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固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(1)

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「一つを実現するためのコース」参加しました
            
 固定しているものは何もない
 単独で存在しているものは何もない。

お母さんが子供の弁当におかずを入れ忘れたりすることがないように食べる人のことを思えばおかずのない弁当は本来ではないというのを聞いて、ミスがあるのが当然でしょうと思っていたので、とても驚いた。

本来ということを知らないのかもしれないな、と思った。

こういうこと、(ミスがあって当たり前)が、人間の考えで、固定しているということなのかもしれないな、と思った。

前に〇〇ちゃんにお味噌汁を出してあげたときに、家ではお母さんがお味噌汁を作ってくれていたという話をしてくれて、そうなんだーと思った。
〇〇ちゃんのブログを読んで、お母さんのお味噌汁が飲みたいのかな、と思った。
それを検討会で出したら、△△ちゃんの心は?と問われて、えー、私の心??
 
私の娘じゃないしな、とか、私が何かやってあげてもな、とか思うとか、言ってて、あれ、なんかちがうな?と思って、これが隔てなんかな?と思って、それを取り除いた心を見たら、〇〇ちゃんに対する愛情があふれてきて、かわいくて、かわいくて、好きで好きで、しょうがない、ってでてきて、もう、心は動いていたのに、考えで隔ててたんだな、って見えて、そうか、これがあの、うわさの(!)本心だったのか、と思った。

 社会は心のある人の集合。
 誰にでも心はある。                
(40代女性)

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「一つ」を実現するためのコースに参加して

「視界が開けた。」

今の心境を一言で言い表すなら、こういう表現になると思う。

なぜだろう。目的がはっきりすればするほど、それへの道筋が鮮明になればなるほど、肩の力が抜け、気持ちが軽くなっていく。

ようやく、ここに辿り着いた。
紆余曲折を経て、スタートラインに立てる自分になれた(気がする)。
それは自分の力ではない。
9年前に、サイエンズ研究所(当時の研鑽科学研究所)の存在知り、
人や社会の本来の姿を0から探究する、それを本気でまじめにやっている人たちがいる。そこに惹かれて、ここに来たと思う。

住むところも、自分の能力を活かせる場も、食べるものも、家財道具なども、用意してもらい、
好きなようにやらせてもらってきた。
何をやっても、咎める人もいないし、強いる人もいない。
ただただ見守ってもらってきた。

今までの自分は、片足突っ込んだ状態だったと思う。
本気の人に頼っていたと思う。
自分は本気ではなかった。半信半疑だったと思う。

「一つ」の実現に向けて、スタートを切りたい。

また、今日この資料を読むまで、その不健康な状態を悪いものと見ていたり、その人のせい(努力が足りないとか?)としている見方があった。今までも何回か読んできたし、頭ではわかったつもりでも、本当の意味での理解にはなっていなかったようだ。

今日読んでみて、第1章の1に、”すべてのものにとって、健康であることが正常な姿で、それは理にかなった状態であり、そのものの本来の姿であり、…” とあり、つまり不健康というのは本来の姿と異なる状態、理に適っていない状態に、何らかの原因で、たまたま今、そういう状態になっている。それはその人に原因があるのではなく、元々、健康だったものに、周囲の人(環境)からの影響でそうなっている。つまり、社会がそうさせているともいえる、という辺りの理解がだいぶ進んだ感じがする。

自分の中にある、人に対してや自分に対しての嫌悪感とうのも、この辺から来ているようだ。
不健康というものを知らなかったなと思う。
もっと知って、その原因、元にあるものを解明していく、そこをやっていきたいな。(30代男性)
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先月、サイエンズスクールの開催している「一つ」を実現するためのコースに参加しました。 
コース参加の中で何を気付き学んだのか、咀嚼したいので、長くなりますが、振り返りながら書いてみたいと思います。(60代男性)

♡ 物と心と幸せと、「理」の働きと

探究会の中で、50年位前に思ったことを思い出した、「これからの日本は高度成長期に入ります。豊かな生活をして幸せな暮らしを目指しましょう」と、日本中「一つ」になって幸せに・・・政治家の人が言っていたことを。

日本の歴史かな、高学歴・良い会社・高収入、一丸となって幸せを目指して進もうとしてきたようには思うのだが、日本人は否,世界中の人々は本当に幸せに向かって、進んできたのだろうかと思う。

そして今現在も進んでいるのだろうか?

