もっと、自分らしく~自分を知るためのコース
自分らしく生きたい、でも、自分らしさって何だろう?
「自分らしさ」「自分らしく」を捜し求めたり、自分ひとりで考えてみても、わかるようなものではないでしょう。みんなの中、人のなかで、自然に現われてくるものなのかもしれません。また、気づかない縛りや決めつけから自由になることで、もっと自分らしく、もっと軽やかに生きられるようになるでしょう。
9月「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
自分の回路の根底に「善し悪し」の概念が相当の強さで存在しているだろう、ということに気づきました。
目の前の現象や、行為をとらえる際のベースになっているとさえいえるような「善し悪し」。
しかも、それはふと立ち上がる“思い”さえも支配していました。
そんなことを思ってはいけない・・・・。子どもを亡くした時に、自分で気づいてしまったある思い。
母親だったら、絶対にそんなことは思ってはいけない・・・。わたしは、それを30年以上も忘れることなく、心の中にしまい込み、自分を責めてきました。
あまりにも自分を知らない、という実態。 というのか、自分の知り方を知らなかったということなのかもしれません。(50代女性)
自分の中で起きるすべてが、どこまでも、自分の感覚、自分の考えという自覚があるか、からが始まりだなという気がした。
「自分の考え」というのが鮮明になれば、鮮明になるほど、実際の自分に、実際の世界に対して、関心が進むことになるのではないかな。
「自分の考え」という自覚が消えるとき、断定することになったり、自分の考えに自信を持つようになったり、自分が思ったのが変えられないことになるかなと思った。
一つ一つのテーマで、探究してみて、「自分の考え・感覚」という自覚が、なぜ消えるのだろうか考えるほど不思議だった。
「 自分の考え」は、考えだということがもっとも易くて,簡単な感じだが、あえて事実化して、事実化からもともとの状態に戻るのがどうして難しくなってしまったのだろう。
「知った」「断定」「事実化」「善悪」「当然」などが、考えの中でいくらあると考えても、追求しても、実際の世界は、考えの世界とは別だろう。
実際の世界にない幻想を見ながら暮らしているんだと思う。
実際の世界が見えないほどの人間の考えで。。。 (30代女性)
そうなってしまってきているのは、自分を含め、そもそも人は人間はどういうものか、どうなっているのかというのを”知らない” ”知っているつもり”というのもあるのだなと感じる。
そのあたりがハッキリしてきたらずいぶんと楽に生きられるような気もするし実はとてもシンプルに感じる。
そこで「知っている状態」になるとまた同じ回路の考え方で、固まってしまってその先がなくなる。
どこまで行っても「知っていく」ことでやわらかく生かしていけるのかな。
“決めつける”というのと“決めつけない”というのは同じ回路な気がする。
決めつけていた自分を否定して、蓋をし、そうなってしまっていることを否定する感じ。
思ってしまった自分が悪い。
それは2重のレッテルを貼っているようなもので決めつけよりも複雑化させてしまっているような感じだ。 とても無理がある。
そもそも“決めつけること”自体が可笑しく思えてきた。
出来ない気がするのだ。
自分がどのように捉えているのか順を追ってみていくと…”自分”ってなにをさしているのか見ていくと…そもそも決めつけることなんて出来るのだろうか?
“決めつけないようにしよう”ってとても無理があるように感じる。
決めつけること自体がなくなってくると独自の回路も徐々に書き換えされていくように思う。(30代女性)
人間が持っている考え、認識、言葉、記憶、心、知性など個人の中にありながらも世代、地域、社会の中で影響し合っていると思った。
一度その集団の考え方、価値観などをインプットすると無意識にいつでもそれを踏襲する。
そうなると、自分にとってそれがどういうモノか?
そのことで何がどうなっているか?
見直すことが難しくなるように思う。
「私はこう感じるけど、本当はどうだろう?」とならないのは、単にそれを知らないからだと思う。
それは人の中で自分がセットしたように、人の中で気づき調べていくことのように思う。
自分の存在を知っていき、考え、記憶、言葉などの性質を知っていき、自分の現状を知っていくことが人らしく生きていく上で欠かせないと思う。
良し悪しの評価ではなく、只々自分がどうなっているのか?
その中に何があるのか?
