アカデミーのお正月 実家帰省 後編
2019.01.11 Friday 00:21
こんにちは。
たっきーです。
今回も実家に帰省したときのことを書きました。
今回は後編です。
実家に帰省して感じたことを書いたので、ぜひ読んでください。
お正月、家族に会えてよかった。
今まで気づけなかったたくさんの愛情を感じることが出来た。
30日、無事に12時5分前くらいにおうちにつくことができた。
日付が変わる前に帰るという目標は達成した。
普段は10時には寝るおばあちゃんが、眠さに耐えながら僕の帰りを待っていてくれた。
31日は特に何をするでもなく、おうちにいた。
庭にある畑でやってた落ち葉コンポストが完全に土に帰っていた。
なのでそこに新たに落ち葉コンポストを作って、おばあちゃんが貯めてきた落ち葉をそこに入れたり、水やりの手伝いなどをした。
1月1日は、一年半ぶりにおじいちゃんの家へ行った。
おじさんや、じいちゃんなど僕が変なところへ行ってしまって心配していると聞いていたので色々聞かれるんじゃないかと思っていた。
大学の退学のこともおじさんは、何があっても卒業させろくらいの感じでお父さんに話をしていたらしい。
だけど、実際に会ってみると、ただ、元気そうで何よりだと一言声をかけてくれただけだった。
じいちゃんも1年に1回くらいは帰っておいでと。
ばあちゃんなんか、毎日仏様に向かって早く帰ってこれますようにとお祈りをしてくれているらしい。
ばあちゃんは今年で88才。あと2年で死ぬらしい。
楽しそうに自分の寿命のことを話していた。
なるべく会いたいし、こんなに僕のことを想ってくれてるとは思わなかった。
じいちゃんは、90才。
あと10年生きるらしい。
毎日ウォーキングは欠かさずにやっていて、なによりもすごく姿勢がいい。
生きることにどん欲だ。
じいちゃんのお兄さんは赤紙が来て、兵隊に。
船に乗っているところを爆撃機に襲われ、若くして亡くなってしまった。
じいちゃんもあと1年早く生まれていたら、特攻隊にでもなっていただろうと小さい時に話をしていたのを覚えている。
母方の一緒に住んでいたおばあちゃんは今年で83才。
防空警報の最中に公園で遊んでいた話を初めて聞いた。
防空壕や室に畳をしいて、時にはすぐに逃げられるように外で寝たり。
そして蕨にも空襲があり、次はおうちがある浦和が爆撃されるというところで終戦を迎えた。
皆、こうやって生きていることにどこか丁寧さを感じる。
あることが当たり前、生きていることが当たり前。
どこか、僕のなかにはそういう当たり前がたくさんあるんだと感じた。
終戦して、戦後復興からの高度経済成長。
物が増え、便利な世の中になっていく一方で、そこにどこか違和感を感じていたのかもしれない。
やりたいことをやりなさい。
そういってくれることがすごく励みになった。
そして、2018年は新たに家族が一人増えた。
僕のいとこに二人目の子供が11月に生まれたからだ。
初めて、生後1ヶ月の赤ちゃんを抱いた。
4代の人がこうやって集まることが出来るのはとても嬉しい。
僕のもう一人のいとこは、会社をやめ、インドネシアで再就職をするらしい。
それぞれが、自分のやりたい方向に向けてやれていけたらいいな。
インドネシアに行くときは宿を確保できた。
帰る前に、まご5人とじいちゃん、ばあちゃん、そして、おばあちゃんで写真を撮った。
大事な写真になった。
こうやって、人に囲まれながら子供には育っていってほしい。
色んな人に愛されながら。
僕はここでの集まりが小さいころからとても大好きだった。
あと、10回。
じいちゃんはこの会を開くつもりだ。
じいちゃんはどんな思いでこの会を開いているのだろう。
おせちも皆でたべれて、とても美味しかった。
八幡巻きは僕のお母さんが作ったやつの方が美味しかった。
これは、毎年お母さんが作る得意料理でもある。
でも何よりも美味しかったのはおじいちゃんの作ったもつ煮込みだ。
これは、本当にやばい。
味もさながら量も40人分くらい作る。
これが1番のメインといっても過言ではないだろう。
おじいちゃん秘伝のレシピがある。
また、来年も楽しみだ。
2日は、スマホを買い換えに行った。
もう、今のスマホのOSだとLINEが対応しなくなるらしい。
開店15分前から並んで買い換えた。
蔵下さんという若い女性の方が丁寧に二時間くらいかけて、案内をしてくれた。
帰るとき、ご飯を食べるために駐車場に車を止めようとしたら、ぽろっとスマホが落ちて、画面がバキバキに。
買って30分しないで壊すって。
お父さん、怒るかなと思ったけど、先にカバーつけとけば良かったなーと言うだけだった。
家に帰ってお母さんに話をしたら、笑いながらやっぱり私の血が流れてるだけあるねって。
二人ともすごいなと思った。
そして、安心した。
僕はこの二人に育ててもらえてよかった。
そう思った。
明日、朝一番で帰るといったら、朝起きたくないから早く帰れって。
なんか、こうやって話せることがとても嬉しい。
ヒッチハイクみたいなみっともないことはするなと、今度帰るときの電車賃をもらった。
じゃあ、帰るねと言うと、帰るんじゃなくて行くだろと、毎回訂正してくる。
お父さんやお母さんはどんな思いで僕を育ててくれたのだろう。
いいお正月だった。
