人生・生き方の探究

「自分らしく生きたい」とか、「幸せに生きるために…」などと、よく耳にしますが、そもそも、人が生きるとは、どういうことでしょうか?

人の一生を観察して、人生の目的や生きがい、本来の人の一生を探ってみましょう。

9月「人生を知るためのコース」の感想レポートの一部を紹介します。



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人がどういう生き物かというと肉体面ではなく精神面という要素が大きいように思う。

行為という現われのそのものは心から湧いてくるものに影響されているだろう。

心が満たされている状態で現れてくる現象は自然と明るい、優しい、元気なものが多いように思う。

今の社会だと、行為の方を明るく、優しく、元気にしなさいと考えでやらせようとするが、心にとっては逆効果になることが多いだろう。

心が満たされるというのは、何で満たされるのだろうか。

モノが欲しいという欲求が叶うことから満たされるのもあるように思うが、人から満たされる部分が大きいように思う。

人がいれば満たされるかというとそうでもないが、人の心から湧いてる部分を受けて満たされるように思う。

欲求とは別に人に対しての要求という観点も面白いなと思った。

本心というのは、願いのようなものかもしれない。

なっていこうとするベクトルなようなものかな。

自分が満たされたいし相手も満たしたい、別の表現だと成長していきたい、豊かになっていきたい、活かしたい。

自分だけでなく、相手も、人間だけでなく、他の生命も、生命だけでなく、世界中のモノをそのもらしく豊かな方に向かっていきたい。

そのようなベクトルが働く生き物なのかもしれない。

人の社会が人の豊かさを重視してないって改めて見ると不思議だなと思った。

人が豊かな社会。

そんな社会に向かっていきたいなぁ。(20代男性)





人と人との間で本来の心が育ちあっていけたら、人は人らしく、幸せになろうとする働きが、自然に出てくるものなんだろうな。

そしたら、ただ“今ここ”に存在しているだけで、人は満たされる気がする。

外に何かを求めたり、何かをすることで満たされる喜びもあるけど、もっと心の底から“ただ、命としてある”ことを喜べること。

私の本心、心からの願い、~そんなものを、もっと観ていきたいな。(50代女性)





実際に人が生きているとはどういうことなのか。

人の命は一人で成立しているわけではない。

身体中の水分は常に世界を循環しており、呼吸している空気も一定の構成要素を保ちながら入れ替わっている。

自分の一部だったものが、ある時は海にあり、山にあり、他の生物の血肉であったりする。

体内では無数の細胞や器官が複雑に関わり合い、一つの命の流れを作り出している。人が生きるということは適当なものではなく、方向性を持っており、何かを実現させようとしている。

人が人らしく生きる、その中身には心と知性の働きが必要不可欠に思える。

心や知性があるからこそ、人が人として生きるということが成立するのではないか。

人は心によって世界と触れ、豊かさを感受し、膨らませていく。

また、心の好奇心によって知性で知ろうとする働きも生まれる。

知ろうという働きによって心は様々なものを受け取り、豊かになっていく。

こうして、心が満たされ続けていく。

人は心や知性によって、自らが進む方向を知り、選ぶことが出来る。

人は自分や人の本心や実際へ目を向けることが出来る。

人が成長するとは単独でなされることではなく、他の存在との触れ合いの中で、共に成長していく。

成長を分かち合えば分かち合うほど、人は豊かになっていく。

そして、実際を知って、成長し、周囲と豊かになり合い、世界全体で幸せへと進んでいく。(20代男性)
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「私の人生」を生きているだろうか? 人生を知るためのコース

結果に一喜一憂する、周囲の評価を気にする、他の人の言動が気に障る等々は、自分の生き方をしていないことから来るのではないでしょうか。

趣味・興味・関心・得手不得手・感情・欲求・願望・知識・経験・発想・思考等々、自分のものだと思っていても、自分の生き方をしていない自分から出ているものかもしれない。

人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。

7月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部です。



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更に4日目に「一つの世界」「地球は一つ」というテーマで検討していくうちに、すごく、私の家は家、Aちゃんは関係ない別の人みたいに、バラバラに捉えてる自分の観え方が見えた。

バラバラ・別々関係ないものを、一生懸命受け入れようとしている自分、受け入れないのはひどい人、ダメな人としている自分、間違った捉え方から出てくる気持ちにマル、バツを自分自身でつけて、ダメだ出来ていないとして落ち込むという、とても複雑な迷路の意識に迷い込んでいたようだ。

