固定した考えで、自分や人を縛っていないだろうか?

人間の人間らしさは、知性の働きと心の働きから、現れるのではないだろうか?
人間の頭脳が作り出したフィックション(貨幣 時間 国境など)を共有することで、合理的な便利な暮らしを手に入れた。
が、自分で、作りだしたフィックション(貨幣 時間 国境など)で自分自身を縛ったり、お互いを縛り合う窮屈な暮らしになっていないだうか?
ゼロからの探究によって、縛り合う社会から、自発的で、自由な社会への道が、「自分の考え、自分の感覚であるという自覚」から始まる事が観えてくる。
9月2日~のサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
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人間の考えを知る → 「自覚と主体性」
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ブラジルや韓国、鈴鹿・八ヶ岳から集まったメンバーで、何を言ってもいい安心の中でかっこつけないでリラックスして出せたような気がします。

長女が濡れたバスタオルを丸めてあちこちに置きっぱなしにするのを見て、「もう!また!」と思うなぁ。
「感覚がちがうのね」では済まない感じ、大きい家、古い家、かわいい赤ちゃんなど、日常ではそのもののことを言っているな。
何かとの比較でそう言っている私の感覚のことだなぁ。
玄関で靴を脱ぐとか、そういう場所そういうものだからそうしてるという感じだと、まるで選ばされたような感じで、させられる感じになりやすいのかもと思った。
もしかして、これは主体性のテーマにつながってるのかな? と、2日目に思った。
忙しそうだから、声をかけれなかったのか、自分がやめておこうと思ったのかでは、だいぶ違うなと思った。
自分がやっている自覚がないと、やらされている感じになり、主体的でなくなるんだなぁ。
機嫌が悪いと判断したり自分のせいと思ったり、自分独自の回路があるなぁと思う。

実際とは何だろう。
「人間の考え」と知らないとルールや規則に振り回されて、何のためにやっていたのかわからなくなり、主体を失うと思った。
人間の考えであることの自覚がないとどうなるか? をやったときに、人に押し付けたり、やらされてる感じになったりするなと思った。
それって私が日常やってる事じゃん!
こうして振り返ってみると、自覚がない事を知らないんだなと思う。(40代女性)


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自分の感覚であることを知っていく、自覚!
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今回、参加してみて、毎日とても楽しかった。
久し振りにブラジルから日本に来て、なんだか、わからないが、何となくモヤモヤしていた。
日本は堅苦しい、とか、来たばかりなのに、ブラジルに帰って猫に会いたくなったりしていた。
でも、やっぱりコースはいいなー。
みんなと一緒に検討する醍醐味というか、脱線したり、笑ったり、好きなこと言い合って、本当はどうか一緒に考えられたのは良かったな。
自分がのびのびする。

今日、人間の感覚であることの自覚がないとどうなるか、というテーマで考えた時、いままで自覚のない状態で、眼くらめっぽうやってきた実態がはっきり見えたのが面白かった。
人の気持ちを勘ぐったり、こうではなかろうかと、想像したり、なんだりかんだり、いろいろややこしかったな・・・。
人間を知ることが、実現への一本道。
知らずして実現は出来ない。
知らないで、やること重視でやって来たんだな…と思う。
人間の考え、って、本当に多岐にわたる。
人間が暮らしやすくなるためにいろいろあるんだろうな、と思うが、人間の考えを事実化して、自覚ないままやってる実態だな。(40代女性)


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人と共に、ゆっくり自分の中を探求し、人間の思考を探る
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3日目ころまで、自分を知るためのコースとは自分を観察するコースと捉えていた気がする。 
探究会の最中も含めて、自分の行動、気持ち、何故そう思ったか、素行のクセや感想を述べていた感じだ。
4日目あたりからこのコースの本質を感じ始めた気がした。
自分を知るためのコースは、人間を知るコースなんだと(自分も人間だからね)人間の思考とはどうなっているかを、まず知って、自分を知るにつなげていく。
これをふんわりとだが感じてからは、コースの全体像が見えた気がした。
この探究、発見は独りでは無理だろう、仲間がいたから出来たことだ。(40代男性)


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自分の考えという自覚が、ありのままの自分、素直な自分へ、そして実際へ・・・。
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コースの二日目の朝にも朝食を食べながら〇〇ちゃんが私の事を可愛いって言ってくれた。
私に話してくれるのがうれしい気持ちとともに、本当はそうは思わないだろうという疑念か警戒する気持ちが見えてきた。
どう見て聞いて反応しているのかというテーマに出してみた。
見つめながら、日常の多くの場面で、私に向けてくれる人たちの関心を疑って警戒している自分が見えてきた。
その人の実際には関心が行かない状態。
素直に聞けない、どこか曲がっている状態、自分の考えということが消えてしまって、自分を守ることに力がたっぷり入った状態だったな。
〇〇ちゃんが実際に言った言葉は私の事を、「かわいいな」という言葉だった。  
その言葉には◯◯ちゃんの思い、心などがあり、言葉を渡す行為として現れたのだ。
言葉の向こう側に◯◯ちゃんがいた。
自分の考えで見ているという自覚があるのか。
自覚から始まるということを改めて感じたコースだった。
本当に素直に、ありのままの自分として生きていきたい。
ありのままの自分と、ありのままの相手と、実際の世の中を基盤にして生きていきたいなと思った。(30代女性)


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実際に近づく道は、自分の感覚を知っていく自覚から
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テーマが出されるたびにいろいろなことが頭に浮かんだけれど、どこまでが頭の中での理解で、どこまでが自分の実感のある血肉になっている感じなのかというのも観察してみたいポイントだった。
やってみて一番思うのは、自分の「知る」はまだまだ実現していないんだなあということ。
植物が緑色ではないらしいというのも本当に不思議で実感がわかない。
説明を聞いて納得してそう見ようとしても見えてこない。
私の眼には植物は緑色に見える。
人間の感覚器官、情報処理能力の限界というか、実際とは全く次元の異なるものであるだけだなと思った。
一体本当はどんな色(色で表現できないのかもしれないが)なんだろう??
さらに「夫婦、親子」などの関係までもが実際の物であるかのように認識していたことに気付いた。
「夫婦、親子」について考えたいとおもっても、それ自体が実在するもののように思い違いしたうえでの考えを話し合っているのなら、ただ各自の見解の言い合いにしかならないなと思った。 
自分の感覚、ひいては人間の感覚であるという自覚のある状態ではどうなるのだろう?
解決策を探すのではなく、実際に近づいていけるのだろうな。
人間の考えは宇宙だという話も出ていたが、その能力を使ってどんどんルールを増やし、どんどん人の気持ちを見えなくして、人を人として見ない社会になっていく。
ルールや観念を作るのはうまいが壊すことは下手だ。
一度作ると実際であるかのように錯覚してしまうからだろう。
自分で自分を縛ってほどかないでいるというのも変なものだけど観察してみるとよくやっていることだった
夫婦とはどういうものかを知るのではなく、それを捉えている自分の仕組みについて知る。「知ったつもり」ではなく「知る」を実現していくことからかなと思う。(40代女性)
- | comments (0) |08:41

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