6ヶ月間のサイエンズアカデミー生活の振り返り

2018.10.15 Monday 18:48
アカデミー留学を通じて自分と人の本心がよく聞けるようになればと思う。 生活の中で見えてきたことを話しながら,知性と心の成長を感じてみたい。 人々に安心してゆだねる中,本当の自分を知っていきたい。 本来の親しさがあらわれるコミュニティとはどんなものか,本当に距離感のない人の間とはどんなものか。 人と社会の本来の姿が知りたい。 本来のものが見えてくれば,そのように生きていける。 アカデミー留学を通じて,何でも聞けて話せる人に成長したい。それで誰とも距離感なく楽な関係で生きていきたい。

私のアカデミーへの入学希望レポートを読んだら,上のような目的を書いている。4月5日,サイエンズアカデミーに入学して6ヶ月が過ぎた。そして,もう韓国に帰る。
今の時点で私はどの程度成長したんだろう。 アカデミーに入学すると,坂井さんのプレゼンテーションを聞いて,意識できない私の本心に触れる様な気がした。今振り返ると,職場研修,コース参加,観察プログラム,いろんな形の話の時間など,アカデミーの生活全般が私を観察し,私の固定観念に気づき,私を知る時間だった。
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1.職場研修

"職場研修は働くこと自体が目的ではない。 自分を観察する機会であり,周りの人々と共に場を作っていく練習と実践の場だ"。 留学案内文にこんな言葉があったということをこのレポートを書きながら,今更気づいた。 私の職場研修の実際はどうだったのだろうか。 最初は仕事をうまくやろうとし,その次は自分を観察する機会にした. しかし,周りの人と場を作る練習はできなかった。 最近,剛道君が提案して,アカデミー生と一緒に場を作っていこうとする動きが見える。一緒にできなくて残念だが,これからの変化が楽しみだ。

9月からは子どもの家チェリッシュでも研修を始めた。 子供たちは自分の望むことをはっきり表現しているようだ。すべての行為が主体的だ。子供たちを見て人間の本来の姿そのままを観察する。見るだけでも勉強になるはずだけど,その中の一部を今振り返ってみる。

"シュンとハルが,おもちゃをめぐって喧嘩をする"(と私が見ている)。 相手の欲しがるのを防ぐ言葉と行動が行き交い,二人の子供が泣き始める。 泣き止んでいつのまにか,またよく遊ぶ。 どんな行動と言葉にも瞬間的な反応はあるものの,感情が残らないのが本来の親しさだろうか。

ある日, ハルと二人で遊び,チョコレートが食べたかった。 私の鞄にかなり多いチョコ羊がいたのに袋ごと出したらハルが大量に食べるのではないかと心配になった。 それで最初に二つを取り出して, ハルにあげたが,もっと食べたいと言って,二つさらに与えた。 さらに,またもっと食べたいと言って,困るようになった。 "これ以上はない"と言ったら," Joyに行こう"と言う。 ほんとうに困ったことになった。 ハルの手を取ってJoyに向かったが,途中で面倒になってハルを説得する。 私のカバンにチョコレートが残っているかも知れないから,チェリッシュに行って探してみようか? ハルはJoyに行こうという。 もう一度聞いても"行こう"と言う。 疑ったり想像したりせず,実際,確かに持っていることだけを見ている状態だろうか。 チョコレートを持ってチェリッシュに戻り,一つずつ食べ始めた。 ある程度食べてもうチョコレートを食べたくないハル。 こんなことなんだ。 くだらない心配で事をややこしくさせた自分自身がおかしかった。

近くの公園に遊びに行ってワタルがサクトの頭に砂を注ぐ。 サクトは顔をちょっとしかめるだけで大きな反応がない。 マイコちゃん,サトミちゃんは見ている。 私も何かぎょろぎょろしているのはあるけど,見守りながら私の心に上ってくるのを見ている。 大人の目にはいじめると見る行為が,子供たちの間では何気なく起きている。 大丈夫かなと思い,私は心配している. 土がかなり体に付着してサクトは不便のようだ. マイコちゃんが近付いて土をはらう。 あ,こんなのも大丈夫かと少し驚いた自分が見える。