実際の成り立ちを観てみると、水も雨になったり川になったり、海に行ったり蒸発したりして繋がっているし、自分もそれを飲んだり食べ物を食べたり、自分が生まれて今、ここにいる事だって繋がりの中で存在している、人だけ別という事はないと思う。

何か、人だけは別みたいに捉える意識があったな。

別々に観ていて、それは良くない事としていたんだな、「実際の世界」の成り立ちはどうかな、全てが一つで繋がっている、そしたら、私は「イヤなんだ。」とかいう気持ちも安心して言えるような気がする。

何だかこのからくりが観えた時、心の入り口のもつれた部分を発見したみたいで嬉しかった。(50代女性)



自分が自分の意志で生きていると思っていたけど、実際の世界を少し垣間見ると生かされているとしか言いようがない。

地球が超高速でまわりながら太陽の周りをまわっているのに私たちは何も感じないし、太陽からの距離といい、大きさといい傾きも生き物が生きれる環境が、偶然にもというか必然的にというかできてしまった。

何かの作用というかバランスというのか。

自分が生きるためにやってることもほんの少し。

ほとんどやってもらってる。

そして自分じぶんと言ってるこの自分も、生きようとするエネルギーからなにか欲求が出て来るけど、あとは受けたものでできている。

人、食べ物、自然などなど、それぞれの背景もあり、成り立ちは計り知れない。

今までは自分も人も、すべての繋がりの中で必然的に現れている現象を見てその人、そのものとしていた。

自分もその人にも心がある。確かに自分にもある。

そして人には本心がある。

私にも本心がある。

トマトみたいにどんな環境でもトマトらしく生きようとするエネルギーのような力というか欲求が人間にも元々ある。

自分の中から湧き出てくるもの。

安心したい。満たされたい。幸せになりたい。みんな幸せ。豊な人になりたい。

本心で生きる。本心が目的でそれを実現するための手段が仕事や暮らし。

いつの間にか手段が目的になってしまう。

自分ひとりで本心で生きようとしても無理がある。

みんなが本心で生きれるような社会がいいな。



本心はわからない~と自分をごまかさないで自分の内面に目を向けてみよう。

やることはそのぐらいかな。自分の中を観察・探究する。

欲求はみんな本心から出てるけど心の状態で反応が色々なのかな。

自分の要求が何かもっとハッキリしてもっとシンプルになる感じがする。

何で自分が満たされるのか?

本心から出てくる欲求や要求が満たされて、実際の世界を知れば知るほど豊になり知性や心が育ち成長していくのかな。

年をとればとるほど心が豊になっていく。そんな人生を送りたい。(40代女性)
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「人が生きている」とは?

「人生を知るためのコース」では、

人間とはどういうものか、

人が生きるとは、どういうことか、

一週間かけて、じっくりと探究していきます。

「その人の実際」「そのものの実際」に目を向けていくと、

どんな世界が見えてくるのでしょうか?

6月「人生を知るためのコース」参加者の感想文を紹介します。



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長い旅をしてきた。

遠い宇宙のはじまりから、色々な舟に乗りかえて。

そうして、今、オレという舟で、オレという心で旅をしている。

どこへ向かってきたのか。 どこへ向かうのか。

長い旅をしている。

一人じゃない。(20代 男性)



  * * * 



自分を見るとか、本心に焦点を当てていくということは一人でやろうとしても(今の実力では)無理だな(全く無理ではないとしても非常に近いところに限界がある)というのははっきり見えた感じがする。現状は善悪の観念が強く、自分ではそれが自分の考えだと気づいてないことも多い。また自分の考えに伴う反応、義務感・責任感・上下感・優越感・劣等感等も大きいのでそれに気をとられてしまいがちになる。少人数でも気持ちのある人で寄って、現状の問題をどうするかよりも、まず、本当はどうあってほしいのか、本心はどうなのか、に焦点を当てていきたいと思う。誰もが本心で生きられる社会の実現には、自分の本心に焦点を当てるところからかもしれないなと思う。(30代 男性)



