方が重要なのではと今まで思っていたが、他の意見も聞いてみて、ただ“気付いていく”“知っていく”それだけでいいのかなぁと思った。(10代女性)
- | - | -

「知ろうとする」人間の営み「サイエンズ」

今年5月から、始まった「サイエンズを知るためのコース」。
「サイエンズセミナー」「自分を知るためのコース」で、サイエンズに触れて、「サイエンズ」をもっと知りたい、学びたいという人たちに好評です。
「サイエンズ」と、言っても、知らない、聞いたこともない人が、ほとんどだと思います。
「サイエンズ(SCIENZ) 」という言葉は、Scientific Investigation of Essential Nature
(科学的本質の探究)の頭文字、"SCIEN" と、Zero(ゼロ・零・原点・無・空などの意味)によるものです。
「サイエンズ」の目的は、ものの本質を探究し、そのものらしく生かす、そのものらしく生きることにあります。探究、つまり「知ろうとする」脳の働きで、人が生まれた時から始まる人間の本分とも言えるでしょう。
人間について知ろう 社会について知ろうとする、そして人間らしく生きようとする、
それが「サイエンズ」です。

8月「サイエンズを知るためのコース」に参加した人の感想レポートをどうぞ。

 シンプルで簡単なやさしい理をベースとして生きている。そして理をベースとしているので「不健康」だったら「健康」になっていく変化が起こっている。
 「人間本来の姿」「一つ」「本心」・・・理をベースとした表現に自分の深いところが動いている感じがした。
 シンプル&ニュートラル・・・これからも「人間本来の姿」を知り、「現状の姿」を知る。平静さを感じさせられたコースだった。そして、また「人生を知るためのコース」に参加したくなる、そんなコースでした。(40代男性)

 現状の「人間の考え」は固定や囲いや隔てといった理から外れた観念に囚われ、不健康な精神状態に陥っている面が大きいので、そういう現状をいくら改変しようとしても一向に解決の道筋は見えてこない。まずは人間本来の姿、健康な心の状態に立って、それを損なう原因を取り除いていくという道筋かと思う。
 サイエンズスクールを開設して一人一人が自分の中にある「人間の考え」がどうなっているか調べ、自覚して、本来の自分の姿に気づくと同時に、本来の自分の心の状態で暮らせる場として、as one鈴鹿コミュニティでの暮らしが用意されている・・・。
 ・・・そうだったのかぁ。と、つながった感じ。(60代男性)

言葉にできないほどいっぱいいっぱいのことが自分の中で響いていたけど、その中でも一つ、本の最後のところに  「人も社会も自ら育つものです」と書いていたことがずっと頭の中に残っている。そして、「慌てないで、焦らないで、「一つ」の道のりを一歩ずつ踏みしめて、しっかりした根と幹を育て、社会気風を醸成し、愉快に面白く、人間本来の姿に適った社会機構や運営法を確立していきたいのです。確立しつつあります」。
待ってもらったのだろうな。自ら育つものなんだろうな。それが理に適ったことなんだろうな。自分の内なるもので動く、本来の姿なんだろうな。それしかできないのだろうな。と、うれしくて、幸せで、満ち足りて、コースの最後の瞬間、涙が出そうになった。(30代女性)

生まれてこのかた、出発は現状からだったように思う。本来に思いを馳せるということは、なかったわけではないだろうが、そこから入り、検討しようとしたことはあったかな?あったかも知れないが、あくまでそこを見ていこうとしたことは、なかったんじゃないかな?
「人間本来の姿」を知るためには、サイエンズによって、となるのだろう。安易に「分かった」「できた」など、結論づけない営み。
科学的に本質を探究しながら、実現をはかる考え方。
ちょと興奮してくる。 探究の旅は、ずっと続くだろう。 孫、子の代を経ても。自分らの代は出来るところまで。 一万回検討しても、一万一回目はどうなのか? と以前に聞いて「うーん、そうだけど」となったが、そうかも知れないと思う。
数千年以上の歴史の上にある「現状の人」と「現状の社会」から、「人間本来の姿」、「一つの社会」を実現するには、理に適った道筋と方法が必要だとしています。
この「人間本来の姿」を知り、ということと、「固定や隔てのない一つ」が、今回、自分の中に入ってきたことかな。(60代男性)
- | - | -