たっきーです。
今回も実家に帰省したときのことを書きました。
今回は後編です。
実家に帰省して感じたことを書いたので、ぜひ読んでください。
お正月、家族に会えてよかった。
今まで気づけなかったたくさんの愛情を感じることが出来た。
30日、無事に12時5分前くらいにおうちにつくことができた。
日付が変わる前に帰るという目標は達成した。
普段は10時には寝るおばあちゃんが、眠さに耐えながら僕の帰りを待っていてくれた。
31日は特に何をするでもなく、おうちにいた。
庭にある畑でやってた落ち葉コンポストが完全に土に帰っていた。
なのでそこに新たに落ち葉コンポストを作って、おばあちゃんが貯めてきた落ち葉をそこに入れたり、水やりの手伝いなどをした。
1月1日は、一年半ぶりにおじいちゃんの家へ行った。
おじさんや、じいちゃんなど僕が変なところへ行ってしまって心配していると聞いていたので色々聞かれるんじゃないかと思っていた。
大学の退学のこともおじさんは、何があっても卒業させろくらいの感じでお父さんに話をしていたらしい。
だけど、実際に会ってみると、ただ、元気そうで何よりだと一言声をかけてくれただけだった。
じいちゃんも1年に1回くらいは帰っておいでと。
ばあちゃんなんか、毎日仏様に向かって早く帰ってこれますようにとお祈りをしてくれているらしい。
ばあちゃんは今年で88才。あと2年で死ぬらしい。
楽しそうに自分の寿命のことを話していた。
なるべく会いたいし、こんなに僕のことを想ってくれてるとは思わなかった。
じいちゃんは、90才。
あと10年生きるらしい。
毎日ウォーキングは欠かさずにやっていて、なによりもすごく姿勢がいい。
生きることにどん欲だ。
じいちゃんのお兄さんは赤紙が来て、兵隊に。
船に乗っているところを爆撃機に襲われ、若くして亡くなってしまった。
じいちゃんもあと1年早く生まれていたら、特攻隊にでもなっていただろうと小さい時に話をしていたのを覚えている。
母方の一緒に住んでいたおばあちゃんは今年で83才。
防空警報の最中に公園で遊んでいた話を初めて聞いた。
防空壕や室に畳をしいて、時にはすぐに逃げられるように外で寝たり。
そして蕨にも空襲があり、次はおうちがある浦和が爆撃されるというところで終戦を迎えた。
皆、こうやって生きていることにどこか丁寧さを感じる。
あることが当たり前、生きていることが当たり前。
どこか、僕のなかにはそういう当たり前がたくさんあるんだと感じた。
終戦して、戦後復興からの高度経済成長。
物が増え、便利な世の中になっていく一方で、そこにどこか違和感を感じていたのかもしれない。
やりたいことをやりなさい。
そういってくれることがすごく励みになった。
そして、2018年は新たに家族が一人増えた。
僕のいとこに二人目の子供が11月に生まれたからだ。
初めて、生後1ヶ月の赤ちゃんを抱いた。
4代の人がこうやって集まることが出来るのはとても嬉しい。
僕のもう一人のいとこは、会社をやめ、インドネシアで再就職をするらしい。
それぞれが、自分のやりたい方向に向けてやれていけたらいいな。
インドネシアに行くときは宿を確保できた。
帰る前に、まご5人とじいちゃん、ばあちゃん、そして、おばあちゃんで写真を撮った。
大事な写真になった。
こうやって、人に囲まれながら子供には育っていってほしい。
色んな人に愛されながら。
僕はここでの集まりが小さいころからとても大好きだった。
あと、10回。
じいちゃんはこの会を開くつもりだ。
じいちゃんはどんな思いでこの会を開いているのだろう。
おせちも皆でたべれて、とても美味しかった。
八幡巻きは僕のお母さんが作ったやつの方が美味しかった。
これは、毎年お母さんが作る得意料理でもある。
でも何よりも美味しかったのはおじいちゃんの作ったもつ煮込みだ。
これは、本当にやばい。
味もさながら量も40人分くらい作る。
これが1番のメインといっても過言ではないだろう。
おじいちゃん秘伝のレシピがある。
また、来年も楽しみだ。
2日は、スマホを買い換えに行った。
もう、今のスマホのOSだとLINEが対応しなくなるらしい。
開店15分前から並んで買い換えた。
蔵下さんという若い女性の方が丁寧に二時間くらいかけて、案内をしてくれた。
帰るとき、ご飯を食べるために駐車場に車を止めようとしたら、ぽろっとスマホが落ちて、画面がバキバキに。
買って30分しないで壊すって。
お父さん、怒るかなと思ったけど、先にカバーつけとけば良かったなーと言うだけだった。
家に帰ってお母さんに話をしたら、笑いながらやっぱり私の血が流れてるだけあるねって。
二人ともすごいなと思った。
そして、安心した。
僕はこの二人に育ててもらえてよかった。
そう思った。
明日、朝一番で帰るといったら、朝起きたくないから早く帰れって。
なんか、こうやって話せることがとても嬉しい。
ヒッチハイクみたいなみっともないことはするなと、今度帰るときの電車賃をもらった。
じゃあ、帰るねと言うと、帰るんじゃなくて行くだろと、毎回訂正してくる。
お父さんやお母さんはどんな思いで僕を育ててくれたのだろう。
いいお正月だった。
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