  * * * 



この感覚、見ることを取り戻し、今後は失うことのないように、今回、再留学もしたのであるが、見失うことなく、深めていきたいと決意を改にした。

人類が、地球が、世界が、一体となって大きな意志をもって、大きく飛躍しているような動きの中で、二元的な見方も心を重視しない見方も必然であり、間違いもないものであろうが、しかしさりながら、人類が開放され、本心で生き生きと楽しく生きていける日が、一日も早く来ることを願って止まない。

その為に、自分自身も思いっきり、それに向かって生きてみたい。(50代 男性)



  * * * 



その人の実際は?という時、行為は最後の目に見えて現れてくるその人のほんの一部で、目に見えないその人の思いや考えや感情などの意識上のこともあるけれど、そのもととなるその人の内面の大きさが、ああそれがその人本体と言ってもいいくらいなんだなと思った。

内面を重視したいと思ったらそうなるんじゃなくて、内面がどれだけその人の中の占める割合が大きいかを知ったら、そっちに目が向いていくように思う。

私にとって結構大きかったのは、善悪とか良し悪しを検討していて、実際の世界に良し悪しってあるんだろうか?良し悪しってなに?と探っていくと、自分の中に良し悪しの観念が強かったのに気がついたことかな。

以前から自分でもいい悪いですぐ見えてしまうなとは思っていたけど、自分が動く時や人のこともそう見えてしまうたびに、なんでだろうなあと思っていた。

実際の世界にはないものだなあ。

いろんなテーマでみんなで検討してきたことがつながっているんだろうけど、なんだか随分楽になったな。(50代 女性)



  * * * 



今は、あの人はどんな気持ちなのかな、その本心はどんな感じになっているのかなというような感覚が、好奇心と純粋な不思議感、ちょっとした愛しさのようなものが入り混じって存在しています。あたたかい感じも覚えます。



コースを通して自分の実際、成り立ちや背景への理解が深まるにつれ、人への関心や親近感、幸せを願う情のような感情が少しずつにじみ出てきている気がしています。この感覚はいったい何なのか?ちょっとした幸福感にも感じられます。何かを達成したり欲しいものが手に入ったりしたときの一時的な強く突き上げるような喜びとは異なり、弱いが優しく漂うようにそっと包み込む喜びのような感じです。

自分のたくさんのものを受け取っている実際を知っていくことで、こころが満たされた感・豊かな感覚が深まり、人へ与えたいという心の動きが生まれたのか、自分の人とひとつのものである実際を知っていくことで、人への興味や人を活かしたいともいえる心の動きが生まれたのか。もしかしたら、人間はもともとこういった心の動きは持っていて、ただ遮断されていただけなのかもしれないなと思いました。

これから日常に帰り元の生活に戻りますが、私に表出し始めた人の実際・本心を知りたい・活かしたいというエネルギーを、人とのかかわりの中でどう表現し、また育て、共有していくことになるのか、非常に楽しみな思いです。

そしてたくさんの人と人が本心を知り合い、本心で生き、豊かな人と人が満たし合い、活かし合う幸せで喜びあふれる社会が実現していく、そんな夢…いや現実を、今日は見始めました。(30代 男性)
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人として

人が人として生まれ、人として、その人らしく生きる。

そもそも「人」とは、どういう生き物か?

「人が生きる」とは、どういうことでしょう?

5月「人生を知るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



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人の自分の行為言動の現れの前に 意識上の自分の思いや、考え意思・感情・欲求・気持ちがある。

そこを紐解く?と本心にたどり着くらしい。

言動だけ見るとわけが分からなく、みんな違って、どうやっても争ってしまうように思う。

何を言っているのか、何をしたかったのか、内面を見ようとする。 

行為言動の良し悪しではなく、重要なのは、内面。

弟と言い争った事が印象に残る。

何を言おうとしていたのだろう。

思いに気づく、してほしい中身は、弟の人間性を表していた。

人の、自分の本来性は、満たされ、人と人との繋がり、社会の中で、豊かに、多様に、繋がって、受け継がれていく。

実際の世界、自分の成り立ち、自分が何者か、人が何から出来ているか見ていくと、そのまま、実際に近い形を好むように思う。(20代男性)



悪い事しそうな○○さん、私の見方に悪い人というレッテルを貼っている姿を思った、悪い人を事実にしている感じである、私の中にその人の距離感が発生してくる、隔てが出来ている。

