固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(1)

9aff2205e48e29c72f86c319e838a871_m500.jpg
「一つを実現するためのコース」参加しました
            
 固定しているものは何もない
 単独で存在しているものは何もない。

お母さんが子供の弁当におかずを入れ忘れたりすることがないように食べる人のことを思えばおかずのない弁当は本来ではないというのを聞いて、ミスがあるのが当然でしょうと思っていたので、とても驚いた。

本来ということを知らないのかもしれないな、と思った。

こういうこと、(ミスがあって当たり前)が、人間の考えで、固定しているということなのかもしれないな、と思った。

前に〇〇ちゃんにお味噌汁を出してあげたときに、家ではお母さんがお味噌汁を作ってくれていたという話をしてくれて、そうなんだーと思った。
〇〇ちゃんのブログを読んで、お母さんのお味噌汁が飲みたいのかな、と思った。
それを検討会で出したら、△△ちゃんの心は?と問われて、えー、私の心??
 
私の娘じゃないしな、とか、私が何かやってあげてもな、とか思うとか、言ってて、あれ、なんかちがうな?と思って、これが隔てなんかな?と思って、それを取り除いた心を見たら、〇〇ちゃんに対する愛情があふれてきて、かわいくて、かわいくて、好きで好きで、しょうがない、ってでてきて、もう、心は動いていたのに、考えで隔ててたんだな、って見えて、そうか、これがあの、うわさの(!)本心だったのか、と思った。

 社会は心のある人の集合。
 誰にでも心はある。                
(40代女性)

5ece57d2014a47f1614eeba2abca65dc_m500.jpg
「一つ」を実現するためのコースに参加して

「視界が開けた。」

今の心境を一言で言い表すなら、こういう表現になると思う。

なぜだろう。目的がはっきりすればするほど、それへの道筋が鮮明になればなるほど、肩の力が抜け、気持ちが軽くなっていく。

ようやく、ここに辿り着いた。
紆余曲折を経て、スタートラインに立てる自分になれた(気がする)。
それは自分の力ではない。
9年前に、サイエンズ研究所(当時の研鑽科学研究所)の存在知り、
人や社会の本来の姿を0から探究する、それを本気でまじめにやっている人たちがいる。そこに惹かれて、ここに来たと思う。

住むところも、自分の能力を活かせる場も、食べるものも、家財道具なども、用意してもらい、
好きなようにやらせてもらってきた。
何をやっても、咎める人もいないし、強いる人もいない。
ただただ見守ってもらってきた。

今までの自分は、片足突っ込んだ状態だったと思う。
本気の人に頼っていたと思う。
自分は本気ではなかった。半信半疑だったと思う。

「一つ」の実現に向けて、スタートを切りたい。

また、今日この資料を読むまで、その不健康な状態を悪いものと見ていたり、その人のせい(努力が足りないとか?)としている見方があった。今までも何回か読んできたし、頭ではわかったつもりでも、本当の意味での理解にはなっていなかったようだ。

今日読んでみて、第1章の1に、”すべてのものにとって、健康であることが正常な姿で、それは理にかなった状態であり、そのものの本来の姿であり、…” とあり、つまり不健康というのは本来の姿と異なる状態、理に適っていない状態に、何らかの原因で、たまたま今、そういう状態になっている。それはその人に原因があるのではなく、元々、健康だったものに、周囲の人(環境)からの影響でそうなっている。つまり、社会がそうさせているともいえる、という辺りの理解がだいぶ進んだ感じがする。

自分の中にある、人に対してや自分に対しての嫌悪感とうのも、この辺から来ているようだ。
不健康というものを知らなかったなと思う。
もっと知って、その原因、元にあるものを解明していく、そこをやっていきたいな。(30代男性)
「一つ」を実現するためのコース | - |
1