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心の成長

人には、心というものがありますね。「人としての成長」というとき、心の成長を、一番に見ていきたいものです。ところで、その「心」って、一体どういうものなのでしょう?「心の成長」とは、どういうことなのでしょう?

5月の人生を知るためのコース参加者のレポートから、一部を抜粋して紹介します。



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意識上では「幸せになりたい、一人では無理だから周囲の人と成りあっていきたい。本当に皆で幸せになるには何をしようか?」等々浮んでくる。実際の私は、私の意識に上がらないところで、何かをやろうとしているのだろうか? 

人間性を踏み台にして後天的なもの(価値感、常識、善悪、良し悪し・・・・)に踊らされて生きているのだろうか?

4~5才の時、大学病院で、重い心臓病や肝臓病の子をお世話する看護婦を見る機会があった。子ども心に「自分もあんな風にやってあげたいなぁ」と憧れに近い気持ちを覚えたことを思い出す。医師や看護婦、親といった病児を取りまく人的環境に安心していたようにも思う。

途切れることなく与えられることで得た安心という状態の経験から与える側になりたいと思う。それは意志というより心の成長という方が適っている感じがする。

与えられて安心、与えて安心。

授乳中ってこんな感じだった。

(50代女性)



自分自身の実態を知る。人に対して、ある人の行為を見ておかしい常識のない人と、人を裁いている姿、無自覚で人を自分の基準で裁いている。

思いの世界で生きるのか、変わらぬもの、内面(心)、事実、実際の方に行かない図式。

一人ひとりに意志があり、その人の内面(心)があるというのが欠落・自覚なし、相手を動かそうとしたり、とても不自由なことをしていたことに気付かされました。

大きな分かれ道、健康正常(本質)か、不幸に進むのか、その人の行動迄も阻止出来るという、そこまで行ってしまう恐ろしさ、もう終わりにしたい と それだけなのに泣けますね。

(70代女性)

                            

安心と満足について

人の心というものは、人の心によって、人の満足には、「自分のこうしたいといった欲求」が満たされるだけではなく、「人にこうしてほしいという要求」も満たされてこそ、満ち足りた状態になっていくと思う。

これからの子どもたちが、いつも要求が満たされる環境で育つことで、自ずと人の要求を満たしたい大人へと成長していく、そうなることで、道徳や権利・義務の要らない社会になっていくのではないかと思った。

(60代男性)
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