その人の内面・心に、目を向けていくと、「気持ちは?」と、レッテルが剥がれだす。

何を願っての行為・行動なのか? もっと深く、その人の心底は?と、見ようとして見ていくと、広がりと深みをもって見えてくる。レッテルを貼った薄っぺらい自分の癖が遠のいていく。

人は、社会の中で生まれ、愛情を受けて満たされて育っていく。

人の中で安心を得、聴いてもらえる・受け止めてもらえる、人の心に満たされて、知る能力を育てながら、成り立ちを知り、事実・実際の豊かさを感じ満足し、自らの内に湧いてくる欲求によって動き、人によって欲求を叶えてもらえる嬉しさを知り、人の欲求に応える喜びを倍加させながら、人と人の中で人と共に、幸せに成り合っていく・・・人生。

人の心は元来優しい、奥底に愛しむ心が見えてくる、豊かな心の人生が、豊かになり合っていく、心育つ人生が・・・。(60代男性)
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私は何を望んでいるのだろう?

2月22日から一週間「人生を知るためのコース」が開催されました。

韓国からの参加もありました。

「人とはなにか?」 「人の一生とはどういうものか?」

今までの自分の人生を振り返りながら、じっくりと根本から、「人生」を問う機会です。

参加した人の感想の一部を紹介します。



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数多くの経験を通じて、私の気持ちを総合して'私はこれがしたいのか?'と見るより、「私は何を望んでいるのか?」「私が持っている心はどうなのか?」と直接見て理解すれば、現象に現れた感情はその元から現れたことなんだというのを知ることが出来そうだ。

私の本心はどうかを見つめながら、感情、気持ちの根源をたどって行くと暖かくて平穏な、ある原初的な感じがある。

何か認識や感情がねじれて苦しみが起こる。

親しく過ごしたい本心が歪曲されて人と距離を置いたり、何か不足感を感じて満たそうとしたり、本来の心に焦点を合わせないと、満されたとしても、虚しい満足感や安心感が繰り返されるのではないか? 安心する満足するためには、本質的に私は何を望んでいるか、を知っていくことだ。 (30代男性)



これまで、心を大切にするということは、良い感情を持つことだ、と理解していたため、考えで感情を良いように変えようとする努力を長くやってきた。

しかし、人間として持って生まれた安心や満足に対する本能のような欲求は考えで変えられるものではないんだ。

その声に耳を傾けて過ごしたら敢えて考えで感情を変える必要もないんだ。

心に焦点を合わせて生きていけば、人の言葉や行動や現在の気持ちの状態よりもその人の心がどうか、不安ならどうすれば安心と満足の状態に進むことができるかについて調べるようになるんだ。

私たちはみんな同じことを追求する存在なんだ。

心が何か?よく解ってないが、安心と満足を追求する深いところの私がいるということに気づくだけでも人生が転換されるような大きな変化が感じられた。(30代男性)



心が汚れているとか、暗いとかあるが、本当に心が汚れているのか?

汚れが付いているだけで、心自体は汚れたり暗くなったりするものではない。

本来の心、色々な考えで見えにくくなっているが、それはいつでも変わらなく、人なら持っているものだと思う。どんなに現れたものがひどいものでも犯罪をした人でも、本来の心の方に目を向けてくれる人と話ができたら、救われる思いがするのではないだろうか。本当の自分を見てくれると感じるのではないか。(20代男性)



今私の中で願っている「何か」を深く探ってみた。

驚いたことに、「私を見て、私とあそぼうよ。」という幼い子供のような気持ちが見えた。

一緒にいた人たちに素直に表現してみて、何か変化が感じられた。

清々しさ、軽さ、満足感。

長い間、考えで、見ないように生きてきたんだなあ。

心をさらけ出してみるとより満足できるんだなあ。

こんな風に心をありのままにさらけ出して生きていきたいものだ。

私も私の周りの人たちと心ゆくまで共に生きていきたいという気持ちが強く湧き上がってきた。(30代女性)



「成り立ちを知る。」今までも頭では、そう思っていたが、自分の育ちをふりかえったり、今ここにいる自分を見たりして、「成り立ちを知る、その育景を知る」ことが大事。

人が生きるというのは、生れて、まわり(人・社会・自然などなど)をすべて受けて、形成されてるぐらい大きいと思った。

人が、人らしく(本心で)生きられるのは、どういう社会かというのが、もっと知りたくなった。(60代女性)
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「人生を科学する」

「人生」というと、それぞれの生き方の話しにもなりますが、そのまえに、そもそも「人とは何か?」「人の一生とはどういうものか?」と、人の内面的成長に焦点を当ててみると・・・

人として誕生し、親や周りの人達の何を吸収して、育つのでしょう?

