<< 決めつけや頑固さからの解放が、本来の知性を働かす! | main | 自分を縛るフィクションに気づき、事実・実際の自由な世界へ! >>

過去をそのまま思い出し、じっくり観ると、自分の実際が捉えられてくる

心の声を聴きながら、自分の内面を観ていく・・・内観。
自分を客観的に観ていく力を培いながら、人と人、社会の元に流れる愛情を感じられる、柔らかな心に成長していきます。
もともと自分の中にあった、自由な心の状態へと立ち還っていきます。

8月30日~開催された「内観コース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
image1549.jpg
多くの人に見守られ、支えられてきた実際
母に対して、父に対して 夫にたいして、子供たちにたいしての 自分はどうだったかと調べていくのですが、いろんなことが浮かんできてそちらに気が行ったり相手のことに行ったりしながら、それでも、何度も軌道修正されながら、なんとかやってこれました。

でも自分のほうからの相手の見え方は変わってきたとおもいますが、その時代の自分についてどうだったかは本当に甘かったと思います。
母、父には最後の最後までお世話になって胸がいっぱいになりました。

後半になるにつれて自分中心にしかみてなかったこと、行動していたことがみえてきて、あと人にたいしてやってくれないと責める気持ちがでてたことに気づきました。
不幸の原因そのものでした。

最後の息子に対しての自分の価値観を正しいとして、ずっと的外れなことばかりして、すまなかったと思いました。
こんなにもというくらいたくさんの人が出てきました。
いま息子と自分の、事故のあとの20年くらいたどってみて、ほんとに人の何倍も多くの人にみまもられて、ささえられてきました。
私は本当にめぐまれてたな、という思いでいっぱいです。(女性60代)
.
.
.
自分の傾向や癖、縛りから解放されて、隅々まで明るい心に
途中CDの中で「事実をありのままに見ることができたら幸せになれる」というのを聞いて、ただそれだけなんだ、そのまま見れることができれば・・・ならば、実際は幸せなんだと思った。

うそごまかしを小さい頃から順を追って並べるように見ていくと、観えてくる自分の傾向。
面接の時間に聞いてもらう時、自分のやっていることを言葉にして出して言っていると毎度出てくるフレーズに、またか~と笑ってしまう。
笑い飛ばすことで消えていくような軽さがあった。

人に認められたいと思っていた自分、実際の自分より大きく見せようとしている自分に気づく。
慌てず・騒がず・落ち着いた様子を見せたかったんだなと。
周りにはそんな風に見えていなかったのかな? と恥ずかしい。

家族にしてもらった事、両親・姉3人から受けたもの、受け続けているもの。子どもの頃から今も変わりなく注ぎ続けてくれている愛情が流れつづいている。

心を開いて、隅々まで明るく、雲ひとつなく晴れている心の住処になっていきたい。(女性40代)
4916a1a7f121c5c0fda63daea3c9f5e4_t.jpeg「不安」もそのまま見つめ、内観していくと、奥にある大きな愛情が見えてくる
不安があったら何をやってもダメやなあ そんな風に思った。
「気を使う自分」というテーマで今までの自分を振り返ってみると、いつも「不安」があるんだなあと思った。

どう見られるかの不安 どう評価されるかの不安 要らない出ていけと言われる不安 等、その元見てみると、固く握りしめて離さない人に対する観方「人間観」があるなと思った。
言葉で表現すると
「人は(相手は)意に沿わないことがあると攻撃する、排斥する」といった観方かな。
それも自分の考えなのだけど、絶対そうだと強く強く思い込んで、頑なに手放そうとしない姿が浮かんできた。

それも不安からくる身を守るものだったかもしれないけど、そこから来る不安と、不安から来る反応と行為、その反応と行為のひとつの表れが、気を使うということに現れていたように思った。

一方で、今まで「受けてきたもの」をつぶさに見ていくと
どれだけ愛情を受けて、見てもらって考えてもらって大切にしてもらってきたか
たくさん声をかけてもらった「これやってみたら」、「これやめてみたら」といった声掛けの背景にも、想い考えてくれている人の存在や行為があって、そのどれもが愛からきていて、子どもの頃も、鈴鹿に来てからも、ずっとずっと見守られていて、大きな愛情をこれでもかというほど無償で注いでもらい

時には道端ですれ違った人の会釈や笑みや、交通誘導員の人の旗から伝わるもの、会ったこともない人からでも、道路標識や農作業で使う道具の端々からも、人の愛を受けて、それは感じる感じないと関係なく、どれほどの人の愛の中で生きてきたのか。

「受けてきたもの」を見ていって見えてきた世界は、自分が固く握りしめていた人間観とは、似ても似つかぬ世界で、人と人がいさえすれば、そこには必ず愛が作用するのだろうかと思うほど
注いでもらって不安も心配もない、ただ任せてさえいれば愛が導いてくれるような、そんな世界。

今まで固く信じて握りしめていた自分の見方を手放して
注がれる愛情をただただ素直に受け取る心と、今まで受けてきたものの実際を知って、
自分の人間観も、実際に即した人間観にと思う(男性40代)pexels-photo-457881.jpeg
内観コース | - |

Trackbacks