<< 内を観る、そのままの自分を見ていくと、本音・本心が観えてくる | main | アズワン(as one)・一つの社会・一つの世界! >>

本来の人生をハッキリ知って、幸福な暮らしを生きる!

人生の本質を探る、現状の自分自身をジックリ見る、観察していくと、今まで気づかなかった自分の実際の姿や気持ちやこころが観えてきます。
みんなの中で本音を聞き合いながらの探究が、自分の本心に気づかせてくれるのでしょう。
本心で生きる・暮らせる社会、幸福な人生のスタートです。
2月10日~の「人生を知るためのコース」に参加された方の感想を紹介します。

images (3).jpg
◆実際の世界には無い「~すべき」、「知る」ことで主体的に生きる人生へ

自分も相手もその人らしく健康で・満たされて欲しい・生かし合いたい・・・言葉にするとこんなものが浮かんでくる。
“それをわたしは本当に心の底からそう思っているのか?
本心はどうなのだろうか?”
この問いかけが大切な気がした。

そして常に自分自身が何もしなくてよいという状態であること。
自分自身が無理なく心からやりたくなった分だけやる。
この主体性も大事だと思った。
主体的に生きるということは多くの人のお世話になること、人を生かすことかもしれないなと思った。(実際にはそうなのだろうけど)

~すべき、~してはいけない/当たり前(あって当然)/必要…良いこと・悪いこと
これが大きく影響して実際の自分、実際の世界から遠ざかっていくように思った。
そして自分がどうしたいのかさえも見えなくなる。

今の社会から受けているものは既にたくさんすぎるくらいある。
目に見えているものすべて誰かからの贈り物。
目に見えないものも、そうこの命も酸素も、言葉も…、それを知れば知るほど豊かな心となっていくように思った。
人ならではないだろうか。(30代女性)
.
.
.
◆「幸福な人生」は、「安心と満足」・「求める・応える」、本心を生きること!

人生というのをよく知らないで人生やってるというのも面白いなと思った。
主体的状態というのは何をやろうとしている人生かというのがハッキリしてる状態というようにも思えた。
それと印象に残ったのは、暮らし全てで満たされていくのが人生じゃないかということ。

応えたいという欲求は、実際にある人の求めるを知ることで発露していくのかな。
またそのためには安心と、聴いて理解してもらうことによる満足が、ベースにあるように思う。

結婚というのも、最も求め応え合う関係性のように思えた。
してもらう喜び、応える喜びの折重なりが家庭の営みかな。
父親、母親という役割で見て、1人の人として見えないとなかなか中のものが見えにくくなるだろうなと思えた。
これから子供も産まれてまた色々変わったりするとは思うけど、お互いの本心をもっと知って実現していきたいと思う。(20代男性)
images (5).jpg
◆「こうあるべき」というキメツケに気づき・「知る」ことで起こる心の開放!

行いや行動を見て聞いて、それをした人、それを言った人、としたり、それをやった自分、それを言った自分と、行いや行動を自分とする、その人とする。

こうあるべき、するべき、ねばならないの、思い込み、キメツケが強いほど、表れが大きくなる。
悪感情の表れが出た時、どうなっているんだろうと自分の内面、心を観て、何々だからこうしなければならないとか、キメツケがあることに気づく、知ると、軽く、穏やかになる。

事実、実際の状態も当たり前とした時に、何か満たされない感じを無意識で感じ、それを何かで埋めようとする。
この満たされない感情も思い込みや、キメツケの一つの表われかな。
欲求を意識的に、無意識的に、何か行為で埋めようとしたり、人で埋めようとしたりしても、きりがなく、どこまでも満たされない。
当たり前となっている状態、、
当たり前、当然としている日常では、充足感はないし、自分の内面を重視しないし、まして人の内面にも意識は向かない感じ

受けて、人は生きていると気付き、自分の考えであることを知ると、自分の内面を重視することと、人の内面を重視することが同時に起こってくるような、、そして人の中に自分の内面を重視してくれるんだ、と受け取る感じになっていくと、互いに双方向に何かが動き出し表れてくる感じ、、、受け取る喜び、応じる喜びと言うような感じかな、、今までとは違う表れ方に自然となってくるように思う。
互いに暖かいもので満たされて、その和が周りにも広がり、穏やかで、充足した、空間になっていくようなイメージだな、、

個で存在するものは何もないということも、当たり前から喜びに変わる瞬間かな、、
無邪気な子どもの状態がイメージされるな、、
いろんな反応は出てくるけれど、それに縛られない、状態。
ああ、本当にそうだ、、日常の中で生かされて行きにくいというか、中々自分がそうならないのは、頭で考えで、言葉で理解している状態だったように思う、、集中して専念して観ていくで、本当に観えてくるとはこういうことかな、、

人間らしい人に触れる機会が増えれば、、それが社会全体の環境になるし、、何かをやろうとした時に、何をやろうとしているのか、何故やるのか、、、やるとは何か、
意識上の事ではなくて、もっと奥にある、本心からなっていってるかということ。(60代女性)
images (7).jpg
以下のページから人生を知るためのコースの案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
人生を知るためのコース | - |

Trackbacks