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人の中で安心し、気づき合う一人ひとり、探究の醍醐味!

日常、自分の頭は、どのようなに動いているのだろうか?
多くの人は、自身の思考の実態を見てみると「すべきことがある」と、普段、自分自身を縛っている考えが見えてきます。
自分自身を顧みる機会の中で、気づきのプロセスがこころに解放を起こします。
人と共に、幸福に生きる、道筋も見えてきます。
まずは、自分自身を知ることを通して、本来の自由な発想を身に付けていきます。
サイエンズスクールで12月8日から開催された「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。

以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html

pansy-3466090__340noseru.jpg◆気づきの連続で、思考回路がスッキリ
「私の内はどうなっているのだろう?」
「人間が考える時のメカニズムはどうなっているのだろう?」
「知るって?」・・・・
そんな色々な疑問や、生活の中で出てきては忘れていく反応をゆっくりと観てみたいなぁと思っていた。

探究中まず気付いたのが、私が表現したい言葉は最初頭の中に感覚のようなものがあって、絵になり、その感覚と絵とを合わせながら最もらしい言葉を引っ付けて表現している。
以前までそれがハッキリと見えてなくて自分自身では‘表現するのが遅いなぁ~‘と感じていた。
気付いた瞬間、思考回路がスッキリした感じ。

そう気付くと‘伝えないといけない…‘に捉われていた事にも気付いた。
無意識のうちに習慣付いて気付きもしない反応、自分の頭の中で書かれたシナリオで過去を生きている今。
探究すればするほど可笑しくて笑えてきたなぁ~。
そしてまだまだ終わりのない観察、探究が今もこれからも続いて行くんだなととても楽しみでワクワク。(女性30代)


◆認識を事実にする思考は、人間の考え。そこに気付く楽しさ・広がり
今回のコースで印象に残っているのは「事実化」
見たり聞いたりしてインプットしたことを自分の中の知識や経験、記憶と結び付けて自分の中で事実化する。
それはあくまで自分の中の感覚でしかないのにあたかも「事実」であるように思い込む。それが私の日常だったな。
それに自覚がないから他人の言動に振り回されたり自分の感情に捉われて一喜一憂したり。
それは人間の考えであることを知らない状態。

事実実際は今この瞬間瞬間のことで、留まっていないしはっきり捉えられるものでもないし、ただそこに関心が向いて「わかった、知った」とならないでただただ知ろうとする営みなんだろうな。
そのことに気づいたのが今回は印象的だったな。

今回はとくに「探究する」ことが楽しかった。
ぐるぐる同じところを回っているようで、それが拡がったり深まったり、もやもやしている思いを誰かがすぱっと言葉にしてくれたり、「そっか~!」と気付かせてくれたり。
ひとりひとりでいながら、深いところでは繋がっている感覚に日ごとになっていった気がする。
暮らしの中でも「私の中でおこった自分劇場」を出し合って「実際は?」に関心を向けて見たり、そんな経験がわたしにはとっても楽しかった。
よく笑ったな~。(女性60代)


◆広がりと共に柔らかくなる自分の考え、面白いなぁ
当たり前にやってること。
喜んだり、硬くなったり、焦ったり、不安になったり、どうゆう反応がおきてるのか。何から硬くなったり不安になったりするのか。
人間の考えの特性とか事実実際はどうゆものかの探究はおもしろいなと思った。
○○ちゃんが人間ってあほやな~って笑う
せやな~(笑)
知るは自分の世界がどんどん広がっていく感じがする。
自分の考えを決めていくのと自分の考えを囲ってない、相手の考えもはいってくる、相手と自分が委ね合って広がる世界。
硬いものがやわかくなる姿をみて、ええなぁ
実際の自分に
気づきながら、人そのものに適った暮らしに、そうゆう人に、そうゆう自分に、自分を知ることを続けていきたいなぁ。(女性30代)
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◆自分を取り巻く周囲の人と、共に、愛おしい命を生きる
自分を知るということは、人とのつながりを知ることでもあり自分が周囲によって生かされていることをも知る。
それは宇宙自然界の理にもつながるような気がして、その理を知ると自分に与えられた命が愛おしくその命を全うしたいとも思う。

こういう生き方を知ったからには、自分の周囲に伝えていきたいしそういう志のある人たちと手を携えていきたいと改めて思った。(女性50代)


◆これは21世紀に新たな命を宿し、蘇った禅だと思った。
まず、自分が体験しているのは実際の事実ではなくで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、体内感覚によって脳が作り出しているヴァーチャルな「世界」であり、それを認識している「自分」もまた脳によって作り出されたヴァーチャルな「世界」の内側にあることを、丁寧に確認していった。