人としての成長とは、どういうことでしょう?

9/25~「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



とても強く残っているのは、「生きる」にしろ「自分」にしろ「心」にしろ、自分がどういう捉え方をしているか、が、とても大きいという事。

自分の捉え方、見方を実際だと思い込み、それによる心の状態で自分自身や、人、人生をとても狭く、貧しいものにしている自分に気づいた。

実際の人間、その人間性による知性の働きなど忘れては、すべて物事は分かる、捉えられるというベースの考えがとても強く自分の中にあるな、と思った。

日々、常に何かをしている、その元には何があるんだろう、何か欲求を満たそうとしているのかな。

その欲求も、でたらめにあるのではなく、何か方向のようなものがあるのだろうか。

その先にあるものが、自分の人生の目的なんだろうか。

まだまだ、サッパリわからない「目的を知るが目的」のような感じだが、実際はどうだろう?

自分の本心は、目的はどうだろう? と、知性を働かせて生きたいと思う。(20代男性)



人とはどういうものか?心と知性がある。心は人の本体ではないか。生まれた時は、心になる芽が備わっていて、生まれてきた環境、母、父、家族などの愛情を受けて、受けて、芽が開き、心として成長していくのかなというイメージ。心には形はなくて、目に見えないもの。心って見えないし、わからないけど、自分を見ても、あるような感じがする。気持ちとか、欲求、などの見えるもの感じれるものの元のもの。心の状態はどうなっているのだろうか?見えるようになりたい。

人の豊かさとは?心が豊かというと、お母さんのような心ではないかなと思う。子供に無条件に与えるだけで、与えることで自分自身が豊かになる。赤ちゃんや小さい子供は与えられて、守られて育っていく。お乳を飲みたい赤ちゃんの欲求と、赤ちゃんが飲みたい時に乳がはり、飲んでもらって嬉しい母子の関係がある。子供がもっと食べたいと要求すると、自分の分がなくなっても、食べさせたいと思う親心があるなあと思う。

人の成長とは?

人の特徴は、知性と心

素直な欲求が満たされて、心が安心満足

真理、事実実際とはどういうものかを知りたくなり、知っていく。

自分の成り立ちを知って、自分や自分の周りのものの存在する背景を知っていくことで、捉え方が理に沿ったものになり、心も豊かに成長していくのではないか。(60代女性)



この7日間、5人の仲間とともに、自分を見、人について、人生について、知性を働かせ、考えてきた。その間、心の中に生命エネルギーがゆったり流れ、満ち満ちてくるように感じた。ともに探り求めながら、一人一人の中で何かが動き流れ、その流れが互いの間を行き来しているようで、何だか、ひとつの大きな生命の流れを感じるようだった。



★ 地球-生命-人類-私 … すべては“ひとつ”

雨・川・海・蒸気と形や場所、あらわれは変化するが、水は水(H2O)で元は同じひとつのもの。原子レベルで見れば、水も空気も大地も植物も動物も物も人も、あらゆるものは原子の集まりで、その集まり方が違うだけですべてのおおもとは原子。

生命体は、H・N・C・Oの4元素が集まりまた散っていくあらわれ。生命を生み出す生命エネルギーの大きな流れの中で、この4元素は集合離散し、生命は誕生-死を繰り返している。

人はみな、同じ元素を持つ地球上に生きる人間同士、元はひとつ、であり、またその一人一人は固有の個性を持った異なる存在でもある。



★ 人って、何だろう?

人は、人の中で生まれ・育ち・生きることで“人”となることができ、一人では“人”になれない。周囲の人々や環境から何かを得(糧)、また何かを与える(影響)、このやり取りのなかで変化し成長していく。(60代女性)
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人間らしく生きる

人の行為を問題視し、悪や間違いばかりが、目につく社会風潮の中、「人間には、悪事や争いはつきものだ。」と、いつの間にか、諦めてしまっていませんか?

