この一年を振り返ってみると・・・

サイエンズスクールの入門コースであり、サイエンズの入門の、
<マイライフセミナー>を、今年は、7回開催しました。
今までは、4~5回ほどだったので、参加希望の人が増えてきています。
<マイライフセミナー>では、自分の生き方・人生、人や社会との関わり方をゼロから見直し、人間として生きるベースを探究します。
遠慮や気兼ねのないお互いを醸成しながら、素直な、ありのままの自分を見出していきます。
いろいろな問題を抱えている人も、問題としている自分がどんな自分かを、まず観察し、「どういうことかな?」「どうなっているのだろう?」「なぜだろう?」と、調べていくと、当たり前としているものに気付き、回答を得るのとはまた違う、根本から探究していく楽しさを経験するきっかけになるようです。
2015年5月マイライフセミナー
(5月のマイライフセミナーより)

また、マイライフセミナーに参加した後、続けて、本来のものをもっと知りたくなり、「自分を知るためのコース」「自分を見るためのコース」「内観コース」「人生を知るためのコース」「人を聴くためのコース」「社会を知るためのコース」と、続けて参加する人もあります。
そして、2年間、アズワンコミュニティに滞在しながら、サイエンズを学びたいという人や、50日間の滞在の間に、5つのコースに続けて参加した人もいます。
コース参加中の、研修所の暮らしのなかでの、自分を観察するモードや、もっと知りたいという探究モードが、コースの後、今までの日常に戻ると、眼の前のやることに、あっという間に流さてしまいがちです。
自分一人だけで、やろうとするのはなかなか大変ですが、人としてともに育ち合っていこうとする人たちのなかで、暮らしや仕事を通して、自分を観察しながら、話し合いをベースにした暮らしを体験することで、自らの学びも深まっていくようです。

(ミーティングにて)

春に、<サイエンズスクールとは?>ということで、事務局と研修所の生活に携わる5人と、研究所からも加わってもらい5日間、集中して研究会をもちました。
「人としての成長をサポートする、サイエンズスクール」 
何をしようとしているのか。コースを開催して何のためにしようとしているのか。
コースを開催することが目的ではなく、成長することが、終わりではなく、何をしようとしているのか。
日頃、思っていることや考えていることを、お互い聞きながら、見えてきたもの・・・。
今、この社会のなかで、スクールの社会的役割として、この部分をうけもって、やってみようとする。
一人ひとりがその人らしく、持ち味が発揮される社会。
コースの開催は、そのための準備ということではないか、と。

(ミーティングにて)

一人ひとりが、その人らしく成長し、それに応じて自分の持ち味が見出されて、みんなのなかで、その持ち味が発揮される。
これは、すべての人が願っていることではないでしょうか。
そして、その実現には、順序があると思います。
目の前にはいろいろな問題や、問題解決のための活動などがたくさんあると思いますが、サイエンズスクールでは、そういう問題をなんとかしようという出発でなく、それに関わる自分を知るところから始めたいと思っています。
このサイエンズスクールが、多くの願う人に使ってもらえることを楽しみにして、新しい年を迎えたいです。
office_life
(スクール事務局メンバーと、研修所生活スタッフ)
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何に関心が、向いている?

赤ちゃんも子どもも、自分の感覚や気持ち、意志を持っているでしょう。どんなふうに感じ、なにを思っているのでしょうか?
1、2歳の歩き始めた、子どもの行為に、お母さんは、「お願い、ママの言うことを聞いて」という、焦ったり、困ったりの、気持ちになること、ありますか?いつのまにか、どうやったら、こちらの思うようにできるかと、言葉をかけることもありますね。
それは、いったい、なにをやろうとしているのでしょう?