チェリッシュでは,サラとハルが一緒のおもちゃをつかんでいる。 ハルが自分のものだと放さない. サラは黙って見て,カゴでおもちゃの一部だけ取り出して,別の部屋に行って遊ぶ。 ハルはちょっと泣いたけど,大丈夫そうに見える。 大人たちが介入しなくても,このような状況がこのように解決されるんだな。 遊び場でワタルが私に水を運んでと言う 水の出所がかなり距離があって少しためらう。 しかし,3回運んで私が休んでいると,他の子どもたちと一緒に自ら水を汲んで運ぶ。 子供たちの状態は本当に軽いね。

2.コース参加

6月に内観コースとアズワンセミナーに参加した。韓国で内観をしたことはあるが,日本では初めてだった。 6月の内観で違った印象を受けた。内観とは,ある場面を思い出し,その時の気持ちと感情を見ているような気がした。 そして,記憶を思い浮かべても,感情が湧かない感じもあった。"実際はこの瞬間だけなのに,私は何を見ながら生きているの?"という気がして,実際に向かって暮らしたい気持ちが大きくなった。

アズワンセミナーではアズワンネットワークの人々の話を聞いたのが印象的だった. 生活の中で自分の内面を察し,隠れた内容を取り出すことで自分の観念から自由になる変化が感じられた。そのように,自ら常に自分を探求し,知ろうとする人々のつながりが,"アズワンネットワーク"であることが実感される瞬間だった。

7月には自分を知るためのコースと自分を見るためのコースに参加した。知るためのコースでは言語で考え方を表現することが難しいと感じた。そして最終日,探求会とは何かについて話したが,私自身も探求会の一部で,その場を共に創っていくのだという感じがした。そして,探求会で必ず話をしなくてもいいだろうと,安心する私の状態になった。"見るためのコースでは,自分についてどんなイメージも考えず,ただ見ればもっと知りたくなるのではと思った。そうして,日常から見て聞くことは全部反応だな,と気付いた。

8月には,人生を知るためのコースに参加した。人間の感覚と考えで区分しているだけで,すべてが繋がった一つの生命だということに気づいた。そして,自分の気持ちと心を抑えない状態で,自然に見えてくる本心で暮らすのが楽だという感じがした。全てが一つの生命であり,自然,モノ,人を生かす方向へと動くのが自然だという気がした。

9月には人を聴くためのコースと社会を知るためのコースに参加した。人を聴くためのコースでは,相手と共感しなければならないという気持ちで話を聞いたり表現しようと努力した過去の自分が思い浮かんだ。言葉に反応して行動したり,言葉に振り回されて人との話し合いが難しいと思っていた。しかし言語は心を単純化して表現するものであり,私が聞いていた言葉も自分の頭の中で作られていることに驚いた。 相手から聞いて,自分がどう思おうが相手の実際を知ることができないから,その人の実際をずっと知り続けたくなるしかない。そのため,"人を聞くというのは,言葉を聞くのではなく,その人の内面に耳を傾けることだ"というのが見えてきた。

社会を知るためのコースでは,自発的服従と自由意志をより明確に区分することができた。自分にも誰にも強要のない状態,観念に縛られない状態,だから自分の純粋な欲求と意志を知っている状態が自由な状態だというのが見えてきた。元々は無いものと(観念)本来からあることを(本心)見たら,主体的に生きるのはシンプルな感じがする。人のための社会の姿もより具体的に描けるようになった。 人の内面に関心を持ち,互いの気持ちと心を知り続けていく状態の人々,だから本人の意志が見えて,その人らしく生きることができるように助ける社会。そのように心が満たされ,本来の姿に生きていけば,どんな社会が展開されるか期待できた。

3.アカデミー生研究会とサロン

5月から毎週1回,小野さんが進行するアカデミー生研究会に参加した。 他のアカデミー生たちが自分のテーマを話すのを聞きながら,私もどんどん私のテーマを見つけるようになったようだ。 私にとって最も重要となったテーマは,人とのやりとり,そして主体性であった。 特に職場でのやりとりが難しいと感じたが, やりとりというのは生活しながら人と交わす話の中で,お互いの気持ち,意志,欲求を尊重するのが話合いだという話が響いた。主体性については,主体的な人は自分の意志で行うから,外部の状況がどうであれ,自分を話すことができ,伝えたいことが込められて,言葉にも力がこもっているという言葉が印象的だった。