自分が体験しているヴァーチャルな「世界」を「自分の身体」で分割し、外側を「客観的な世界」、内側を「自分」に分けて捉えている習慣的な認識の形にも改めて気づいた感じ。

その習慣をサイエンズメソッドでは「事実化」と呼んでいることも今回習ったけど、このコンセプトは、自分の固まった世界の見方を解体するのには非常に有効だなとも思った。
例えば、「あの人は私の事を嫌っている」という自分のヴァーチャルな「世界」の中の「自分」の反応を「事実化」し、「あの人は私のことを嫌っている」という考え、反応を事実のように思い込んでしまい、実際には、「あの人」がどういう状態であるかということに関心が全く向いていない状態とか。

長い間、「ワンネス」、「宇宙と一つであること」、「エゴから解放された状態」、「個人とは幻想であるというノンデュアリティ的覚醒」を追い求め続けて、世界中を探究し、いろいろなことをしてきたけれど、そもそもが、「世界」と「自分」という分離の構造になっているヴァーチャルな「世界」の中で、どんなに「自分」が努力し、学び、探求し、マインドフルネスになって、「世界」と「自分」の分離を超えようとしても、それは原理的に不可能なことであることが、やっとこさ、構造としてよく理解できたかな。

「自分を知るためのコース」の前の「アズワンセミナー」でも、その原理的不可能性を、感覚的に理解できた感じだったけど、今回は、それをより構造的に深く理解できた感じがする。

ヴァーチャルな「世界」での探求の不可能性が理解できればできるほどに、その背後にある実在の気配、サイエンズメソッドでいうところの事実、実際、本質、本心の味わいが、自ずと立ち上がってくる感じがする。
閉じた「自分の世界」に囲い込まれて、孤立した感覚、感じが、自ずと開かれ、元々あったもののなかに広がっていく、静かに広がり続けるという感じとも言える。

「知っている」と「知る」とはどう違うのだろうかという問いの中で、「知る」ということが、現在進行形の終わりのない探究のプロセスであると感じられた。
同時に「知っている」と結論付ける、閉じてしまうことで、「知る」というプロセスが見えなくなってしまうことも感じられた。
生まれて初めて「知る」という言葉の持つ深い意味に触れたと感じたし、「知る」や「知っている」という日本語を作り出した先人たちの叡智に心底驚いた。

サイエンズメソッドは、スタッフによって順番に提示されていく問いを、複数の参加者(今回は自分も含めて7名)で、時間をかけてゆっくりと一緒に考え、話し合っていくというという形をとっていて、前回のアズワンセミナーでも感じたことだけれど、これは21世紀に新たな命を宿し、蘇った禅だと思った。

順番に出されていく問いは、まさに21世紀に生まれた生きた公案だし、21世紀の禅は、かつての禅のように師と弟子の一対一の関係で吟味されるのではなくて、複数の参加者とスタッフのグループによる、話し合い、検討、そして間に挟まる冗談や笑いによって、和やかに、真剣に、多角的に探究されていく。

これは禅の21世紀進化型だと思う。

あるいは、ノヴァル・ハラリの一連の著作等で注目を浴びている言語と人間の脳、意識、社会との関係を、科学的に、哲学的に探求していくことで、人類の意識と社会に対して進化を起こそうとしている革命的試み。

それが、こたつを囲み、お茶やお菓子をつまみながら、各自がホワイトボードに問いに対して考えたこと、感じたことを書き、それを見せ合い、また話し合うという、淡々というか、平凡というか、日常的というか、そんな形で、進んでいるのが、めちゃ面白いし、革命的前衛だし、しみじみすごいなあと思う(笑)。

自分が普段、何気なく言葉を使って考え、認識し、判断し、行動している構造を、そもそもの言葉のところにまで戻って、ゼロから深く検討していく。

教えを教わり、その教えを理解し、それで答えに辿り着こうというようなのではまったくなくて、自ら問い、仲間の力にも助けられながら、でもあくまでも自力で、そういう従来の考え方、答えの出し方自体が自分を制限していることなんかにも気づきながら、探求して、次々といろんな自己発見をしていくのが、たまらなく面白いし、「真理は人を解放する」という言葉の力も実感する。

どんどん自由に幸せになっていく感じ。
自分の元々持っている願い、想い、本心がはっきりしてくる感じ。
自分を知るという旅が深まっていく感じ。
そして何よりすごいのが新しい人類の在り方、次の社会が自ずからさりげなく生まれようとしている感じ。(男性60代)
自分を知るためのコース | - |

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