11月人を聴くためのコースに参加した、20代のお母さんの感想レポートです。

人を聴くためのコースに参加して

人を聴く…
人を… 聴く…
人の話をきくでもなく、言葉をきくでもなく、人を聴く。
聴くことを知らなかった事を知れて面白かった。
何か勘違いをしていたことに気がつけた!?というかんじ。
言葉とはどういうものか、何故聴くが実現しないのか、をいろんな角度でしらべていくと、相手に向いていると思っていた関心は全部自分だけに向けられていた事が見えてきて可笑しかった。
相手はそう思ってるからそう言っている。
聞くとやる方向に頭が働く。
聞くとすぐに自分の見解を言おうとする。
"そう言った"が"言われた"になる。
そうやって人に反応してたんだな。
ちょうど2年前"人生を知るためのコース"に参加したあと、どんな家庭にしたいかと考えたとき、いつも家にいる人として、家族が安心して帰ってきたくなるような家庭にしたいと思っていた事をふと思い出した。
どうだっただろう…?
いつも満たされた気持ちであってほしいなと思っているのに、関心を向けているはずの夫も息子もいない、自分だけの世界を広げていたんだなぁと思った。
例えば子どもに対して、やってほしくないことをどうやって理解してもらうか、どうやって相手の気を自分のやりたいようにもっていくか、という方にばかり頭が働いて、いかに落ち着いて自分の気持ちを伝えるかを考えていた。
そう、伝える事(言う事)ばっかり考えてたんだなぁ。
自分の中に出てくるものも確かにあるけど、それとは全く関係なく相手にも心やそれまでの過程がある。
ただシンプルに、私の世界があって、相手にも相手の世界があるんだなぁ、と思うと自然と相手に気持ちが向いていく感覚がした。

『まずは自分から…』本当にそうだな。
どんな環境にいても常に安定して聴ける人になれたらいいなと思う。

コースから帰って、道端でおばあちゃんと一緒にいる息子を見た時、胸がきゅーんとした。
しばらくの間全く会わないで過ごすのは、息子が生まれて以来初めてのことで、新鮮な気持ちで見えたのか、愛しいような自分でも、何なのかよくわからない気持ちが込み上げてきた。
当人の方は泣くでもなく、はしゃぐでもなく、ただ、抱きついたまま暫く離れない。
自分の中にあるいろんなものが「ありがとう」という言葉になって出ていた。
スクールのコースに参加する度に、自分がこうしてゆっくり考えらる環境に居られる事がありがたいなぁっと思うけど、サイエンズに触れた
暮らしの中で皆と一緒に子育てができる事を思うと、今回はまた一段と強く嬉しい気持ちになった。
二人目の子が産まれる前に参加できて、本当に良かったと思う。
(20代 女性)
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元々の心は、・・・ 人を知り合いながら、愛し合い†

自分の心を知っていますか?
自分の心も、相手の心も、心そのものを、直接見たり、触れたりは、できないので、言葉や行動から、想像するしかありませんね。
人の言動を見て、「あの人は、良い心の持ち主だ。」とか、「なんて、心の悪い人だ。」 とか、言う場合がありますが、心に、良い心、悪い心 というのがあるのでしょうか?
もし、悪い心というのが、あるとしたら、元々の心に、なにかがくっついているのかもしれないとしたら、どうでしょう?あるいは、何かの理由で、心を見失って、間違った行動になったとか・・・。

人の心、もともとの心が、人には、誰にでも、あるのではないかと思うのです。
10月に開催した「人生を知るためのコース」に参加した20代の女性の感想を紹介します。


コースの最後の夜に、電話を借りて、父にかけました。
父は静かに「そうか、そうか。」という感じで聞いてくれて、父からも自分の子どもに対する想いも聞くことができました。
「頭と心を離して見てみる」というクセを付けて、人と話しをしてみたいと思います。
コースの内容として振り返ってみると、「本心、心底」という所は、まだまだ理解できていないのですが、子どもの頃に受けてきた外部からの刺激というものは、これほどまでに今の自分を苦しめているのかが、印象強いです。だけど、周りの環境がそうであれば、友達もそうなっているのが、当たり前だ・・・と思い込んでいたので、それが元々の心に、こびりついているものだと気付きもしませんでした。
「~しないといけない」という強い考えは、心にくっついたものだから、汚れのように、洗えるのではないか、そして元々のきれいな心が、出てくるのではないか・・・そんな気がします。(わからないけど・・・)
元々の心が出てくると、すごく楽に人と話ができて、自分の感情に悩まされる事もなくなり、元々の「人間は何をする生きものか」というテーマで、「コミュニケーションをとりながら、知恵を出し合い、人を知り合いながら、愛し合い、互いに共存していく」が出てきた。
これが全てだとは思わないけれども、現在でも戦争が行われている中で、この言葉が、少しでも世界の多くの人に知ってもらい、意味を理解してもらえたら、互いを責めるとか、いがみ合うとか、人の存在を否定するような心にはならないのではないかと思いました。
私もこれから、自分の意志は持ちながら、人を尊重して、楽しく幸せに暮らしていきたいです。
まだ、見えていない部分もあるので、また機会があれば、必ず参加したいです!(20代女性)
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