10月にはアカデミー研究会が新しい感じになった。同僚のアカデミー生の成長がその土台になっているようだ。 一人ひとりが話していることからミーティングが動き出して変化していくのを実感した. お互いにどれだけ気楽に,心の状態を持ち出せるかによって,各自の本心が現れて実現できると思った。何も前提のない状態なので,何でも話せる場としての研究会は楽しそうだ。誰でもその時の状態をそのまま出す話になり,そのような人々が集まって時間と空間を今ここに創造する感じだ。

サロンは初めに日本語のせいでかなり難しかった。何も言わず,聞いてばかりいる自分が息苦しく,物足りないと思って,抜けたこともあった。 しかし,だんだん聞くだけでも大丈夫だと安心し,人々の話を聞いて気づくことが多かった。人々がそれぞれ生活の中の実例を取り出すのが面白くて不思議だった。そうして,そう言い出す話のなかで,お互いの探求ができ,一緒に考える中で,知って行くのが人間だと実感させられた。

4.話合い

鈴鹿コミュニティに来て,本当に色々な形の話し合いを経験した。韓国に帰ろうとしたら,その時間の大切さが実感できる。4月から毎週1回,坂井さん,みえさんとプチミをした。初めは何を話せばいいかよく分からなかったが,だんだん自然に思い浮かぶように話すようになった。何の話でも聴いてくれたり,自分をよく見られるようにしてくれた.

私は疲れるとよく言って,そのような自分を不満に思った. しかし,疲れること全部が私の中で起きることであり,自分とは分離していないという話を聞いた。自分の体の感覚を観察して,実際に合わせて動いていると,感覚が変わってしまうということだった。子どもが眠い時に寝なければならないと寝るのではなく,そのままいつでも寝ているように,実際の自分の状態に順応するのだというか。 それを聞いて私が疲れることをもう少し受け入れられる状態になった。

人々に私の心の状態をよく出せないことに対しては,"私の気持ちと考えをそのまま出して話しながら,人々と一緒に見ればいい"と助言された。体の状態が変化し続け,血が流れるように,心も変化した状態をすぐ出せる時,滞りなく流れる可能性がある"と話した。完全に息を出せば,肺が自然に息を吸い込むから,我慢せず,すべて吐き出すことが重要だ"と話した。息を吸いすぎているように,考え方を出さずに積んでおくと流れないという。

毎週1回アカデミーファーストステージの学生とアカデミーオフィスとのミーティングの時間もあった。初めはミーティングだからといって,何か決まったことがあるかのように思っていた。でも,この時間も,だんだん何でも話せる時間になった。ひと月に1度あるアカデミー食事は誰かの真心でいつもおいしい料理が用意された。最初は多くの人がいて不便だったが,後は大家族がいっしょに集まる感じだった。 ご飯を食べて1ヵ月間振り返る話を交わしながら自分の気持ちも整え,互いを知っていく時間が楽しくて大切だった。

5. アカデミー生たちとの生活

4月からアカデミー生のために真保さんが考案した観察プログラムに参加した。実際の世界を言語化する前の状態で,ありのまま感覚するというのが新鮮で面白かった。観察練習は一人で行う時もあれば,他のアカデミー生たちとも一緒だった。練習をすればするほど,実際の世界は毎瞬変わっているのが感じられた。実生活で私がどんなことを考えていようと,それと関係のない実際世界があることに安心した。そして私の考えであることを察して,実際に目を向けるのがもっと容易になった感じだ。

アズワンハウスで最初会ったのはよっしーだった。 よっしーが私に細いと言ったが,聞いてほめるか悪口かと思って笑っていた。その時は,そう色々と考え,人の話を聞いていた。たっきーとジンちゃんに幼い頃の話をしながら泣いたりもしたが,その時その時の私の気持ちを表現することは,私に慣れないことだった。初めにファームで働いていたとき,ジエゴがアカデミーになぜ来るようになったか尋ねた。答えながら,何か違和感があって途中で止まった覚えがある。しかしお互いを知っていくほど自然とそのときの事を話したい気持ちになっていくように思った。