顧みて、物は豊富にはなったと思うが、私の二十歳くらいの時(50年前)の方が、隣近所何かと助け合って今より仲良く暮らしていたよなぁと思う。 
今の日本や資本主義社会で暮らす人々を見ても、物の豊満だけではこころ満たされず、人と人の争いは無くならず、縛り合が強くなる日常で、サツバツとした心の状態が進んでいないだろうか、幸福な暮らしをしている人はむしろ減っているのではないだろうかと思う。

幸福な暮らしには、物の豊満 + 「こころの豊かさが」 あってこそなのは、誰でも納得できることだと思うが、「心が豊か」とは、どういうことなのか知らない社会なのかと思った。

物の豊満に舵を切ってきた社会は、得る事主義を育てることになったのかな。

社会システムもお金を介在しての物の流れを作っているので、物の偏在も生んでいる。
得る事主義では、何かを得なければ不安になり、不安になること事態が「理」から外れているので、「理の働く世界」こころの世界からは遠ざかっていくよなと思った。
不安は、守りの態勢を生み、責めも生むことになる。

探究会の中で、得ること主義は個々ばらばらの個人主義の考えを生み、個々ばらばらの考えは人と人の間に隔てをつくり、「理」の働きによって不健康な社会を作り出すことになっているのが今の社会の実態だなと思った。
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「理」の働きとは? そもそも「理」とは? どんなものだろうか?

宇宙や太陽や地球や月や、天体の観測をしてくれた研究者の言葉から、宇宙の動きには一定の法則がある事が明らかになってきたのがうかがえる。
探究の中で、この世に存在するすべてには、共通に一定の法則=「理」というものに適った動きがあるのかなと思った。

自然の中にも・・・生きものすべてに、「理」の働きが、働いている。
「理」とは何か?・・・・「理」を探究すると見えてくるものがある、あらゆるものは「単独で存在していない」・「常に動き変化している」。

探究会の中で固定 ・ 隔ての無い「一つ」の世界が見えてきた。

人は「一つ」の世界を生きている、固定・隔てのない世界に存在し生きている。
一つとはもともとの姿・この世の全てを成り立たせている「理の働く世界」の表現だなと思った。
「一つ」の世界とは? 実現とは?
本来の姿 = 健康な姿 に生きる事なんだなと思う = 「幸福」と一致してくる。
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社会の現状は、「一つ」とはどういうことかを知らず、幸福とは何たるかを知らずに、日本中・世界中、一丸となって「本来・本質」を知らずに進んできたゆえの、守ったり・責めたり、今の不健康な社会の実態も当然の結果かな。

「やる」事優先方式から ⇒ 「知る」からのスタートを!

探究会の中で、不健康なこころの状態でスタートする「やる」事優先方式よりも、健康正常を「知る」ことの大事さを思った。
「知る」からのスタートの方が早く幸福へ進んでいけると思った。

幸せを求めて色々な活動や暮らしをする前に、また、暮らしながらでも「健康な人の姿・健康な社会の姿」を「知る」、結婚の前に・子供をつくる前に・子供を育てる前に・社会で働き始める前に・死ぬ前に、あらゆる前に、何よりも先に、「やる」前に「知る」ことに重点を!

健康を知る・本来を知る、本質を知る、すべての人が「知る」からの始まりを! すべての人と一緒にやりたいと思った。
ここは、大きなポイントかな!

