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実際に則して検べ、本質に迫ることの体験で、誤認からの解放!

私たちは外の世界を感覚器官を通して脳が認識しているのですが、そこにある盲点を知らないため、脳の誤認に振り回されているかもしれません。
それは、高性能な脳のなせる業なのか? 
固定した考えで作られた社会の影響によるものなのか?
誤認に気づかずに暮らす社会の中でも、素直に、正常な感覚で暮らすには、固定した「考え」からの解放が不可欠です。
場を持ち、人と共に調べてみると、本質が迫ってきます。
5月19日から開催された「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
15062.jpg          (畑公園の紫陽花)
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◆実際を捉えているという感覚の、実際は?         

人間は実際を捉えようとして感覚器官をもった、(もっている)ここにハッとした。
ふだん感覚器官を通っていると認識はしないが、ここを自覚している状態と、実際をみてるとなってしまって(事実化)自覚を忘れている状態とありそうだ。
脳の高性能がゆえなのか?
小さい時からの周囲(周りの人や社会)の影響が大きいかな。

人間は実際をみようとすること(推測したり)はできるけど、あくまで、実際がわかるなんてことはない。
事実になりようがないものを事実にしてしまう、約束をした、その人来ない。なんで来ないんだ!!約束したやろーーー!来ない、おかしい!ドライアー動かへん!おかしい!
おかしいのはどこやね~ん
ないもんがみえんか~い!真剣に、ないものみえてます、えーはい、どうも。

自由な自然な人間で知性が働き、柔軟な人と人が・・・そんな社会はどんなだろう。
力まず人と共にそう成り合いたい。気づき合いながら。。
とてもおもしろかった。(女性30代))
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◆「感覚」・「認識」・「考え」・「知っている」の実際を探る!

今回見てきたような「人間の考え」とは? という認識なくつくられてきた社会の中で、自然と身につけてきた感覚と認識のとらえ方を、「どうなっているのかな?」とゼロから見直す機会。
貴重な探究の時間だった。

「知る」と「知っている」の違いは何か?
と考えた時に、本来の人間は「素直に知ろうとする性質があるのではないか?」ということが出てきた。
「人間の考え」が悪いのではなく、使い方やそもそもそれがどういうものかを知らない現状なのだなと思う。

考えによって決めつけや固定のある人や社会は窮屈だなと思う。
考えを知り、うまく使って、生き生き自由な人や社会の中で生きたい。(男性40代)
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◆人間の考えを、信じている状態から、楽しく生きる世界へ解放!

一週間やってみて、「人間の考え」というものが、ますます気になってきたように思います。
「人間の考え」とは。
どういうものなんだろう、どうなっているのだろう?
自分の頭の中では、どうなっているのだろう?
どんなふうに使っているのだろう?

〇〇を信じている、それは何を信じているのだろう?
頭の中の「考え」を信じている、そう考えている「考え」を信じているようです。
信じるとは?
考えていることが事実だとしている、正しいことだと(?)動かしようのないものだとしている。
「考え」というものを知らない、「そうしなければならない」があると思い込んでいる。
疑いようもなく、ある、と思っている。
そして、それに合わせて動こうとして動いている。
それが、どういうことなのか、どうなるのか、を知らない。
人間とは、こういうものだと信じ込んでいる。

それが、どういうことになっているのか、なってしまうのか?
それで、本当に楽しく生きてゆけるのか?
人間を知り、人間の考えを知って、生きてゆくしかないのでは。
自分は、どうするのか、どうしたいのか、自分を見てゆけたらいいなと思います。(男性60代)
20190604_051422.jpg          (第二研修所に咲く花)
◆意識の固定化を解き、欲求への蓋を開ける!

できるものは今この瞬間だけだな。
過去・現在・未来という言葉を使うが、すべて今にあるだけだな。
観念上の事実化は、知っているという状態。
"意識上のものは事実ではない・固定されているものはない"と自分の意識を固定して、相手に教えようとする。
相手の発言が間違っている、誤解している、事実を知らないという感じがする。
仏教で言う法執行。
たやすくその状態に陥るんだなと思った。
相手が何を語ろうとしているのか知っている、自身は分かっているという感覚。
知ろうとする関心、欲求が湧き出てこない。
自分の世界に閉じこもるんだなと思った。
知ろうとすればするほど、無限で広大な実在の世界には進めず、自分の頭の中の世界に閉じこめられてしまう。 (男性30代)
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◆事実であるという誤認を知り、正常な認識へ!

今回のコースの動機も、日常から離れて自分の状態を眺めれられたらいいかな、くらいの軽い気持ち。
一年に一回は行こうと思ってたし、くらいな。
「サイエンズメソッド」という名前は聞こえていたけど、正直あまり関心が向いてなかった。
ま、と言っても自分の中の願いはずっとある。
人間の考えであるという自覚が日常でリアルタイムで実現すること。

今回、色んなテーマ・角度から「人間の考え」についてみてみた。
今まで何度も聞いたことあるテーマでも、自分の実態をサンプルにしていくと改めて考えることができる。
頭だけで考えるのと自分の実例でみていくことは全く別の行為のようでその違いがくっきりしている。

調べていくと全部自分の頭の中でやっていることなのに、まるで事実のことのように誤認してそこから反応したり行為したりしている、誤認している実態があるということだ。
誤認してる自分がものを見たり聞いたり言ったりしている。
やってる本人は大まじめにえらそうにやっている。
正に「知らない」ということを知らない、「知っている」状態。
自分の実態を把握すること。
自分が頭の中でやっていることを知ること。
しっかり知ればきっと誤認が正されるのだろう。(女性40代)
img911_IMG_20160606_143603.jpg◆気持ちの蓋を開ける、探究の面白さ!

率直な感想としては、探求することは面白いし、理解が深まっていくようにも感じるし、自分の過去の実際を知りながら、参加者ともつながっていくような感覚になった。

実際に探求をしていくと、自分は「相手がおかしい」「相手が悪い」「それは変だろう」「それはあり得ない」といったことしか知らない世界に生きていたのだと途中で気が付いた。

要するに、そもそも人とは事実・実際について、人が有する内的システムを用いて類推や推測はできても、その域を出ることは原理的にできない(そのように規定されている)。
したがって、事実・実際を知ることができるのは内側も外側もない神のような存在だけともいえる。
そう考えると、事実・実際を知りえない人なのに、人が神だと勘違いしていることに本質的・根本的な誤りがあったのだと知った。
人は何ができて、何ができないのか、その限界を学ぶことができた。

また、人が人の考えであるフィクションにいかに拘束されて、自己の中から立ち上げる自然な願いや気持ちに蓋をしているのか、つまり、人の考えが、人の自然な願いや気持ちよりも上位に位置し、現状の冷たい社会をつくりだしていたのかを知った。
そのようなフィクションが主体となり、人が操り・操られる他律的な世界から、人が主体となり、フィクションの利点を活用できる自律的で知性が発揮される世界(優しい社会)への転換が必要であるとともに、その世界が放つ豊かさの一端を感じることもできた。(男性40代)
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以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
20180527_101201.jpg          (畑公園の紫陽花とミカン畑)
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