"自分を知るとは,ありのままの自分をありのままに見よう、調べて行こうとする人たちと,知ろうとするものであり,自分の気持ちや感情を持ち出す瞬間,自分のものでないものになり,自分がよく見えるようになる"というジンちゃんの言葉が思い出される。 お互いに,遠慮なしに何でも言える仲になるアカデミーの生活とは,どんなことなのか。 アカデミー学生会を毎週1度行ったが,依然として私たちの間には話せないことがある。 しかし,それに気付いており,今後の変化はさらに期待される。

6.コミュニティの人々&鈴鹿ツアー

ここに来てやってもらったものがあまりにも多い. 4月から5月まで,ひろや君と1週間に1回,やさしい社会2を勉強していた。勉強も良かったが,始める前にひろや君にあれこれ話をするのが楽でよかった。6月には,ヨシコ•オカベさんと日本語会話の練習をした。内観コースを前にして日本語の実力を早く向上させようという思いから始まったが,よしこさんの人生について聞いたのがよかった。ほかにも,江口さん,龍さん,中井さん,照子さん,律子さんの家で美味しい食べ物を食べながら楽しいひとときを過ごした。

アズワンハウスに住みながら,自然と多様な人々に会った。恵み共同体の人々,アメリカ高校生たち,ブラジルからコース参加に来た人々,たっきーの友達,根津の友人,日本の他地域からコースに参加に来た人たち,韓国からきた人たち(あーちゃん,ユキちゃん,ソンヒ,ジェウォン)。今では見知らぬ人に対する違和感が非常に薄くなっているのを見ると,ここに来て人に対する警戒心が薄くなったようだ。ここで人々の見守る愛情を受け,私の心が開かれた感じだ。

9月には韓国から来たヒョンソンの鈴鹿ツアー通訳をした。私が4月にツアーを受けた時とは感じが大きく違っていた。その時は漠然と聞いてみたものなどが今はその中の人が見えて,私がその一部だという感じだった。通訳をしながらヒョンソンが自分の本心を知って,自分らしく生きればいいという願いがあった。そして,多くの人の協力の中で,私にできることがあるのが良かった。通訳しやすい単語を選んで話してくれる人達, ヒョンソンを知りたい人々の気持ちが感じられた。ヒョンソンが船田さん夫妻の話を聞いて"自分の世界がもっと広がる感じでしたね。些細なことのようですが,大きな幸せだと思います。ヒョンソンが最終日,ツアーでの感想を述べて,お母さんについて話した。母が期待してくれない時にすまない気持ちがある"と話した。そして,自分に期待する母親の心に頼ろうとする自分の姿がある"と話した。その話を聞いて,ヒョンソンという人をもっと知りたいという気持ちになった。


7.現在

今私はどれだけ安心しているんだろう。 以前は,何かやりつづけるという状態にあった。その心には不安があった。しなければ受け入れられないと思って何度もしようという自分があった。けれども,何もしなくてもいいということが見えてきた。その心の状態で,私を含めた人の自由が尊重されることに気づいた。鈴鹿コミュニティの人々から,自分の意志や欲求で自由に生きることを願う気持ちが感じられる。私をどんな状態でも見守っているのが感じられる.それで私の気持ちと心をよく聞いて素直に出したい。心の状態を考えて整理せず,上がってくる通りに表現したい。

鈴鹿で人の心が満たされるということがどれほど重要かを実感した。私の心が満たされるほど人の心も知りたくなるようだ.人の内面と人生を知りたい。誰の話でも淡々と聞いて,自分はどうしたいのか見れる人に成長したい。誰とでもどんな時でも自分の心を聞いて出していきたい。そのような中で,自分を知り,自分らしく生きるようになるのではないだろうか。そのように私の自由を尊重するように相手の自由も尊重しながら暮したい。韓国にも人を聴く社会が創られることを願い,ここで実感したことを,人と引き続き探求していこうとする。何でも聴いて話しながら,誰とも距離感なく楽な関係で生きていけるまで。
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