子どもを見守る親のように自分を知っていきたいと思う。
今までに何回か自分を知るためのコースに参加したが、今回は、自分でもたくさんの人の中にいて安心している自分が浮き彫りになってきた。
日常の私を取り巻くすべてのモノの中から現れてきた。
それは私一人では現れようのない自分だと思う。
こんな風に人の中でどこまでも知っていける。(40代女性)
「自分らしさ」「自分らしく」を捜し求めたり、自分ひとりで考えてみても、わかるようなものではないでしょう。みんなの中、人のなかで、自然に現われてくるものなのかもしれません。また、気づかない縛りや決めつけから自由になることで、もっと自分らしく、もっと軽やかに生きられるようになるでしょう。
9月「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
自分の回路の根底に「善し悪し」の概念が相当の強さで存在しているだろう、ということに気づきました。
目の前の現象や、行為をとらえる際のベースになっているとさえいえるような「善し悪し」。
しかも、それはふと立ち上がる“思い”さえも支配していました。
そんなことを思ってはいけない・・・・。子どもを亡くした時に、自分で気づいてしまったある思い。
母親だったら、絶対にそんなことは思ってはいけない・・・。わたしは、それを30年以上も忘れることなく、心の中にしまい込み、自分を責めてきました。
あまりにも自分を知らない、という実態。 というのか、自分の知り方を知らなかったということなのかもしれません。(50代女性)
自分の中で起きるすべてが、どこまでも、自分の感覚、自分の考えという自覚があるか、からが始まりだなという気がした。
「自分の考え」というのが鮮明になれば、鮮明になるほど、実際の自分に、実際の世界に対して、関心が進むことになるのではないかな。
「自分の考え」という自覚が消えるとき、断定することになったり、自分の考えに自信を持つようになったり、自分が思ったのが変えられないことになるかなと思った。
一つ一つのテーマで、探究してみて、「自分の考え・感覚」という自覚が、なぜ消えるのだろうか考えるほど不思議だった。
「 自分の考え」は、考えだということがもっとも易くて,簡単な感じだが、あえて事実化して、事実化からもともとの状態に戻るのがどうして難しくなってしまったのだろう。
「知った」「断定」「事実化」「善悪」「当然」などが、考えの中でいくらあると考えても、追求しても、実際の世界は、考えの世界とは別だろう。
実際の世界にない幻想を見ながら暮らしているんだと思う。
実際の世界が見えないほどの人間の考えで。。。 (30代女性)
そうなってしまってきているのは、自分を含め、そもそも人は人間はどういうものか、どうなっているのかというのを”知らない” ”知っているつもり”というのもあるのだなと感じる。
そのあたりがハッキリしてきたらずいぶんと楽に生きられるような気もするし実はとてもシンプルに感じる。
そこで「知っている状態」になるとまた同じ回路の考え方で、固まってしまってその先がなくなる。
どこまで行っても「知っていく」ことでやわらかく生かしていけるのかな。
“決めつける”というのと“決めつけない”というのは同じ回路な気がする。
決めつけていた自分を否定して、蓋をし、そうなってしまっていることを否定する感じ。
思ってしまった自分が悪い。
それは2重のレッテルを貼っているようなもので決めつけよりも複雑化させてしまっているような感じだ。 とても無理がある。
そもそも“決めつけること”自体が可笑しく思えてきた。
出来ない気がするのだ。
自分がどのように捉えているのか順を追ってみていくと…”自分”ってなにをさしているのか見ていくと…そもそも決めつけることなんて出来るのだろうか?
“決めつけないようにしよう”ってとても無理があるように感じる。
決めつけること自体がなくなってくると独自の回路も徐々に書き換えされていくように思う。(30代女性)
人間が持っている考え、認識、言葉、記憶、心、知性など個人の中にありながらも世代、地域、社会の中で影響し合っていると思った。
一度その集団の考え方、価値観などをインプットすると無意識にいつでもそれを踏襲する。
そうなると、自分にとってそれがどういうモノか?
そのことで何がどうなっているか?
見直すことが難しくなるように思う。
「私はこう感じるけど、本当はどうだろう?」とならないのは、単にそれを知らないからだと思う。
それは人の中で自分がセットしたように、人の中で気づき調べていくことのように思う。
自分の存在を知っていき、考え、記憶、言葉などの性質を知っていき、自分の現状を知っていくことが人らしく生きていく上で欠かせないと思う。
良し悪しの評価ではなく、只々自分がどうなっているのか?
その中に何があるのか?
子どもを見守る親のように自分を知っていきたいと思う。
今までに何回か自分を知るためのコースに参加したが、今回は、自分でもたくさんの人の中にいて安心している自分が浮き彫りになってきた。
日常の私を取り巻くすべてのモノの中から現れてきた。
それは私一人では現れようのない自分だと思う。
こんな風に人の中でどこまでも知っていける。(40代女性)
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