幸せな人生、誰もが願う「幸福に生きる」ことを探る!

人と人、繋がりの解明が「幸福に生きる」人生の道筋を、明らかにさせる。
「こころ」へのアプローチや探究が、「こころ」の世界の繋がりや広がりを明らかにし、誰にとっても、明るく・軽く・穏やかで「幸せな人生」を生きるスタートになる。
サイエンズスクールが開催した、9.8~の「人生を知るためのコース」参加感想の一部を紹介します。
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何気ない自分なりの見え方、奥にある本心を気付くとは?
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一つという観方・・・数年前の朝、男の子に〇〇高校はどこですかって聞かれた。
私は知識を総動員して答えた。

行ってしまってから、あっ、今日は高校の受験日の日だって思った。
なんだか、ちゃんと行けたのか、とても心配になった。
普段の見え方は、別々に捉えている様でも、とっさになると何とかしたいって気持ちが動くんだなって思った。

こっちの方が、考えとか入ってない本体なのかもと思う。
もっともっと、本心、本体を知りたい(50代女性)


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怒り・恐怖心、感情の元の、心の状態を見ていくと!
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怒り自体に反応してるのではなく、怒りに対しての恐怖のようものが自分の中にあってそれに反応してるように思えた。
だから〇〇さんが、いざ怒った状態になったのを見ると、だいたい逃げたり避けたりするか、怒らないで欲しいというのを必死に伝える感じもあって身を守る反応の現れのように思う。
怒りに対して恐怖のようなものが特になければ、怒ってて居心地が良くないというのはあっても、身を守る反応のようなものも無いように思えた。

〜できない、言えないというのも、恐怖心から来ているような感じもした。

現状の自分の人の観方が、感情とか気持ちとか欲求とか、現れたものをその人としている自分がいる気がする。
感情や気持ちなどは、自分の中に湧いてる感じもあってか自分そのものと思いやすい気もするけど、自分の外に現れてるものだよな〜と調べていくうちに思えた。

怒りをその人ではなくその人から現れたものという観方だったら、怒りが現れてるけどその人の心の状態はどうだろう?と、もっとその人の心に関心がいくようにも思うし、本心というのがハッキリしていたら怒りの現れがあって色々言ってても、その人自身本当にそうしたい訳じゃないだろうという感じで、怒りに対して嫌になってもその人を嫌になることはないように思う。

現れたもの と その人、の区別がついてなく、現れをその人としているような観方になってるように思えた。(20代男性)


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観念のフィルターをはずし、奥にある本心を生きることが、主体的な生き方へ変わる!
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これまで内面に関心を向けるというのは、その人の意志や考え、感情や気持ちに関心を向ける事のように思っていた。
しかし、それらは「自分」の外に「あらわれたもの」ではないかという見方が新鮮だった。
意志や考え、感情や気持ちは状況によってコロコロ変わる。

人の心というのはその奥(というか下というか)にあるもっと安定したものかもしれない。
その自分の心を見てみると、「上下観」が根強くこびりついているのに気が付いた。

こういった実際に反した観念が染みついていると、それがフィルターのようになって本心が見えない。
今は自分の内面(心)に注意を向けて、こういった事実化してしまった観念に気づいていくしかないと思う。

自分の本体というか「そのもの」から、人生の節目でメッセージが届けられてきたように思う。
きっと心がもっとクリアーなら、そのメッセージはいつも届いているのかもしれない。
鈴鹿に来て、〇〇〇で働かせてもらえることになり安心したが、自分の中の「上下観」が邪魔をして、本心というか主体性が十分発揮されないまま時を過ごしたように思う。

今回の「人生を知るためのコース」参加が、自分の心の中の観念の事実化に気づき、本心で主体的に生きていくスタートにしたいと思う。(60代男性)


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繋がりの中での安心・満足、本来の幸福な人生を探ると!
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自分の人生は,いったい何を目指しているのか。そして,実際の自身の人生は,その「目的」に適っているのか。
こんなことがこのコースではっきりとするのではという期待のもと,コースをスタートさせた。
コースが進んでいく中ではっきりしてきたことは,そもそも,自分自身,「人間の考えであることの自覚」が未だ身についていないという実態であった。
これには少し愕然とした。

意識上の自分と,実際の自分とがはっきりとしていない中で,人生の目的とは,本心とはと探っていっても,意識上のことだけがどんどん浮かび,実際は何かということがはっきりとせず,頭の中が混乱してきた。
加えて,実際はどうか,という視点ではなく,実際は何かと,あたかも答えを探すような思考を進めてきていたこともコースの中ではっきりとしてきた。
生きていることは身体機能を維持しているだけではなく,知性を働かせ,人らしくある状態であるように感じた。
また,知ると考えるの違いについても探ってみた。
考えるは,意識上で思考をめぐらすことであり,知るはそこからさらに会得するイメージである。

自分は何によって生きているか。
自分の意志で自律的に生きているような気もするが,他者からいろいろとお世話になっていることも多い。
また,他者から色々といい影響も受けている。
それが,生きていく上で糧になっている。
そうすると,人は一人では生きていけないとも思う。
だとすると,他者といい関係でいたい。
それが,自分が心地よく生きていくことにもつながると思った。

そして,そもそも,自分以外は他者なのかという疑問が浮かぶ。
実際はどうなのかと調べていくと,自分と他者と区別していることは意識上のことであり,実際は,他者というものはいないのではという気がしてくる。
人はもともと一つであるという気持ちも湧いてくる。
そうすると,助け合い,分かち合うということも自然と成ってくるものだという気持ちになる。
こういうことに気がついたことはこれからの生き方にいい変化があるように思う。

本心はどこにあるのか,心はどこにあるのか,それはどんな状態か。。そもそも自分の心がどうなっているかと考えたことは今までなかったかもしれない。
心を重視することは,自分を大切にすることにもつながるし,ほかの人の心に関心を寄せることにもつながると思う。

人は心を持つ動物である。
普段は,その人から出てくる言動や,行為といったものに気をとられてしまいがちであるが,その人の心はどうなっているのか,その時の自分の心,本心はどうなのかと振り返ってみることをこれからやっていきたいと思う。
そのことで,自分以外の人たちと,良好な関係性が保つことができるのではと思う。

人らしく生きていくには,安心や満足,豊かな環境といった要素も重要であると思った。
そして,それらはバラバラに実現するものではなく,相互に関連しながら成り立つものであるということにも気がついた。
また,一人ではそのような環境は作れず,周りの人たちとの協同によって成り合えるものであるということにも気がついて。
そして,そういった環境にあってこそ,人間はその持っている能力や,こうしたいという気持ちが発揮され,その人らしく生きていけるのではないかと思う。(50代男性)
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