探究会は、健康な人の姿・健康な社会の理解を深める方向に進んでいった。

今回、「一つ」の世界を探るポイントに、人間の考え(理に適った人間の考え・理から外れた人間の考え)不健康な心の状態健康な心の状態、この3点に焦点を当てながら探ってもみた。
探っていくと、人間が作り出した「理」から外れた考えが、心の健康に大きく影響を及ぼしているのが観えてきた。

心を不健康にする「理」から外れた考えってどんなのがあるのだろうか?

隔て・固定・上下観・頑な・言い張る・義務や権利(やらせる・させない)・所有・得る事主義から発生している資本主義という考え方、共産主義も得ること主義では変わらないかな、良し悪し、罰則には責めないと気がすまないという感情が奥にあると思う。

上のような不健康な考えが、不健康な心の状態を作り出している、責めないと気がすまないという心の状態や感情も、攻め合いの社会で、責められることの多い環境の中で、自然と身につく感情なんだなと思った。

責められながら、自分の身を守りながら、恐怖心をこころの奥に持ちながら、多くの人の内面が「責めないと気がすまない」という、身を守る心の状態から抜け出せないでいる感じだな。
これでは身を守る、固定思考の頭になって、柔軟な頭の働きをしないな。
頭の働きがこころの方向へ向く動きになっていかないと思う。
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自分の場合はどんな不健康さがあるのだろう?
守りが、恐怖心が、責めが、ワンセットの状態であるのだろうか?
まず、恐怖心を解決し安心のこころ状態になる事からしか出発出来ないなと思った。 

今回、探究会参加者はスタッフいれて10人だった、私は今の自分を検討会の中でさらけ出した。

帰りが遅い妻への不満を!
仕事から帰って一人で酒を飲み始める時の寂しさを・「えっ何それ」皆に笑われた。 
笑われながら観ていくと「早く帰って来い」と妻を責める気持ちが見え始めた。

やらせることが出来る考えが自分を支配している、それに気づき始めると「早く帰って来て欲しい」自分の気持ちが見えてくる。

本心が見え始めてくると、妻は旦那より早く帰って旦那を迎えるべきだという私の育ちの中で身についた考え、私独自の夫婦観が、「べき」という縛りをつくっているなと思った。
小さな不満だと思っていたが、それが妻への隔ても作っていることも見えてきた。

早く帰って来い・旦那を迎える「べき」だ・私の中の隔てと固定の考え「〇〇すべき」、ココから「やらせる・責める」へと発展する「理」から外れた考えで絞めつけ気分、不満が心に蓋する淋しい気分、不健康な心の状態を作り出していると思った。

笑われながらの中でもオープンにすると、自分の中に心の解放が起こっていく感じがし始めた。
人の中で、ぶっちゃけのオープンになって、こころの向きが健康方向に変わり始めるのかなと思う。

責めあいの今の社会が、協力しあいながらの暮し、本来の仲良い社会に変わっていくには!

守ることが要らない世界に立つ人、健康を志向する人、健全を探究する人達の、オープンになりあっていく姿の結束を思った。

不健康な社会が健康な社会になって行くには、健康を志向する人の結束が要る・・・・。

何を結束するのか? 何に結束するのか?
 
笑われながら、笑い合いながら、ぶっちゃけのオープン、オープンなこころに、人と人の間に「理」の働きが動きだす = 「一つ」の世界の出発があると思った。
「一つ」からの出発、「一つ」への出発、結束が強力な力を発揮する。
オープンなこころの世界に「結束」ここは、社会が健康になっていくスタート、大きなポイントかな!

考えと心の状態の関係は? 自分の中でどうなっているのか? と思う。
皆に笑われながらも、聴いてもらう感じに心の解放と心の満足を思った。

人は何に満足を感じるのだろうか? 喜びを感じるのだろうか?

続きは、後日。
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