「話を聞く」「人を聴く」私は何を聞いているのだろう?

普段人の話(言葉)をどんなに聞いているのだろうか? 
探ってみると、言葉の性質に辿り着く。
話が聞けない時には、自分独自の「聞き方」がある。
柔軟な聞こえ方には、素直に「人を聴く」柔らかい頭への道筋の理解から・・・。
人の中で、もともとの穏やかな心の日常が見えてくる。
10月20日~のサイエンズスクールの「人を聴くためのコース」感想を紹介します。

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💛 私は何を聞いているのだろう?

自分の「聴く」がどうなっているか。まずは現状から探ってみた。
すると,人が発した「言葉」を捉えて,それがその人の気持ちや心,感覚を表しているものと理解して,その言葉をもってその人そのものとしている自分の実態が見えてきた。これまでそのことに何の疑問も持っていなかったのだ。

結果,その人から何か自分にとって違和感のある言葉を受けたと認識した瞬間,悪感情をいだき,その人を評価する。
そして,一度,その人に対してネガティブな印象を持ってしまうと,それ以降,その人の話しが聴けなくなる,聴きたくないという現象につながっていく。
これまで,そのようなことを繰り返してきていたということに気がついた。

そもそも言葉とは何か。
また,言葉はその人の気持ちや心,感覚をどれだけ表現できるのか,という問いも探求したり,実験したりしてみた。
すると,言葉とは,モノや事象の重要な部分を抽象化し,それを概念として表現したものに過ぎないということが見えてきた。
人の気持ちや心,感覚を表現する際,こうした言葉の特性からすると,その人から出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚をそのまま示しているのではなく,それをその人の中で抽象化,概念化して言葉として表現しているということになる。

💛 言葉の性質は?

そのようなプロセスを経て出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚を微細に表現しているものとは到底言えない。
すなわち,人の気持ちや心,感覚を言葉として完全に表現することはできないとも言える。
これが言葉の本質,限界だとしたら,その人から発せられた言葉をもって,その人を評価することがいかにナンセンスであるかということになる。

そもそも,その人から発せられた言葉を聞いて,そうだと理解しているのは自分であって,自分の理解した「そうだ」は,その人そのものではない。
その人の本当の気持ちや心からは,だいぶ遠くなっている。
そういうメカニズムを知らずに,その人から発せられた言葉はその人の気持ちや心,感覚そのものである,としている現状が,どうも人と人との間に不自然な関係,ネガティブな関係をもたらすことにつながっているようだということが見えてきた。
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💛 「人を聴く」聞きなれないフレーズ 

そもそも人を聴くとは何か。
人を聴くとは,その人から発せられた言葉(音)を単に自分の聴覚で受け取ることのみではない。
それをきっかけにして,その言葉を自分なりに受け止めながら,その人の心がどうなっているのかと自分の関心がその人の心に向き,その人と丁寧に向き合うことであるという気がした。
また,その人の言葉を聞いて,それに反応していると,なかなかその人の心には関心が向かないということも見えてきた。

「聴く」がなかなか実現しないのはなぜか,という検討も面白かった。
自分の中では,いろんなものが「くっついている」現状がどんどん見えてくる。
その人の言葉とその人そのものをくっつけて理解している現状,「聞く」と「やる」がくっついている現状,聞くとすぐに自分の見解とくっつけて比較し言いたくなる現状,聞くと自分のネガティブな記憶とくっつけて悪感情を起こす現状。

そういった,普段気にしていないことがあからさまになる衝撃とともに,そのメカニズムが見えてくることで,これからは,くっついているものを分離して,それにとらわれずに人を聴いていこうとするきっかけとなったと思う。

💛 「聴く」が実現すると、どんなになるのだろう?

聴くが実現したら人と人との関係はどうなるか,また,社会はどう変わるのか,という検討も興味深かった。
そもそも,人が聴けるようになるには,何かを努力するとか,意識するといったことではなく,不必要なものをそぎ落として,自然な人そのものになっていくことで実現するのではないか,という考えは目からうろこだった。

無理なくできそう,という気になってくる。
また,聴いてもらうことで元気が出たり,先に進もうという意欲が出てくるという考えからは,聴く力,聴くことの効用といった,「聴く」のポテンシャルを感じる。

また,聴くが人の間に広がり,それが社会の基盤になると,人が社会の中で健康で幸せに暮らしていけるのではないか。
そういったことを想像すると,人を聴くをどんどんやりたくなる。
人の心に焦点を当てた聴き方,そういうことができるようになっていきたいと思う。
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💛 コースの余韻
2018.10.25
コースが終わると,いつも溜まっているメール,伝言,郵便物の「対応・処理」に忙殺される。
そういえば,忙殺って,心を亡くして殺される,だな。。まさにそんな感じ。

今回の人を聴くのコースは3泊4日だから,溜まり方もそんなひどくないだろうと思っていたら,コース期間,デジタルデトックスしている間に意外といろんなことが起こっていて,飛行機に乗る直前まで電話しまくり,メールの返事送りまくりだった。。飛行機を降りたらすぐにまた電話が鳴るみたいな感じ。。

しかし,今回は何かが違う。

これまでと違って,自分の心が殺されている感じがしない。
しかし,やっていることは今まで同じで,「溜まったものの処理」。
でも,何かが違う。
これまでは,それこそ,目の前の溜まったものに気持ちがいって「忙しくて大変な自分」みたいな気持ちでいっぱい,いっぱいだったけど,昨日,今日は,メールを送ってくる相手とか,伝言を残した相手とかそれを取り次いでくれた人とか,どんな気持ちでいるんだろう,どんな気持ちでメールしたり,電話したりしてくるのだろう,ということに気持ちが少し行く感じがある。

💛 「人を聴く」と「心の状態」の関係は?

そもそも,溜まったものというのは,自分のとらえだなぁと客観視したり。。。そうなると,メールの返し方や,電話の仕方もなんかいつもと違ってくる。自分の気持ちの面でいえば,穏やかな感じ。。

これって気持ちがいいな。
同じことをするでも,心の向き方が変わるとこんなに楽になるのかと。

これまで,こういった現象を「鈴鹿マジック」と呼んでいて,大体一週間くらいすると消えてしまっていた。
この話しをコースの中でもしたら,コースで一緒だった人から,「本当は,鈴鹿以外のところのほうがマジックだよね。」と言われて,ハッとした。本当にそうだよな。
普段,何のマジックにかかって,「忙しくなっている自分」となっているんだろうって。。

鈴鹿に行けば心が穏やかになる,ではなくて,普段から穏やかでいたいと当然に願う。
どんなマジックにとらわれているのか,日々の暮らしを観ながら,少し意識しながらやってみようという気になってきている。(50代男性)
- | comments (0) |13:05

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