人から → 話を聞く ⇒ 人を聴く ⇒ 心通じ合う話し合い

「聞く」・「聴く」を科学する
人の話を聞く時に、自分の言葉の中身で聞いているという自覚があって、聞いているだろうか?
言葉や表面的な気持ちや考えを聞くのではなく、その人そのものを理解する、つまり「人を聴く」聞き方をしているだろうか?
話し合いが「人を聴く」中身になると、快適で豊かな心へと進みます。
「人を聴く」話し合いは、知性が働きだして、様々な問題も解決の方向に進んでいくでしょう。
1月9~の「人を聴くためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
kana-garden-narcissus-15.jpg自分の意味合いでの聞き方。 相手への抵抗って、受け取りへの抵抗感!
自分の「聴く」の現状・実態、本来の「人を聴く」とは? そんなへんを調べたくての参加だった。
終了後に思うのはそこに、「実現するには」を加えたい気がする。

色々な問いかけ、エクササイズ、日常の自分の実例、コース中の実例、、、どこから探っていっても、いつも同じところに行きつく感じだった。
一人相撲、自分劇場、そんな言葉で表現されるような現状・実態かな。

相手のことを思っているつもりが、実際のその人ではなく、自分の頭の中のその人。
一生懸命聞いているつもりでも言葉や事柄のみ、そして自分の意味合いで聞いている。抵抗感・違和感も相手に向けているが、実は自分の受け取りへの抵抗感。(女性70代)
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話や言葉を聞くから、心・内面を聴くへ
人を聴くはどういうことか
コースの最後のほうに、"その人は何をいいたいだろうか"というフレーズが出て来た。
自分がそれを読んで、"何をいいたいだろうか"というところに目が行く。

日常は、その人は何を言ったのかとか、こう言ったんだとか、これを言ったかったのかとか、それにばかり頭がぐるぐるしている。
話や言葉を何かわかろうとする。
"その人"というほうに関心が行くとはどういう感じだろう。

人に、心、内面、世界があることを知らないと、知りたいと出て来ない。
言動にとらわれて、生活している。
何によって、人を聴くが実現するだろう?
知るかな

知っている。 わかっている。 となっている自分を知ると自然に知りたくなるのだろう。
聴きたくなるのかな。(男性30代)
IMG_20220215_064857.jpg人の話を聞く奥に、無意識に働く人への反応、心に焦点を当てていく
コースでは自分が聞いている、そう捉えているのを知らない、反応の方に囚われている
人間の考えを理屈では理解できても、人間の考えであることを知らずに日々過ごしている、現状の日々を繰り返し見ていく

自分で捉えたもので認識して、外から引いてみている自分
表層の部分でしか捉えられないものからやろうとしている
空しく 寂しく 感じている
意識の方を大事にしていると見えずらくなる実際の方

聴けていなかった事例を出し合いながら
聞いたり、出したりしている中で、その人を知ろうとするひとの姿があって、自分の中にもある本当のものに気づいていく

どんな作用があるのか
知らないうちにその人の心の世界と反応しているのかな?
人と人 人の中で気づいていく知っていく
お互いが自然と欲求や気持ちが生まれてくるような、心が通い合う話合いはどんなだろうな?
人を聴きながら暮らす、日常の普通の風景になっていくのかな、特別なことではないのだろうな
いつも働きづづけているもの、日常をよく観察したい(女性40代)



認識の性質を知り、焦点が心に進むことは、争いの一切ない世界に繋がる
人は、おそらく、人を知りたいという欲求から言葉というものを産み出したのだろう。
人を知りたいというのは心を通わせたいということかな。
そして言葉を使って人と人がコミュニケーションをはかる。
しかし、言葉というものがどういうものかということを正しく知らなかったり、さらに言葉を捉える認識というものがどういうものかということを正しく知らなかったりしていることで、かえって行き違ったり(満たされない)、すれ違ったり(満たされない)、対立したりしている。

また、人の内面に対する関心の薄さというか、日常、言葉がその人、行動がその人という見方をしている。
言葉の前には、人の広く深い心の世界があることを知らない。
例えば「その人は、何を言いたいのだろう」と、言っている言葉やその意味をよく聞こうとする。
それで聞いたつもりになっている。
聞く観点が違う(人がいない)。

人を聴くが実現している職場。
人を聴くが実現しているミーティング。
人を聴くが実現している社会。
人と人が満たされ
争いの一切ない世界。(男性70代)
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