「人間とはどういうものか」と調べ、人間を知るにつれて、知性、心などの人間性や、人生についても明らかになってきて、「こんなものだ」としていたものが、「いや、こんなものではない」と、人や社会を明るく展望できるようになります。

7月「人生を知るためのコース」の感想です。



じっくりと、ゆっくりと、真面目に、本気で、

自分の内面、本心に向き合ってみる。

人に、人間に、人生に向き合う。

これをしていってみよう。(60代男性)   



心とか自分というものについて考えたり、観察する機会になったかな、と思う。

これまで、考えや感情を自分と捉えて大事にしてきたので、凝り固まってしまっていたかもしれない。

こころを大事にする人達がいるというのが、ちょっと信じられないような、不思議な感じがする。

遊ぶような人生が、実現してしまうんだろうか。(40代男性)



考え、感情、気持ちはどういう所から出てくるのだろう。

人の成長から、辿っていくと、子供の頃は、善悪とかなく、成長するままに伸びている様に思うが、大人になるにつれ、いろんな知識が身について、いつのまにか人に対して恐怖感や警戒心、善、悪が先に出てしまう。

元はどうなっているのか。

何のために生きているのか。

心とは 心が満たされるとは

そのもっと元にあるものは、本来のと云ってもどんなものだろう。

わかるとかわからないとか関係なく、もともと具わっている、 人の生命力、みたいな・・・

(60代女性)



豊かな存在である、わたしにも、もちろん、あなたにも心がある。

わたしの心は、いったいどうなっているのだろう。

あなたの心はいったいどうなっているのだろう。

あらわれた言動のもとには、わたしやあなた、そのものがいる。

人に興味が湧いてくる、知りたくなってくる。

人の存在が近くなり、知ろうとした分だけ愛しいような気持にもなる。



わたしは何がしたいのだろう、きっと、わたしの心の底にも、幸せとか、健康とか、正常とか、快適とか、豊かさ、安心、満足、、、、、そんな願ってやまない確かなものがあると思う。

その実現を強く願っているに違いない。(50代女性)
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人生とは・・・

人は、生まれ、そして、生きる。

今を生きている。

ちょっと立ち止まり、落ち着く時間を持って、人の中で自分の人生を振り返ってみると、何が見えてくるのだろう?

4月の「人生を知るためのコース」に参加した人の、感想の中から一部分ですが紹介します。



普段、自分が考えているのは「意識上の自分」。

「実際の自分」はどんなだろう?

いろいろ思い、考える自分、感情や欲求・気持ちと連続射撃のようにどんどん出てくる、その自分をなんとかしたくて、おとなしくしたくて苦労していたのだが、それは「意識上の自分」であって、もっと内面に「実際の自分」がいるのか?

父と母の間で芽生えた命が、その生命力が消えずに今に至っている。

コースを通して、内面(心)・人について・心について・人の成長・人間性・人間らしさと検討してきて、私の中にある 心をおもう。  感じる。  まちがいなくある。

普段は、いろんな欲求や考えに忙しくて、見えなくなっていたり、捉え方で心にまで関心がいかなかったりだが、心がある。

不安をとり除いてみたら、安心、自分は安心していると思った。

無いものをみて、不安や怒り、疑いをふくらます方向から、有るものでやる生き方を強くしたい。

その回路を太くしたい。

(60代 女性)



○○○さんは、心のことを「デリケート」な部分と呼んでいたが、周囲社会からの影響で、どのようにでもなってしまう点では、そうだなと思う。

親をはじめとする周りの人間達から・また自然界からも、無数のものを吸収して、心は成長していくのだろう。

身体が常に正常健康であろうとするように、人間の心も絶えず正常健康な方向に向かっているのではないか。

死刑囚、永山則夫の例も出ていたが、劣悪な環境の中で気持ちが荒み、殺人を犯していまった場合でも、元の心迄そうなってしまったのでは無く、人間的な働きかけの機会などがあれば、正常健康になろうとして、人間味のある心に回復していく。

そういう意味では、人間の元の心は、とてもしなやかなのかもしれない。

人間らしいということは、何より、その人間の心が豊かに成長していくことだと思う。

心が満足している状態というのは、周囲環境から愛情がいっぱいに注がれ続けて、そうなるのだろう。

特に生まれたばかりの、赤ん坊は、受けるばかりだと思うが、心身の成長につれて、受けるばかりではなく、すること・与えることによっても満足を得るようになっていく、それが、豊かな人間関係、人間社会にも繋がっていくのだと思う。

(略)

