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思いだしながら、自分をそのまま観る!

子どもの頃から順番に、思いだし、そのまま見ていくと、硬くなっている記憶が緩くなり、解け始める。
健康な記憶へと変化する。
そのままの自分を認め、周りの人へと心が動き出す。
柔軟なこころになって、幸福な暮らしへ向かっていきます。

2月2日~開催された「内観コース」の参加者の感想の一部を紹介します。
以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html
87299407_2872053306217721_1463818656562544640_nyosioka.jpg◆母・父・兄、観ていくと、記憶が健康を取り戻す
約1年ぶりに内観コースに参加した。
前回受けた衝撃の記憶も遠い昔の話しのようだ。
今回も同じく母に対する自分を調べるところからスタートした。
そして新たに”兄”に対しても調べてみた。

今回初登場の”兄”とのことを調べていくと、途中で感情が出てきてしまい、腹が立って仕方なく、内観にならない時があった。
観察に徹しようと試み、何とか戻っては来れたけれど、相当根深き感じがした。
もちろん、兄にも事実・実際があるわけで、私の中で勝手に「お兄ちゃんはこういう人だ!」と決めつけたきっかけが見えた気がした。
これから疎遠になっていた兄と接する機会も増えるので、しっかり向き合っていきたいと思う。

私の周りでは色んな事が起こり、色んな情報が御構い無しに飛び込んでくる。
それらに翻弄され、流されていく感覚があったのだけど、
でもそんな時こそ、そこに嘘やごまかしがないだろうか?
本心はどう?と問うていきたい。

流されない(ごまかさない)ためにも、一本の大きな樹木のようにどっしりと大地に根を張りただそこに在るだけの私でいたい。(女性50代)



◆母の愛・父の愛、そのまま観えることが、家族愛を大きく広げる
学校から帰ってお母さんの働く窓口に「ただいま~」ってドアを開ける瞬間、中学校からはお父さんが途中まで車で迎えに来てくれて「ただいま~」と言いながら車に乗り込む瞬間、とても嬉しかった。
毎日お父さんとお母さんに会うのが楽しみだったんだな。

お父さんの人生、お母さんの人生、そこから見る私。
二人の人生の中でどれだけ私に時間を費やしてくれただろう、どれだけの愛情を注いでくれただろう。

本当によく怒って泣いてお父さんとお母さんを責めた。
こんなに身体が丈夫で病気もせずに元気でいられる事だけで十分だと2人はよく言った。
本当にそれだけで良かったんだと思う。
私が高校行って勉強はほとんどせずに部活と遊びだけで3年間過ごしてもそんな高校生活良いねと言っていた。

学校生活、職場、それ以外の場面でも、たくさんの人が周りにいた。
人の中で育ってきた。
人の愛情の中で育ってきたように思う。
今度は私が人に対して愛情の溢れる人になりたい。(女性20代)
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◆客観視が進むと、律儀に頑張る自分が(笑)けてくる
普段暮らしている中でも、今までの記憶も自分の気持ちがよく見えない、よく思い出せないと思っていた。
印象で捉えた場面、人をイメージ化してそのまま事実として抱えたまま実際どうだったかという方向へは本当に向けていなかった。
母と父を内観していく中で、その時の場面の季節や天気、匂いなどからその時の自分の気持ちが見えてきた、両親はその時のその気持ちをそのまま受けてくれて思うようにとさせてもらっていた。

たくさん受けて受けて育ち、遠くからでも観ててくれて母・父の中にいつも居たのだなと。
そのままでいられた。
こうしなくてはなんて強要は一切なかった。

朝から晩まで働く両親の様子を見て、自分の事は自分でやらなくてはと思うようになり、自分の内面の事を自分で完結すれば、自立している、心配をさせないだろうと思っていた。
働き始めると人や場に合わせようとする、無理なことや嫌な事も表情には出さずに何ともないように振舞う、ずっと背伸びしたキチンとした人でないと自分が強いていて、そのままではダメだ、と認めない厳しい自分がいつもいた。

自分の嘘ごまかしは、殆どがやりたくなくてやった事、やりたいけどやれなかった事、言えなかったこと。
自分の中から何も外に出さないままにしているものばかりだった。

こう思う自分は変だ、言えない自分はダメだなとなり、こうでないという自分から逸れたものを隠し通そうと抑えて自分の方を変えたり直したりしていた。

年代でずらーっと出してみると言えなっかったんだな、そんなふうに思ったんだなと自分を客観視できて可笑しくなった。

小さい頃からのやってもらった事、心配かけた事などを見ていくと、わたしはちっともキチンとしていないのに無理な自分を演じていることに、何やってんだ?と。(女性40代)


◆自分自身を知る、謙虚で柔らかな自分の本心を知っていく
母、父、妻、会社の先輩、姉、周囲の人々。
内観を進めていくうちにみえてきた、「自分本位」「自己中心」というワード。
気付かぬふりをしてきた「当たり前」。

自分本位なのは、自分が愚かで未熟・悪いとも言えるが、CDを聴いていると、大脳新皮質が都合よく作られているのだなとも思う。
せっかく備わった大脳新皮質。教わった使い方。
言うのは簡単だが、賢く生きて行きたいと思った。

なぜ理解してくれないんだ、誤解だ、と思っていたこともよく観てみると、あぁこういう風だったのかな、だったらそう理解されても仕方なかったな、こういうことが伝えたかったのか!と改まる考え、納得できること。
そして、それが見えておらず、かつ説明してくれていたのに、理解できていなかった自分。申し訳なかった。
少しも嫌な顔せず、許し、優しく包んでいてくれたのに、自分は嫌な顔で反発してばかり。本当にいつも自分本位だった。
CDの開業医さんの奥さんへの内観。妻がオーバーラップし、泣けてくる。

突然死する人以外、人生で人は1度は内観するらしい。
今回、死ぬ前の真剣さで内観できたとは思わない。
でも、今の自分とこの時間でできることはできたのでは、とは思う。
「傲慢」「浅はか」という言葉が何度も頭を巡った時間だった。
小さな前進ではあったが、大きな1歩であった。(男性30代)
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