「知る」とは…、「その成り立ちを知る」

「自分を知る」とは、「自分の成り立ちを知る」ことです。
これまでの、周りから受けたもの、今も受けているものを知ることだと思います。物や人の行為、心や情など、どれほど多く受けてきたか、受けているか・・・
現状は、権利、義務、責任やお金などの交換条件や、「当たりまえ」とする観念などによって、受けてきたもの、受けているものを見えなくしていることが多いようです。
人は、年を重ねるほどに、受けたもの、受けているものは、膨大になり、とても知りつくせるものではありませんが、それを知り、見えるようになっていくことが、人間性の成長でもあると思います。
「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。

何を「自分」としているのだろう?
音や光など、それ自体は意味を持たない。
人間が、捉えて、意味づけをする。
先ほども述べたように、各々の感覚によるもの。
事実・実際そのものは捉えられないのだから、
ハッキリと言えるのは、結果「そういう感覚が起きた」という自分側のことのみ。
事実の一側面だけを捉え、自分なりの解釈をし、感情が生まれ(ここまでほぼ自動で無自覚)、
その感情を正当化するための理屈を考え、付け加えていく。…という感じがする。
「考え」も「感情」も、「正しい、当然のこと!」となる。
否定されれば腹が立つ。
「考え」、「感情」を、自分自身だと思い込みがちのように思う。(20代男性)

自分の感覚で捉えたという、自覚の欠如と、心の不健康というのが密接に関係している気がする。頭の中の事実化による「妄想」が怒りや憎しみ、人間問題のところまでいってしまう。事実化が事実化をさらに進めることでそれを当然とすることで、本来の心の健康とは離れてしまう印象がある。(40代男性)
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