「人間の心」でも、そこから現れた思い、考え、意志、感情、欲求、気持ちや行為言動の方に、知らず知らず重きを置いてしまうのだが、そういう「意識上の自分」を「自分」だとしていることが、ほとんどだと思った。

日頃は目を向けない「実際の自分」の方に焦点をあててみると・・・・

実際に、自分が今ここに生きているということは、生きるための条件が何十年にもわたって、一瞬一秒も途切れることなく、あり続けたからだと見えてくる。

それだけでも奇跡みたいなことなのに、生まれ時には「生命力」というものまで、タダで宿してもらっている。

(略)

自分自身が、元の心を成長させながら、もっと自由に豊かに生きていきたいとも思う。

悩みとか、不安とか、ほとんどなくて、とてもシンプルな心の状態だった高校時代のことを思い出したりもした。

心を成長させていくには、どうしても周囲環境が大きい。

心に重点を置いて、お互いに育ち合っていける社会が無くては始まらない。

自分の命が終わっても、次の世代・次の世代へとつながっていくことが出来たらと思う。

(50代 男性)

                        
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「知る」~人として生きる営み~

朝起きて、お母さんだったら、家族の朝ごはんやお弁当をつくり、子どもを学校に送り出す。それから、仕事に行ってと、日々の暮らしの営みが、人生でしょうか?

どんな生き方がしたい?どんなライフスタイルを望んでいる?のかと、自分でもいろいろ情報を得て、探したりしますが、「自分は、本当は、なんのために生まれてきたのだろう?」「本当は、なにがしたくて生きているのだろう?」と、ホントウに、知りたいことは、もっと、なにか、あるように思うのです。

「人生を知るためのコース」(2015年11月)に参加した感想レポートを紹介します。









おもしろかった~



人、生きるって、どうなっているか、



探るさぐる~

ずっとやりたかった!ひとりではできんかった。

ゆっくり座って、じっくり1週間も!

こうやって、今も、生きてる、この実際が、何かを。



探ったったで~!

やった~!



生きてる実態(実際)、体の実態(実際)、心の実態(実際)。

みんなで、あーかな?こーかな?



生きてる実際ってものすごい。

地球、宇宙規模から体の原子レベルのことまで、

つながってく、つながってく・・・

生きてる実態。



見えない。あるのはわかってたけど・・・。

地球から人、人のなか、体のなかみ、心のなかみ。

みんなの体験や感じたことを出しながら、ふむふむ・・・



わたしは、心のなかみがおもしろかった。

あれ?心って、そもそも安心してるやん、幼かった自分、安心してすべて委せきっていた自分。

それがいろいろ経験から予想したり、やらにゃならんって、安心が見えなくなったりする。

安心は、そもそも、心に備わってるやんって、実感した。



うわぁ、力抜けるわぁ、 ほわぁ~

こんなん、なんも要らへんやん。



こやって書きながらまた嬉しくなる。



心の作用、満足、満たす満々な状態、満々にしたい作用。

自分ひとりでは満々にはならない。

自分は他から全て、もらってる。

そうやなぁ~。ほんまそれあるなぁ~。



心がある。体がある。人が生きるとか・・・

そやけど?なにか?みたいに正体不明やったし、



実際は?とか思っても、はて?みたいに焦点をどこにやったらいいかわからなかったけど、

あてるところを見つけた感じがする。



私のあたまに新たな風がはいって、知るってすごいと実感した。



今、ほんま、そやなぁと思うことも、生活の中で、また、心の作用を実感したり、

また、そやなぁって、実際を見ながら噛みしめたりしたいなぁ。



検討会中

何度もじわじわ涙が、出そうになった。

自分の心の作用、元気でいよういようと、してたんやなぁ。

子どもたちも、けなげやわ。

わたしって、暖かいんや。

みんな暖かいんや、うれしいよぉ~



自分は今も意識のほうでいろいろあるけど、

実際のほう、あるから安心して、

ゆっくりぼちぼち生きますから、

実際の心、実際のほう焦点あてながら・・・



あ!意識の中のいろんな話、あふれるほど、あるけど、そうゆうのより

実際のこと探っていくほうが、幸せへの近道かもしれないなぁと、今、思った。



ぼちぼち、生きまっせ~、やりまっせ~。



あ~ちょっと自分の頭ン中、整えれた感。

レポート嫌いやったけど、

書きだすとおもしろいなぁ

(30代女性)
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